ブルース・リウが、モーツァルトを語る
「彼は生まれながらにして世界のすべてを知っていた」

©Bartek Barczyk

Bruce Liu
ピアノ

いつもオープン・マインドに、自由な精神を保っていたい


 ブルース・リウは飾らず正直で、自然体にみえる。どこか静かで、繊細な青年だということは、ピアノを聴いても、話していてもわかる。

 今年6月の来日では、ラハフ・シャニ指揮ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団とプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番を共演した。ミューザ川崎での公演翌日、長らく愛奏するファツィオリのショールームにリウを訪ねた。「ずっと座りっぱなしだから、少し身体を動かしたいんです。歩きながら話してもいい?」ときかれて、そのままずっと立ってインタビューをした。

 秋になれば、ウラディーミル・ユロフスキ指揮バイエルン国立管弦楽団と、モーツァルトのイ長調協奏曲第23番K.488を共演する。偉才ユロフスキとも、名門バイエルン国立歌劇場を母体とし、500年以上の歴史を誇るこのオーケストラとも、今回が初顔合わせとなる。

「初めての共演となりますが、ユロフスキがディテールへの配慮が行き届いた指揮者だということは知っています。そして、オペラを得意とするオーケストラは、よく聴いてくれるし、歌手たちと演奏しているだけにフレキシブルなはず。オペラティックなアプローチはモーツァルトを面白いものにするでしょうし、たんなるシンフォニー・オーケストラにはない良さが表われてくると思います」

 才能ある若者にとっては、いろいろなことが新しい挑戦であり刺激となるのだろう。

「未知の人々と出会うのはいつだってエキサイティングだし、今回はすべてが新しい。影響を受けたくないから、彼らの演奏も聴いていません。ミステリーのままにして、知る愉しみを自分が共演するまでとっておきたい。初めての出会いは快適なことばかりではないけれど、いったん確信をつかめば、演奏には良いものがもたらされます。自分が正しいと思うことをただやり続けるのではなくて、僕はいつもオープン・マインドに、自由な精神を保つようにしていますから」

 では、モーツァルトの名作、イ長調協奏曲第23番K.488に、彼はどのような愛着を抱いてきたのだろう?

「モーツァルトのコンチェルトは大半が長調で書かれていて、言ってみればわりと似ています。古典の形式で、いつも3楽章で書かれ、ソナタ形式が多用されて、その意味では僕が新たに言うべきことはない(笑)。ですが、この曲がオーボエではなく、クラリネットを用いているのはかなり珍しくて、そこにはなにかとても穏やかなものがありますね」

 モーツァルトのコンチェルトと言えば、私がリウの演奏を初めて聴いたとき、2016年の仙台国際音楽コンクールのファイナルで弾いたへ長調協奏曲K.459で、節度ある統制をもちつつ、声部の描き分けにも細かな配慮を行き届かせていたのが、明確に記憶に残っている。それだけに意外にも思えたが、モーツァルトの協奏曲をリウが公開で弾くのは実はそれ以来で、この曲も初めての取り組みとなるというのだ。

「あれはもう10年くらい前のことですよね(笑)。どこか自分と似ているとは言わないけれど、モーツァルトで尊敬すべきは、成熟とイノセンスの間のコントラストですよね。モーツァルトは無垢だと人々は言いますが、そうではなくて、彼は生まれながらにしてすでに世界のすべてを知っていた。彼の天才的なところは、それを非常に純粋なかたちで表現したことです。実世界を生きるうえで、これはとても素晴らしい方法だと僕は思う。世界を理解したうえで、それを非常にシンプルに表現するのは、決して単純なことではない。すべての音に行間の意味のようなものがあります。それこそがモーツァルトの尊敬すべきところだと思います」

 この混沌とした世界を音楽家として生きぬくうえで、そうしたシンプルさと複雑性の間に、リウ自身はどのようなバランスをとっているのだろうか。

「難しい質問ですね(笑)……こうした問いについて考えている時点で、もう充分に複雑になってしまっていませんか? 二種類の人間がいるのだと思います、イノセントだけれどものを知らない人と、知ってはいるけれど無垢であろうと努めている人と。もちろん、価値があるのは後者でしょう。正直なところ僕にはわかりません、その問いには答えがないんじゃないかな。どうあれ、自分自身であることがとても大切だと僕は思っています」

取材・文:青澤隆明
(ぶらあぼ2025年8月号より)

ウラディーミル・ユロフスキ指揮
バイエルン国立管弦楽団

出演/ブルース・リウ(ピアノ)

2025.9/26(金)19:00 サントリーホール
曲目/モーツァルト:交響曲第32番 ト長調 K.318、ピアノ協奏曲第23番 イ長調 K.488
R.シュトラウス:ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯、組曲「ばらの騎士」

2025.9/27(土)13:30 ミューザ川崎シンフォニーホール
曲目/ワーグナー:歌劇《タンホイザー》より序曲
モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番 イ長調 K.488
ブルックナー:交響曲第4番 変ホ長調 「ロマンティック」 WAB104
       第2稿(1878/80)新ブルックナー全集(コーストヴェット校訂版)

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青澤隆明 Takaakira Aosawa

書いているのは音楽をめぐること。考えることはいろいろ。東京生まれ、鎌倉に育つ。東京外国語大学英米語学科卒。音楽評論家。主な著書に『現代のピアニスト30—アリアと変奏』(ちくま新書)、ヴァレリー・アファナシエフとの『ピアニストは語る』(講談社現代新書)、『ピアニストを生きる-清水和音の思想』(音楽之友社)。そろそろ次の本、仕上げます。ぶらあぼONLINEで「Aからの眺望」連載中。好きな番組はInside Anfield。
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