
東京藝術大学を首席で卒業し、同大学大学院修士課程を経てグラーツ芸術大学ポストグラデュエートを修了したピアニストの實川風。2015年ロン・ティボー国際コンクール第3位および最優秀リサイタル賞・最優秀現代曲賞、16年カラーリョ国際ピアノコンクール(イタリア)第1位など数多くの受賞歴を持ち、国際的にも活躍の幅を広げてきた。24年からは母校の専任講師に就任し後進の育成にも力を注ぐなど、多角的にキャリアを重ねている。そんな彼が今年デビュー10周年を迎え、記念リサイタルを開催する。
「これまで取り組んできた作品と、今もっとも興味が向いているものを両方入れたプログラムにしたいと思い選曲していきました。CDデビューから10年という節目を迎えるので、自分のこれまでの歩みと現在を同時に示せるものにしたかったのです」
リサイタルは3部構成。第1部では近年力を入れているモーツァルトにバッハなど、第2部ではシューマン、ショパン、リストとロマン派を代表する作曲家たちの作品が選ばれた。そして第3部ではジョン・ケージ、實川作曲による新作(世界初演)、そしてバッハ「15のシンフォニア」全曲が演奏される。
「コロナ禍以降、バッハの作品を弾くことが増えており、とくに『シンフォニア』はここ2年ほど、毎日必ず練習の最初などで弾いている大切な曲です。感情を揺さぶられすぎることなく、喜びに浸ることができますし、耳や心も開いていく感覚があって、今の自分をもっとも自然に表せます。今回のリサイタルでこれを全曲演奏する、ということが最初に決まりました」
“音楽の父”が導いてくれた、ひらかれたマインド
バッハにしっかりと向き合うようになったことで、モーツァルトの音楽との距離も縮まったという。
「バッハを深く弾くようになって、モーツァルトの音楽の作り方が自然に捉えられるようになりました。昨年チェンバロを購入して日常的に弾くようになり、モーツァルトの音色やタッチの感覚がピアノでも掴みやすくなったことも、かなり影響していますね。以前は人前でモーツァルトを弾く際、どこか構えてしまうところがあったのですが、バッハを通じてその壁が取り払われたように感じています。今回選んだ2つの小品(アダージョ K.540&ロンド K.485)は特に最近よく弾いている曲で、モーツァルトの様々な魅力をお聴きいただけると思います」
第1部の最後を飾るのはブラームス編曲によるバッハ「シャコンヌ」。この曲はブゾーニ版を弾くピアニストが多く、實川も演奏してきた。今回あえてブラームス版を選んだ理由をこう語る。
「ブゾーニ版は壮大でドラマチックですが、原曲を知るにつれ、ピアニストが片手で演奏できるよう移し替えたというブラームスのコンセプトに惹かれました。技術的な限界をあえて残しているところに、作品としての強さを感じるのです。そして今回第1部にはレスピーギの『リュートのための古風な舞曲とアリア』からの抜粋も入れましたが、これは『シャコンヌ』の舞曲としての性格や、モーツァルトの作品にあるオペラ的な対話性などと音楽的なつながりを感じたからです」
第2部には、ショパンの幻想曲やリストの「ダンテを読んで」など、實川が学生時代から大切にしてきたロマン派のレパートリーが並ぶ。
「バッハや古典派を集中的に勉強してからロマン派に戻ると、以前見えなかった部分が見えるようになり、新しい発見がたくさん出てきました。とくにショパン作品のポリフォニーや色彩感がより鮮明に感じられるようになったことは大きいですね。長く弾いてきた作品だからこそ、その時々の自分の状態や経験によって新しい側面が見えてくるので、今回はそうした変化も演奏に反映できればと思います」

節目の年、満を持して届けるオリジナル・ピアノソロ曲
第3部では、まずケージの「ある風景の中で」、そして實川書き下ろしのピアノソロ作品「3つの慰め」が続く。
「第2部から一転し、静謐なケージの作品を置くことで、プログラム全体に強いコントラストが生まれますし、そもそも彼の世界観がとても好きなのです。また、ケージの静けさが自作曲につながる空気感を生み出す役割も果たしてくれるかなと」
實川が作曲に取り組むようになったのはここ2、3年のこと。そしてピアノソロ作品を書くのは今回が初だ。
「最初は弦楽器のための作品が中心で、弦楽トリオやチェロとのデュオ、フルートとのアンサンブルなど、他の楽器の音色を活かした作品を書いてきました。今回はせっかくの機会ですから、ピアニストとしての自分の音を形にしたいと思い、ピアノのための作品を作ろうと。『3つの慰め』の各曲のタイトルは、モーツァルトとフォーレのレクイエム、そしてオネゲルの交響曲第3番と、大好きな作品から着想を得たラテン語の言葉が元になっています。私はキリスト教徒ではありませんが、音楽そのものが“慰め”や“祈り”のような役割を果たすことへの共感が根底にあってこのようなタイトルになりました。3曲はそれぞれ独立した作品ですが、組曲としてまとまるように構成しています」
バッハを軸に、古典派・ロマン派・現代、そして自作へと広がるプログラムは、實川の10年の歩みと新たな挑戦が一つの流れとして結ばれた構成となっている。實川の現在とこれからを鮮やかに示す公演となるだろう。
取材・文:長井進之介
實川風 デビュー10周年記念 ピアノ・リサイタル
2026.10/3(土)13:00 浜離宮朝日ホール
曲目
【第1部】
モーツァルト:アダージョ ロ短調 K.540、ロンド ニ長調 K.485
レスピーギ:リュートのための古風な舞曲とアリアより「イタリアーナ」「シチリアーノ」
バッハ(ブラームス編):シャコンヌ ニ短調 BWV1004
【第2部】
シューマン(クララ・シューマン編):君は花のよう op.25-24
ショパン:幻想曲 へ短調 op.49
リスト:ダンテを読んで ―ソナタ風幻想曲―(巡礼の年第2年「イタリア」より)
【第3部】
ジョン・ケージ:ある風景の中で
實川風:3つの慰め〜ピアノソロのための〜(2026・初演)
「Lacrimosa」「Sanctus」「dona nobis pacem」
バッハ:15のシンフォニア BWV787-801
問:MIYAZAWA & Co. info@miy-com.co.jp
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長井進之介 Shinnosuke Nagai
国立音楽大学大学院修士課程器楽専攻(伴奏)修了を経て、同大学院博士後期課程音楽学領域単位取得。在学中、カールスルーエ音楽大学に交換留学。アンサンブルを中心にコンサートやレコーディングを行っており、2007年度〈柴田南雄音楽評論賞〉奨励賞受賞(史上最年少)を機に音楽ライターとして活動を開始。現在、群馬大学共同教育学部音楽教育講座非常勤講師、国立音楽大学大学院伴奏助手、インターネットラジオ「OTTAVA」プレゼンターも務める。
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