今年5月から6月にかけて、ベルギーのブリュッセルで開催されたエリザベート王妃国際コンクールでファイナリストとなり、地元の聴衆からも圧倒的な支持を得たのが中国・上海出身のジアシン・ミンさん(1996年生)です。このたび、 来年1月に初来日することが決定! 浜離宮朝日ホールでのリサイタルを前に、オンライン・インタビューで東京公演への期待を語ってくれました。
取材・文:高坂はる香
ブリュッセルから始まる新しい物語
—— ファイナリストとなったエリザベート王妃国際コンクールでは、聴衆から圧倒的な支持を集めていました。反応をどう感じましたか?
これまで接した中でもっとも熱心な聴衆でした! コンクールを通じて、今後ずっと大切にしていくことになる多くのものを得ました。同時に、自分にはまだまだ改善の余地があること、音楽的な高みを目指せることにも気づきました。

—— 入賞せずとも、すぐに地元のホールで特別コンサートが企画されたことに、人気がどれだけ高かったかが表れていますね。
ありがたいことです。これからブリュッセル中心にいろいろな場所で演奏会が予定されています。実は国際コンクールを受けるのはこれが初めてでした。ジュリアード音楽院での勉強を終え、次の留学先を探していた頃にパンデミックが起こって中国に帰らざるを得ず、演奏活動がほとんどないまま4年間を過ごしました。
その後この1年はロンドンに留学してこの夏に学校を卒業。このままロンドンを拠点に活動を始めようというところです。
これまでコンサートの仕事がほとんどなかったので、ここからキャリアがスタートして可能性が広がっていくことが楽しみです。みんなから言われて、最近演奏会情報をお知らせするためのSNSアカウントをやっと作ったところです……まだ使いこなせていませんが!
—— コンクールでは新作課題の協奏曲を準備するため、ファイナリストは全員1週間、エリザベート音楽院のチャペルに滞在しました。一緒に滞在していた吉見友貴さんが、ミンさんはとてもユニークでおもしろい方だと言っていましたよ!
そうですか?(笑)……もしかしたら、ダイニングでみんながおしゃべりをしている中でも、私だけずっと何か食べているのを見てそう思ったのかも! 私が幸せを感じるのは、おいしいものを食べているときと料理をしているとき。食べることは私の人生においてとても重要な部分を占めているんです。
チャペルでの生活は、豊かな自然があり、通信機器を預けることで外界との接触もなくピアノに打ち込むことができ、そのうえダイニングの冷蔵庫にはフルーツやお菓子など常においしいものが入っていて、最高の環境でした(笑)。

シューベルトの音楽は、100%幸せではないほろ苦さ
—— 今回は日本での初リサイタルですね。
はい、リサイタルは初めてですが、旅行では何度も行ったことがあります。旅は最高のリラックス方法です。京都や箱根にも行きました。特に東京は街から感じる空気感がとても好きです。
—— プログラムはどのように選んだのですか?
まず、メインとして「完全にロマン派ではない大きな作品を」と思い、シューベルトのハ短調のピアノ・ソナタを選びました。その前に、スカルラッティのソナタ変ホ長調 K.475、シューベルトと同じハ短調でフーガの要素を持つ興味深い作品である、ソナタK.58を置きました。
後半は雰囲気が変わります。これまでフランス音楽はあまり演奏してきませんでしたが、ドビュッシーの「ベルガマスク組曲」には独自の世界を生む魔法のような魅力を感じます。
その後、「全体を締めくくる何か力強い作品を」と思い、プロコフィエフのピアノ・ソナタ第2番を選びました。ドビュッシーともよく合うと思います。
—— 幅広い時代の作品が並びましたね。
一人か二人の作曲家によるプログラムも、彼らを掘り下げて理解してもらう意味ではとてもパワーがあると思います。一方、今回のようにさまざまなスタイルを取り上げると、音楽を構築する上での自分の考えを示せるので、どんなピアニストなのか知ってもらえるおもしろさがあると思ったので。
—— シューベルトはお好きですか?
はい、彼の音楽には、幸せだけれど100%幸せではないほろ苦さを感じます。悲しみの中にいるけれど希望は捨てていない。常に何かの中間地点にいる感じ。核心を捉えるのが難しいけれど、だからこそおもしろいと思います。
そのため、聴き手はあらゆる解釈を許されます。同じ演奏でも、幸せな時に聴くと楽しい曲に、辛い時に聴くと悲しい曲に感じるかもしれません。共感できる形で私たちに語りかけてくるといえるでしょう。
—— つまり、聴き手があなたが抱いていたのとは異なる感情を受け止める場合があっても良いということ?
もちろん! だって人と話す時でも、相手は自分の解釈で話を受け取るものでしょう。重要なのは、自分が捉えた音楽をそのまま伝えるということ。聴き手はそこからそれぞれ人生に必要なものを受け取っていくのだと思います。

—— 演奏を聴きながら、小柄な体でどのようにあのよく届く音を鳴らしているのだろう思っていました。クリアに響く音を生むコツはあるのでしょうか。
普段の練習では特に何も考えていませんが、本番の会場でタッチを調整することはあります。大ホールがいっぱいになっているときは、一番遠くの席に音が届くよう鍵盤を深く押し込み、そのあとに身体をリラックスさせる感覚が必要です。技術そのものより、遠くに耳を置く感覚のイマジネーションが重要かもしれません。
音楽なら、あらゆる障壁を越えて自分を伝えることができる
—— そもそもどのようにピアノを始めたのですか?
これは母が、私がピアノを始めたきっかけを聞かれたときに答えるお気に入りのエピソードなんですが……1、2歳の頃、家族で隣の家に遊びに行ったら、ソファが狭くて座りきれなかったとかで、その家にあったピアノの椅子に私を座らせたらしいんです。すると私が勝手に一つ一つ鍵盤を押さえながら、音を聴いて確かめていたんですって。それを見た隣人が「この子は音楽に興味がありそうだからレッスンを受けさせたほうがいい」と言ったらしく、そこから音楽幼稚園に通い始め、今に至ります(笑)。
—— ソファが狭かったことが運命を変えましたね!
はい、初めはピアノに夢中で、先生から2曲課題を出されたら、勝手に20曲、30曲練習してレッスンに行っていたそうです。ただ、小学校の附属音楽学校に入ったあたりから、練習のせいで友達と外で遊べないことをストレスに感じた辛い時期もありました。でもやがて、長時間何かに集中して練習することそのものを楽しむようになったのです。
—— ピアニストになろうと決めたのはそのあたりですか?
いえ、それはもっと幼い頃だと思います。音楽幼稚園では毎月発表会があって、みんなの前で弾くことが大好きでした。
私は話す必要のないときには沈黙を楽しむタイプで、もともとおしゃべりな人間ではありません。だからこそ音楽は、自分を表現する上でとても重要なのです。世界には、言語や文化的背景の違いから意思疎通が難しい相手もいるけれど、音楽なら、あらゆる障壁を越えて自分を伝えることができます。
—— ステージが楽しくてピアニストになったということは、緊張はしないのですか?
本番前に少し不安になることはありますが、ピアノの前に座ってしまえばどう演奏するかに集中しているので、緊張は忘れます。
ただその状態になるには練習が大事です。6時間とか8時間練習に没頭して、その間は休憩もとりません。そのかわり練習が終わったら完全にリラックスして、音楽とは一切関わりません。そうやってエネルギーを充電すれば、翌日また長時間音楽に没頭できます。これは私の習慣のようなものです。
集中する方法を知ること、自分を深く理解することで、緊張から解放され、音楽に没頭する術を体得できたのだと思います。

ピアニストは架け橋のような存在
—— 中国で学んだあと、ジュリアード音楽院に留学されました。セルゲイ・ババヤン、マッティ・ラエカリオ両氏のもと、どんなことを学びましたか?
若い頃は、真に楽譜を読むとはどういうことか、先生に言われた通りに弾くだけではだめだということをわかっていませんでした。でもアメリカで学んだ数年間で、楽譜の読み方、音楽を理解して伝えたいことを見出す方法を知りました。これこそがプロの演奏家としての基本ですから、本当に感謝しています。
二人の先生は演奏スタイルが全く違います。それぞれから作曲家のスタイルについて学んだことで、包括的で幅広い視野を得られました。
—— 楽譜からどのように自分の音楽を見出すのですか?
私は楽譜を見てすぐ弾き始めるタイプです。そこから何度も通して何も考えずに弾けるようにしていくと、ある瞬間、頭の中で音楽が聴こえるのです……自分が弾きたい形というより、作品が弾かれるべき形で。
そこからは、その音楽を鍵盤で再現する練習を始めます。最初はギャップがあって思い通りの音が出ず、ときには何が問題なのかわからないまま行き詰まることもあります。そんなときはピアノから離れ、数日後に戻ると、不思議と問題点がわかり解決することもあります。これが私が音楽を練り上げてゆくプロセスです。長い時間を要します。
—— ピアニスト、音楽家として生きていくことにどんな意義を見出していますか?
音楽は芸術です。それを生み出す演奏家という仕事ができるのは、特別で光栄なことです。
ピアニストは、架け橋のような存在です。200年前の人々と音楽を通じて繋がり、そこで自分が得たものを、聴き手や次世代に伝えていくのですから。演奏家であることの意義は、人とコミュニケーションをとり、芸術を未来に継承することにあると思います。私が目標としているのは、人生でそれを成し遂げることですね。
ジアシン・ミン ピアノ・リサイタル
2026.1/14(水)19:00 浜離宮朝日ホール
D.スカルラッティ:ソナタ 変ホ長調 K.475、ソナタ ハ短調 K.58
シューベルト:ピアノ・ソナタ第19番 ハ短調 D958
〜休憩〜
ドビュッシー:ベルガマスク組曲
プロコフィエフ:ピアノ・ソナタ第2番 ニ短調 Op.14
全席指定・税込:一般4,500円、学生2,000円(24歳以下、当日要証明書)
枚数限定SS席6,000円は完売
問:オフィス山根 contact@officeyamane.net
チケットお申し込み:
朝日ホール・チケットセンター 03-3267-9990
https://www.asahi-hall.jp/hamarikyu/event/2026/01/event3111.html
オフィス山根
https://www.mahocast.com/at/live/1780/11838
他公演
2026.1/10(土)11:30 17:30、1/11(日)11:30 登大路ホテル奈良 レストラン ル・ボワ
https://www.noborioji.com/news/2289/
2026.1/12(月)15:00 名古屋/Halle Runde
https://dbf.jp/runde/index.cfm?page=concert
ジアシン・ミン(ピアノ)
上海生まれ。2025年にエリザベート王妃国際音楽コンクールで入賞し、国際的な注目を集めた。音楽性に富み説得力ある演奏でベルギー国内外の聴衆から高く評価された。セミファイナルで演奏したモーツァルトの協奏曲の演奏は2025年のコンクール公式録音に選ばれ、リリースが決まっている。またコンクール直後、ブリュッセルのフラジェにおけるソロリサイタルに急遽招待される。チケットは発売と同時に完売、満員の聴衆が総立ちで彼女の演奏を讃えた。またこの年、ロンドンの王立音楽大学の優れたソリストのための高度に選抜された大学院課程「アーティスト・ディプロマ」を修了した。同大学ではドミトリ・アレクセーエフとヴィタリー・ピサレンコに師事した。
幼少の頃から数々のコンクールで入賞を重ねてきた。ピアノを始めてわずか2年目で上海ヤングアーティストコンクール第2位、翌年は上海芸術祭で優勝。2002年にはテレビ番組「ファイブ・スター・トーナメント」に出演し、10週連続でチャンピオンの座を守った。2004年には上海の「若い才能トップ10」に選出されている。その後もフォンテーヌブロー・ラヴェル賞第3位、第75回スタインウェイ国際ピアノコンクール優勝およびリスト賞受賞、e-ピアノ国際コンクール第4位およびロシア作品特別賞、クーパー国際ピアノフェスティバル・コンクール優勝など受賞歴を重ねてきた。
2012年、上海FM94.7の紹介により上海コンサートホールで全国デビュー。その後スペインでのコンサートに出演し、国際的なキャリアをスタートさせる。以来、クーパー・ピアノ・フェスティバル、クナイゼル・ホール、タオス音楽学校、フォーカス!フェスティバル、フォンテーヌブロー音楽美術学校など、著名なフェスティバルへの出演を重ねている。また、上海音楽院の創立57周年および60周年記念演奏会において、優秀な若手アーティスト代表としてオーケストラと共演した。
4歳でピアノを始め、2005年に上海音楽院附属の上海小音楽学校に首席で入学。副校長チョウ・ティン教授に師事した。2008年には入試免除で上海中等音楽学校へ進学。在学中は香港アジア国際ピアノコンクール優勝、第3回KAWAIアジアピアノコンクール第2位を受賞し、リリー・ニウ奨学金や上海スター・プログラム奨学金など多くの奨学金を得た。
高校卒業時、複数の著名音楽院から全額奨学金のオファーを受ける。そのなかからニューヨークのジュリアード音楽院を選び、セルゲイ・ババヤンおよびマッティ・ラエカリオ教授のもと学士号と修士号を取得した。この間、ヨヘヴェド・カプリンスキー、ロバート・レヴィン、マルク=アンドレ・アムラン、ロバート・マクドナルド、フィリップ・ビアンコーニといった著名アーティストにも学んだ。

高坂はる香 Haruka Kosaka
大学院でインドのスラムの自立支援プロジェクトを研究。その後、2005年からピアノ専門誌の編集者として国内外でピアニストの取材を行なう。2011年よりフリーランスで活動。雑誌やCDブックレット、コンクール公式サイトやWeb媒体で記事を執筆。また、ポーランド、ロシア、アメリカなどで国際ピアノコンクールの現地取材を行い、ウェブサイトなどで現地レポートを配信している。
現在も定期的にインドを訪れ、西洋クラシック音楽とインドを結びつけたプロジェクトを計画中。
著書に「キンノヒマワリ ピアニスト中村紘子の記憶」(集英社刊)。
HP「ピアノの惑星ジャーナル」http://www.piano-planet.com/






