
「シュターツカペレ・ベルリン」という名には、ベルリンの音楽史が堆積している。宮廷楽団として1570年に発足し、1742年以来、ウンター・デン・リンデンの歌劇場を拠点としてきた。歴代の音楽家たちが歌劇場のピットと演奏会の舞台を行き来しながら育んだ響きは、いまも受け継がれている。2016年、楽団は長年の音楽総監督ダニエル・バレンボイムと来日し、ブルックナーの交響曲全曲とモーツァルトのピアノ協奏曲をサントリーホールで披露した。この一連の公演は、2010年代の来日公演のなかでも、ひとつの「伝説」と呼ぶにふさわしいものだった。
2022年、病気療養中のバレンボイムに代わり、現代屈指のワーグナー解釈者クリスティアン・ティーレマンが、ベルリンでの新制作《ニーベルングの指環》ツィクルスを引き受けた。続いてアジアツアーでシュターツカペレ・ベルリンを指揮するという知らせは、日本でも驚きと喜びをもって迎えられた。《指環》は本来、バレンボイムの80歳と音楽総監督就任30周年を迎えるシーズンの幕開けを飾る企画だった。代役のティーレマンが指揮した舞台は、映像ソフトに残されている。
東京で聴いた《トリスタンとイゾルデ》の前奏曲と愛の死、そしてブルックナーの交響曲第7番。ティーレマンは楽団の朴訥な音色を生かしつつ、声部を浮かび上がらせ、大胆に音楽を運んだ。濃厚な造形ではあった。だが、頂点へ導く巧みさに、抗しがたい魅力を感じたことをいまもよく覚えている。終演後、楽員に幾度も謝意を伝えるティーレマンの姿は、両者の親密さを物語っていたし、翌年に発表された音楽総監督就任にも、驚きよりは納得があった。あのツアーで、両者の新たな関係はすでに芽生えていたのだろう。いまティーレマンは音楽総監督として、楽団を率いて日本に戻ってくる。

シュトラウスが映し出した人生と自然の時間を、カミラ・ニールンドとともにたどる
今回の来日公演には、二つのプログラムが用意された。11月17、18日の東京公演は、リヒャルト・シュトラウスの「四つの最後の歌」と「アルプス交響曲」。シュトラウスは1898年にベルリン宮廷歌劇場の指揮者となり、オペラと演奏会を通じてこの楽団を千回以上指揮した。春の息吹から夕映えへと向かう「四つの最後の歌」では、厚い管弦楽のなかから詩の言葉がどう立ち上がるかに耳を傾けたい。
独唱のカミラ・ニールンドは、ワーグナーのエルザやエリーザベト、シュトラウスの元帥夫人やアラベッラなどで抒情豊かな歌唱を聴かせてきた。近年はさらに、声の強靱さと持久力がいっそう問われるイゾルデやブリュンヒルデへとレパートリーを広げ、今年のバイロイトではティーレマン指揮の《指環》で後者を担った。伸びやかな旋律線と明晰なディクションを保ったまま、厚い管弦楽を越えて声を輝かせる、現代最高のソプラノのひとりだ。2024年、ドレスデンでティーレマンと共演した《トリスタンとイゾルデ》は、彼女のひとつの到達点を示す圧倒的な名演だった。今年の東京・春・音楽祭でも、大編成の「グレの歌」でトーヴェを歌い、小ホールでは歌曲リサイタルに出演、異なる二つの場で日本の聴衆を魅了した。彼女の声のスケールと、詩に寄り添う繊細さが、「四つの最後の歌」でどう結びつくか。

©Shirley Suarez Photography
後半の「アルプス交響曲」は、夜から日の出、登頂、嵐を経て再び夜へ至る一日の行程を巨大編成で描く。日の出や雷鳴の鮮烈さ、山頂の大パノラマはもちろん、森へ入り、道に迷う過程での音色の移り変わりに耳を澄ませたい。シュトラウスは構想段階で、ニーチェの著作にちなむ「反キリスト」という題も考えていた。自らの力で山を登り、自然と向き合う人間の姿が、風景描写に新たな奥行きを与える。個々の場面をただ豪壮に鳴らすのでなく、山を歩く時間そのものをひとつの流れとして築けるか。歌劇場で場面転換の感覚を培ってきた指揮者と楽団に、期待するところは大きい。前半の歌曲が人生の暮れ方を静かに見つめるとすれば、後半の交響曲は自然のなかで昼と夜を巡る。二作を単純な対称に押し込める必要はないが、時間の過ぎゆくさまを異なる距離から聴く一夜にはなりそうだ。
ルドルフ・ブッフビンダーとつむぐモーツァルト、そしてブルックナーの深奥へ
11月15日の川崎公演と19日の東京公演は、ルドルフ・ブッフビンダーを独奏に迎えるモーツァルトのピアノ協奏曲第21番と、ブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」。まもなく80歳を迎えるブッフビンダーは独墺のレパートリーの解釈で名高く、モーツァルトの第21番は、かつてシュターツカペレ・ドレスデンを弾き振りで録音した作品でもある。華やかな両端楽章に挟まれた第2楽章の静かな歩みのなかで、ピアノと管弦楽がどんな呼吸を交わすか。長年共演を重ねてきたティーレマンとは、9月にもベルリンで同曲を披露したばかりだ。

©Marco Borggreve
ブルックナーの第4番では、冒頭のホルンの呼び声から響きが広がり、悠々と歩む第2楽章、狩りの音楽が躍動するスケルツォを経て、終楽章へと向かう。2022年に第7番を濃厚な語り口で描いたティーレマンは、聴き手を「ロマンティック」の旅路へどう導くだろう。バレンボイムとのブルックナー全曲演奏から十年。ティーレマンとシュターツカペレ・ベルリンが築く関係の「いま」を、じっくりと聴き取りたい。
文:平岡拓也
クリスティアン・ティーレマン指揮
ベルリン国立歌劇場管弦楽団 《シュターツカペレ・ベルリン》
2026.11/17(火)、11/18(水)各日19:00 サントリーホール【プログラムA】
♪共演
カミラ・ニールンド(ソプラノ)*
♪曲目
R.シュトラウス:四つの最後の歌*
R.シュトラウス:アルプス交響曲
11/19(木)19:00 東京オペラシティ コンサートホール【プログラムB】
♪共演
ルドルフ・ブッフビンダー(ピアノ)**
♪曲目
モーツァルト:ピアノ協奏曲第21番 ハ長調 K.467**
ブルックナー:交響曲第4番 変ホ長調「ロマンティック」
問:テンポプリモ03-3524-1221
https://tempoprimo.co.jp
他公演
11/15(日)ミューザ川崎シンフォニーホール(044-520-0200)【プログラムB】
※公演により出演者、プログラムは異なります。詳細は上記ウェブサイトでご確認ください。

平岡拓也 Takuya Hiraoka
音楽ジャーナリスト。1996年生まれ。慶應義塾大学文学部でドイツ語圏の文学・音楽を学ぶ。『音楽の友』『MOSTLY CLASSIC』などの音楽誌、複数のWEBメディア、在京オーケストラのプログラムにコンサート評やインタビュー、プログラムノートを執筆。海外アーティストへのインタビューも多数手がけ、近年はアジア圏のオーケストラを中心に、地域の文化的・歴史的背景も視野に入れた取材・執筆を継続している。

