新国立劇場が5月20日から、開場20周年記念特別公演としてベートーヴェンのオペラ《フィデリオ》(新制作)を上演する。初日を前に、演出のカタリーナ・ワーグナー、ドラマツルグのダニエル・ウェーバーが登壇し、記者懇親会を行った。
具体的な演出プランやコンセプトには言及しないが、それでも言葉の端々にはカタリーナ・ワーグナーのアイデアや想いが込められている。
(2018.5/16 新国立劇場 Photo:M.Terashi/Tokyo MDE)
【台詞について】
カタリーナ・ワーグナー(以下W)
内容面で本当に必要な部分はオリジナルテキストで残し、それ以外は大幅にカットしています。内容面でどうしても必要な台詞がありますので、完全にカットすることは難しいというのが長時間議論した上での結論です。歌詞そのものは元のままです。
《フィデリオ》はしばしばナンバー・オペラ(重賞、アリアなどに一連の番号が付されている)と言われますが、ナンバー・オペラにならないように、きちんとストーリー展開していくようにしています。実際の舞台をご覧いただき、うまくいっているかというのを確認していただきたい。
【演出の手法について】
W
基本的に演出家として、その音楽に何かしら惹かれるものがないと演出をしてはいけないと考えています。ですので、私が演出するオペラ作品は、音楽に感じるものがあるからこそだと思ってください。
ただリヒャルト・ワーグナーの場合は特殊で、子どもの頃からなじみのある音楽なので、音楽とともに育ってきたワーグナーの音楽はあまりにも当たり前、人生の一部といっても過言ではない。そういう意味ではワーグナーの音楽には特になじみがあり、親近感を持っていると言えます。
他の作品であっても音楽に惹かれるものがなければ演出をしません。《フィデリオ》も音楽に惹かれています。合唱の場面が好きですが、新国立劇場の合唱団が素晴らしく、よりいっそう好きな場面になりました。
演出するうえで、リズムとパラレルな要素があります。ワーグナーのライトモチーフの扱い方と少し似ていると思います。ライトモチーフが登場したからこの人が登場するという演出の仕方だとお約束通りですので、今回の《フィデリオ》もリズムの扱い方を、一方ではそれに添った形で演出し、他方ではそれにあえて抗うということも心がけています。
一方で、なかには作品として好きだけれども、自分がそれを舞台で実現できるイメージを持てない作品もあります。舞台でこういうイメージにしたい、こういうイメージで埋め尽つすことができると思う作品だけを取り上げるようにしています。
大切なのは「情熱」を持つということです。作品に対して個人的なつながりや情熱をもてるかが一番重要です。演出のアイデアはたった一つもっていれば良いという訳ではありません。一つのコンセプトだけで作品全部を埋め尽くすことはできない。常にたくさんのアイデアを持てるような作品を演出しようと心がけています。
観客の皆様に対して想像や思考の世界が広がるような作品、演出を心がけています。バイロイトでお迎えする演出家に対しても前提条件として当てはまります。私たちがオファーする作品に対して情熱を持っていただけるか、熱を持って取り組んでいただけるかが重要です。
劇場の姿勢、作品を世に送り出したいという気持ちがあるかどうかということも大事です。プロダクションを創らなきゃいけないから創っているという劇場もあるが、新国立劇場はそうではない。
【今回の演出の時代・場所の設定】
W
《フィデリオ》には時代を感じさせない普遍的な要素があると思います。それは例えば、権力、人間に常につきまとっている感情、そうした、時代と無関係なものだと思っています。
時代を感じさせないというのは難しいことですが、ある時代に特化していると思わせるものは使わずにいます。この作品は人間がこれまでも、この先も持ち続けるであろう様々ま要素を持っている作品だと思っているからです。
政治的なその時代の背景がオペラには常にあると思います。それがどの時代のオペラであってもテーマとして取り上げられていると思います。この作品においては“自由”が重要な役割を果たしていて、それもその時代に“自由”をどう捉えていたかということが重要なテーマです。
それはワーグナーの時代にあっても同じで変わることではありません。例えば《ニュルンベルクのマイスタージンガー》の結末は、演出家の誰もがどう扱うかに苦労するのですが、当時のテーマとしてはすんなりと、その時代だからこそ観る人も受け止めることができたテーマだったと思います。
男装する女性は我々にとってもポイントとなるテーマです。先週、歌舞伎を観たのですが、変装や早変わりがありますよね。まさにこの作品の中の変装、男装を解くという場面は重要なポイントで、積極的に今回の演出に取り込んでいます。
観客の誰もがあれは本当は女性で、男性の格好をしているということを知っている訳です。あまりにも分かりきったことなので、私たちはそれを舞台上で「男なんです」と主張することはしません。
ネタバレになってしまいますがそこだけ明かしますと、レオノーレが男性に変装する場面を皆さんの前でお見せする、という演出をしています。物語上、演出上の中で必要なプロセスだと思っています。
あきらかに女性だと分かっていて、あえて男性として登場させることに、何かしらの疑問を抱いているのだということが浮かび上がってきたこともあって、今回の私たちの演出では、あえて女性が男装する姿をみせるということが、正しい演出だと思っています。
【登場人物について】
W
夫のために闘うことはいつの時代にあっても素敵なことです。レオノーレは、私の目から見ても理想の女性像なのであろうと思います。彼のためならなんでもするであろうということも含めて。理想化された女性のイメージだと思います。
フロレスタンは「希望を常に抱いている人」として描いています。彼は自分に希望を与えてくれる要素が見えている間は希望を失わずにいられる。一方でリアリストでもあると思っています。リアリストであるからこそ、希望を与えてくれる要素がなくなったと悟った時点で、自分の境遇に対して非常にリアルな物の見方をするという展開です。
フロレスタンは非常に賢明で、リアリストであるからこそ自分の運命に逆らわずに、ある時点からは受け入れることができる人。無駄な戦いはしないという人。現実的な見解を持つことができる男性です。
【結末について】
ダニエル・ウェーバー
観ていただいたお客様に考えてほしいと思っていますので、余白の部分は残っています。全てに対して具体的な答えを用意している訳ではなく、考えていただくための示唆をあたえるような演出になっています。「こういう考え方もありますよ」というお手伝いをするような演出要素はそこかしこに散りばめていますが、はっきりと明示することはしません。音楽でも言い切っている訳ではないと我々は考えているからです。
見解を押しつけるのではなく、最後に「?」をつけて「こういうことも考えられるのではないですか」というメッセージです。結末に関しては、間違いなく観た方それぞれが何かしら考える余地がある、オープンな結末になっているので、自分がどう捉えるかを考えていただきたい。
W
日本の皆さんに限らず我々全員が感じていることだと思いますが、時にはある一定の権力に対して闘っても無力だと思い知らされる部分があって、どうするのかはお一人おひとりに考えていただくしかない。
フロレスタンのようにどこかで現実的になって、これ以上戦っても意味があるのだろうかと考え始める人もいるかもれしれません。辛い思いをしてこれ以上苦悩することに意味があるのか、それが何か意味をもたらしてくれるのかと考え始めることもあるだろうと思います。
いま世界中で政治的な状況が取り巻いていて、オペラにも必ず政治的な意味合いが入っていると思います。だからといって私たちの演出に政治家が登場するわけではなく、それが分かる形で特定の政治家を登場させることはありません。しかしながら、誰にとっても示唆するようなポイントがこの作品にあると思っています。
【オペラの可能性】
W
オペラにはこの先も、可能性があると思っています。それはオペラというジャンルには人々の感情に訴えてくるものがあるからです。生の舞台で体験することに人々が価値を見出している。例え同じ演目であっても日によって違う。一度きりの体験であり、かけがえのないものだとご存じだからこそ皆さんが劇場に足を運ぶわけです。音楽だけでなく、視覚的な要素が加わることで、かけがえのない体験になるので、この先、未来においてもオペラには可能性があると思っています。
【公演情報】
新国立劇場 開場20周年記念特別公演
オペラ《フィデリオ》/ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
2018年5月20日(日)14:00
5月24日(木)14:00
5月27日(日)14:00
5月30日(水)19:00
6月2日(土)14:00
新国立劇場オペラパレス
指揮:飯守泰次郎
演出:カタリーナ・ワーグナー
ドラマツルグ:ダニエル・ウェーバー
美術:マルク・レーラー
衣裳:トーマス・カイザー
照明:クリスティアン・ケメトミュラー
ドン・フェルナンド:黒田 博
ドン・ピツァロ:ミヒャエル・クプファー=ラデツキー
フロレスタン:ステファン・グールド
レオノーレ:リカルダ・メルベート
ロッコ:妻屋秀和
マルツェリーネ:石橋栄実
ジャキーノ:鈴木 准
囚人1:片寄純也
囚人2:大沼 徹
問:新国立劇場ボックスオフィス03-5352-9999
http://www.nntt.jac.go.jp/opera/