Herbert Blomstedt 1927–2026
現代を代表する指揮者、ヘルベルト・ブロムシュテットが11月4日、スウェーデン・ヨーテボリの自宅で亡くなった。享年99。

1927年、スウェーデン人の両親のもと、米国マサチューセッツ州に生まれ、幼少期にスウェーデンへ移住。ストックホルム王立音楽院ならびにウプサラ大学で最初の音楽教育を受けたのち、ニューヨークのジュリアード音楽院に入学して指揮を学ぶ。また、ダルムシュタットで現代音楽を、バーゼルのスコラ・カントルムで古楽を学んだ。ザルツブルクではイーゴリ・マルケヴィチ、タングルウッドではレナード・バーンスタインに師事。
1954年、ロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団を指揮してデビュー。その後、オスロ・フィルハーモニー管弦楽団、デンマーク放送交響楽団、スウェーデン放送交響楽団などの首席指揮者を務め、キャリアを重ねる。1975年から85年までシュターツカペレ・ドレスデンの首席指揮者、85年から95年までサンフランシスコ交響楽団の音楽監督、96年から98年までハンブルク北ドイツ放送交響楽団(現NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団)の首席指揮者を歴任。98年から2005年はクルト・マズアの後任としてライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の首席指揮者(カペルマイスター)を務めた。このほか、ベルリン・フィル、ミュンヘン・フィル、ロイヤル・コンセルトヘボウ管、ボストン響、シカゴ響、クリーヴランド管、ニューヨーク・フィル、フィラデルフィア管など、世界の主要オーケストラに客演している。
ベートーヴェン、ブラームス、ブルックナーなど独墺音楽の解釈で高い評価を得る一方、シベリウスやニールセン、ステンハンマルをはじめ北欧の作品にも深い愛情を注いだ。楽譜を丹念に読み解き、作曲家の意図を伝えることを重んじ、楽団員一人ひとりへの敬意をもってオーケストラと向き合う姿勢は、音楽家から篤い信頼を集めた。そのあたたかで献身的な人柄は、自身のコレクションから数十点の楽器をゲヴァントハウス管に寄贈したというエピソードからもうかがえる。90代後半に入っても旺盛な指揮活動を続け、今年4月にはベルリン・フィルでブルックナーの交響曲第7番、5月にはデトロイト響でマーラーの交響曲第9番などを指揮。生涯最後の演奏会となったのは、5月15日、かつて音楽監督を務めたサンフランシスコ響との共演だった。演目はマーラーの交響曲第9番。演奏中に体調不良による中断もあったが、最後まで指揮を執った。

1973年、シュターツカペレ・ドレスデンの客演指揮者としての初来日以来、日本とも深い関わりを築いてきた。NHK交響楽団とは1981年に初共演し、86年に名誉指揮者、2016年には桂冠名誉指揮者となった。近年もたびたび来日し、2024年、25年にはN響の定期演奏会を指揮。日本での最後の出演は、2025年10月のN響定期公演 Cプログラムで、ブラームスのピアノ協奏曲第2番(独奏:レイフ・オヴェ・アンスネス)、そして交響曲第3番を披露した。今年10月にも同楽団との共演を予定していたが、体調不良により来日は実現しなかった。また、9月には長年の功績が称えられ、第37回高松宮殿下記念世界文化賞の音楽部門を受賞したことが発表された(10月の授賞式は欠席)。
長年にわたるN響との共演のなかで、楽団員たちとの間には深い信頼関係が育まれた。
「奇を衒うことのない音楽づくり。リハーサルでは本当に当たり前のことしかおっしゃらない。でも先生が思い描いた音楽が実現すると、本当に嬉しそうな顔をされる。その笑顔が見たくて、私たちもその理想に近づこうとしていました」
また別の楽団員は「マエストロは奏者にも大きな自由を与えてくれていました。指揮する手の軌跡の向こうに音楽がキラキラ輝いて見えるようで、無意識のうちに引き込まれ、あっという間に演奏が終わってしまうような感覚でした」と語る。N響の精鋭たちにとっても、ひときわ特別な存在だったことが伝わってくる。音楽への揺るぎない誠実さ、そして深い人間愛があの透明感と生命力に満ちた音楽にそのまま表れているようだった。
今年6月、N響を通じて日本の聴衆に寄せたメッセージには、こんな言葉が残されている。「私は心の中でみなさまと共にありますし、みなさまのことを決して忘れることはありません」。半世紀以上にわたり日本の聴衆と分かち合った音楽は、これからも人々の記憶に生き続けるだろう。
文:編集部
