第5回 Shigeru Kawai 国際ピアノコンクール、植田克己審査委員長と優勝者ギジェルモ・エルナンデス・バロカルに聞く

7月26日から8月3日まで開催された第5回 Shigeru Kawai 国際ピアノコンクールは、スペインの17歳、ギジェルモ・エルナンデス・バロカルの優勝で幕を閉じた。回を追うごとに出場者の演奏レベルも向上し、今年は優勝賞金も倍増。国内の実力者たちはもちろん、海外の若いピアニストたちからの注目度も高まりつつある中での開催となった。

第5回の参加者たち ©Shigeru Kawai 国際ピアノコンクール

取材・文:高坂はる香

 今回の第5回 Shigeru Kawai 国際ピアノコンクールでは、日本からは審査委員長の植田克己はじめ、小川典子、三木香代、岡本美智子、海外からは、フィリップ・ジュジアーノ、ケヴィン・ケナー、パーヴェル・ネルセシヤンの計7名が審査にあたった。ここでは、審査委員長と、優勝者ギジェルモ・エルナンデス・バロカルのインタビューをご紹介する。

 ファイナル終了後のレセプションでは、審査員たちがファイナリストと真剣に話し込む姿がたくさんみられた。こうした場でのフィードバックが若者たちの次のステップにつながってゆくのだろう。

6人のファイナリストたち
左より)ピエトロ・フレサ、ラファエル・キリチェンコ、大山桃暖、山本悠流、朴沙彩、ギジェルモ・エルナンデス・バロカル

◇植田克己審査委員長

—— コンクール全体を振り返って、どのような印象をお持ちですか?

 予備予選から、どうしてこの人数しか次に通過させてあげられないのと言いたくなるくらいでした。みなさん実力が高く、どこを重視すべきかも悩ましいですし、決断は簡単ではありませんでした。時や場所、審査員が変わったら違う結果になっただろうと思います。

 それぞれのピアニストが、日本人も含め、いい意味で自己主張がありました。音楽やピアノに対するアプローチも多様で、楽器のいろいろな可能性を見せてくれたので、コンクールを主催した河合楽器の方たちはとっても喜んでいると思いますよ!

 私が審査員を務めるのは3度目でしたが、全体のレベルは確実に上がっていると思います。入賞者はみな自分の持つ力を発揮し、音を確かめながら客席に届けるということを見事に成し遂げていました。

表彰式で講評を述べる植田克己審査委員長

—— 優勝者のギジェルモ・エルナンデス・バロカルさんは、どのようなところが評価されたのでしょうか。

 いろいろな可能性がたくさん感じられるピアニストだったところだと思います。楽譜、そして作曲家にしっかり向き合って音楽に打ち込んでいることが伝わり、何か癖があるということもなく、とても音楽的で立派な演奏をされていました。

 どんなに難しいところでも無理なく自然で、私の場所からは見えませんでしたが、もしかしてニコニコしながら弾いているんじゃないかなと思うくらいでした。そういう部分は、音に表れますよね。

最年少ファイナリストが栄冠をつかんだ

—— 今回ファイナリストたちは、製造から10年のピアノ、3月にできたばかりの新品のピアノという2台のSK-EXから選んで演奏しました。

 これはすごく興味深く聴きました。この企画を実現されたことに拍手を贈りたいですね。河合楽器さんが自分たちの楽器に誇りを持っているからこそできたことだと思います。

 演奏を聴いていると、それぞれがその楽器を選んだ理由もわかっておもしろかったです。新しい楽器と年数を経た楽器には、まず感じられる特徴があるものです。フレッシュな音がいいと思う人は新品を、余裕のある音色で構えたい人は10年の楽器をというように、6人6様、自分が音楽に没頭できるピアノを選んだのでしょう。

—— 冒頭のお話にもありましたが、最近は日本の若いピアニストも個性や主張のはっきりした演奏をする方が増えたように思います。これにはどんな背景があるとお考えですか?

 私たちの若い頃を思い出すと、どちらかというと教えられたことをきちんとやって届けるということが重要視されていたように感じます。今はその場の雰囲気を感じて、自分を発散させながら音楽を生み出せる方が多くなりましたね。

 こうした変化には、よく言われることですが、グローバル化による効果が大きいでしょう。我々の先生たちの世代は、戦争もありましたし、海外に学びに行くことはほとんど不可能でした。

 その後我々の世代になってようやく音楽学生が留学することも可能な世の中になり、そこで初めて、欧米で人々がクラシック音楽に何を欲しているのか、どんなふうに楽しんでいるのかを知ることができました。そうして持ち帰ってきた知識を次の世代に伝えることで、音楽の裾野が広がって行きました。

 それがここにきてさらに、どこにいてもあらゆることが一瞬にして調べられる世界になったことで、日本の演奏家の変化が加速しているように思います。もちろん、実際にその場所で体験しないとわからないこともありますけれど。

ファイナルの会場・渋谷区文化総合センター大和田には多くの聴衆が詰めかけた

◇第1位 ギジェルモ・エルナンデス・バロカル(スペイン)

—— ファイナルでは、2台のピアノから新しいほうのSK-EXを選んで演奏されました。選択の理由は?

 2台の違いを具体的に言葉で説明するのは難しいですが、どちらも非常に優れていて扱いやすく、私のタッチにもとてもよく応えてくれました。どちらで弾いてもまったく不安は感じなかったと思いますが、直感的に、よりパーソナルな感覚を持てたほうを選びました。

ファイナルのステージより ©Shigeru Kawai 国際ピアノコンクール

—— 選曲していたシューマンのピアノ協奏曲との相性を考えた部分もありますか?

 ピアノセレクションのときメインテーマを両方のピアノで弾いてみました! 選んだピアノのほうが少し弾きやすく感じたのですが……気のせいかもしれません(笑)。

—— ファイナルの演奏を聴いていて、あなたがあのテーマを愛しているんだろうなということが伝わってきました。

 あのメロディは本当にすばらしく、真に心に響くものがあります。シューマンの最もパーソナルな表現の一つだと思います。シューマンは私の心に最も近い作曲家の一人です。

—— 特別な思い入れのあるレパートリーなのでしょうか?

 思い入れというよりは、一番長い関係性がある協奏曲です。私が初めて舞台に立ったのは11歳で、初めてコンチェルトを演奏したのは12歳なのですが、そのときに2回弾いたのがこの曲でした。……そんなわけでこの協奏曲とは長い関係性があるといったのですが、もちろんそれは相対的にという意味で、時間でいうとたった5年です(笑)。

—— まだ17歳ですもんね! ピアノはどのように始めたのですか?ピアノの何が特別なのでしょうか。

 私は歌い手としてはとても残念な感じで……声もひどいんです(笑)。だから、詩的な言い方をするなら、僕にとってピアノは歌うための方法です。もともとは何か音楽を勉強したいと思ったとき、身近にキーボードがあったことがきっかけです。弾き始めるとすぐピアノに心惹かれ、やがてどうしようもないほど恋に落ちてしまいました。

—— このコンクールは、現在師事しているマルティン・ガルシア・ガルシアさんの勧めで参加されたそうですね。彼から学んだ最も大きなことはなんでしょうか?

 私が今も彼から学び続けているのは、さまざまなものから学び続けることを決してやめないという考え方です。加えて、音楽や作曲家に向き合ううえで知るべき見識、守るべき姿勢、そして真に芸術的な誠実さも学びました。

 彼は細部にこだわる人で、最も魅力的な音楽家だと思います。こんなに細部まで気を配る人には今まで会ったことがありません。そしてその緻密さこそが、音楽がすばらしく聴こえることの答えなのです。

 彼から学んだのは、終わりのない探求――音楽を響かせるための試みを続ける姿勢です。音楽家として生きる姿勢には、人生に対する姿勢がそのまま表れます。

セミファイナルのステージより ©Shigeru Kawai 国際ピアノコンクール

—— ところで、音楽以外の趣味は?

 読書が好きです。どんなジャンルでも読みますが、特に哲学書をよく読みます。スポーツではテニスが好きなのと、サーフィンもします。実はピアノより長くて、6歳のときから波に乗っていました。

 私は社交的なタイプなので、友達と過ごす時間も好きです。あと折り紙も好きです。32ピースで作った作品の写真があるから、あとで見せてあげたい! 他にも、糸で遊ぶ……あやとりもできます。

 じっとしているのは性に合わず、何かしていないと落ち着かないので、いろいろなことをしていつも忙しくしています。音楽を聴きながら長い散歩をするのも好きで、犬と一緒にたくさん歩きます。散歩の時はオーケストラ作品、特にブラームスをよく聴きます。こういうときはピアノから少し離れて、いろいろな作曲家の作品に触れています。

—— 海の近くで育ったのですか?

 はい、海の近くの街で育ちました。それとマドリードから200キロほど離れたスペイン北部の海辺に祖父母のビーチハウスがあって、夏はほとんどそこで過ごしました。ときには春や秋も。私の真のインスピレーションは、あの場所に由来しているのです。

写真:無印=編集部


高坂はる香 Haruka Kosaka

大学院でインドのスラムの自立支援プロジェクトを研究。その後、2005年からピアノ専門誌の編集者として国内外でピアニストの取材を行なう。2011年よりフリーランスで活動。雑誌やCDブックレット、コンクール公式サイトやWeb媒体で記事を執筆。また、ポーランド、ロシア、アメリカなどで国際ピアノコンクールの現地取材を行い、ウェブサイトなどで現地レポートを配信している。
現在も定期的にインドを訪れ、西洋クラシック音楽とインドを結びつけたプロジェクトを計画中。
著書に「キンノヒマワリ ピアニスト中村紘子の記憶」(集英社刊)。
HP「ピアノの惑星ジャーナル」http://www.piano-planet.com/