
右:向井 航 ©Ayane Shindo
ギリシャ出身でパリを拠点に活動する作曲家と聞いて誰を思い浮かべるだろうか。多くの人がまず思い起こすのは戦後ヨーロッパ音楽の巨人、ヤニス・クセナキスだろう。しかし、もう一人忘れてはならないギリシャ出身の作曲家がいる。それがジョルジュ・アペルギスだ。彼もまたパリ在住でありながら、クセナキス同様フランスのアカデミアとは一定の距離を保ち、むしろドイツ語圏において高い評価を得てきた作曲家である。2021年にはクラシック音楽のノーベル賞とも称されるエルンスト・フォン・ジーメンス音楽賞を受賞し、国際的評価が改めて示された。そのアペルギスが、日本を代表する現代音楽の祭典「サントリーホール サマーフェスティバル 2025」において、テーマ作曲家として特集される。
身体に根差した初源的な音楽を追い求めて
ともに演劇に深い関心を寄せつつも、数理的構造や空間的音響にこだわりを見せたクセナキスに対し、アペルギスの関心は言語や身体、コミュニケーションといった、より人間的な側面へと向けられている。彼の作品には言語と意味の関係を問い直す試みが随所に見られるが、その好例が代表作「レシタシオン」だ。フランス語の音節や音素を音高のように扱い、言語が意味を持つ以前の、純粋な音としての側面を探る作品である。初演はフランスの伝統あるアヴィニョン演劇祭。音楽のみならず演劇の文脈においても高く評価された。8月30日には全曲版初演者であるドナティエンヌ・ミシェル=ダンサクによる圧倒的な歌唱を体験できるだろう。
舞台作品であれコンサート作品であれ、明瞭さの境界を探り続けてきたアペルギス。8月29日の「オーケストラ・ポートレート」で演奏される「エチュードVI、VII、VIII」(日本初演、VIIIのみサントリーホール委嘱新作)は、その創作姿勢を体現した作品といえる。これらの作品では聴衆の注意を持続させるために、物語が立ち現れてはすぐに否定されるようなねじれた軌跡が描かれる。「アコーディオン協奏曲」(日本初演)では、燕尾服やドレスに囲まれたクラシック音楽の舞台に、アコーディオンという世俗的なイメージをまとう楽器が登場し「異邦人」としての役割を担う。指揮はアペルギスが厚い信頼を寄せるエミリオ・ポマリコ。協奏曲のソリストは、初演にも携わったテオドーロ・アンゼロッティだ。両者ともにアペルギス作品の本質を深く理解する音楽家である。
作曲家の魅力が凝縮された室内楽公演
アペルギスの音楽は、たとえ器楽作品であっても声のような性質を湛え、未知の領域に向けて慎重かつ優しく手を差し伸べるようなその響きは常に聴き手との対話に向かう。8月24日に開催される「室内楽ポートレート」では、この作曲家のそうした音楽的核心に触れることができるだろう。彼が長年にわたり信頼するアンサンブルや演奏家たちのために書き続けてきた作品は、まるで一人ひとりの演奏家を描いた親密な肖像画のようでもある。それらの楽曲を優れた日本人演奏家たちの手により体験できる本公演は、アペルギス作品の真髄に迫るまたとない機会となる。
もう一つの目玉、芥川也寸志サントリー作曲賞選考演奏会
フェスティバルの最後を飾る8月30日開催の「第35回芥川也寸志サントリー作曲賞選考演奏会」も見逃せない。今年は偶然にも、一昨年の受賞者・向井航への委嘱作品、そして今回の候補作品全てに演劇的、あるいは視覚的な要素が取り入れられている。さらに、本賞の名の由来となっている芥川也寸志の作品も演奏される。今年生誕100年を迎える芥川もまた、長年にわたって映像と音楽の関係に関心を寄せていた作曲家だ。今回のプログラムは演劇や言語、身体表現と音楽の関係を探るアペルギスの創作姿勢とも呼応する内容となっている。さまざまな境界が揺らぎつつある今、音楽がどのように広がり他の領域と繋がっていくのか、その現在地を体感できる貴重な機会となるだろう。
文:森 紀明
(ぶらあぼ2025年8月号より)
サントリーホール サマーフェスティバル 2025
◎テーマ作曲家 ジョルジュ・アペルギス
◎第35回芥川也寸志サントリー作曲賞選考演奏会
2025.8/23(土)~8/30(土) サントリーホール
問:サントリーホールチケットセンター0570-55-0017
https://www.suntory.co.jp/suntoryhall/feature/summer2025/
※フェスティバルの詳細は上記ウェブサイトでご確認ください。

