
2024年9月12日、日本合唱界の巨星、田中信昭が96歳で帰天された。8月31日に「東混オールスターズ」で、指揮台にピョンと飛び乗っての矍鑠(かくしゃく)たる指揮姿を見せた直後の急逝であった。
改めて説明するまでもないが、1956年に東京藝術大学声楽科卒業と同時に同学の仲間と日本初の独立したプロ合唱団、東京混声合唱団を創設し常任指揮者となった田中は、「優れた日本語の作品の創造」を標榜し470曲ともいわれる膨大な作品を初演、日本の合唱界に大きな足跡を残した。その合唱指揮者としての手腕は、ドイツのヴィルヘルム・ピッツ、スウェーデンのエリック・エリクソンという巨人と並ぶ世界最高峰の水準に達していた。

びわ湖ホール声楽アンサンブルと田中の関わりは、2005年の第29回定期公演に始まる。爾来23年の「びわ湖の春 音楽祭」まで、9回の定期公演、3回の東京公演(プログラムは定期公演と同じ)、その他の公演にも関わり、18年には名誉指揮者の称号を贈られている。
東京混声合唱団では常に委嘱作品中心の「攻めたプログラム」を指揮した田中だったが、びわ湖ホール声楽アンサンブルでは、オペラ歌手である彼らと豊富なレパートリーから演目を組み上げ、またひと味異なる多彩な楽曲を聴かせた。東京混声合唱団の定期演奏会の指揮台に立たなくなった後も、びわ湖ホール声楽アンサンブルのコンサートには出演、全ての曲目を指揮し続けた。
このように田中と深い縁があり、次回の共演も計画されていたびわ湖ホール声楽アンサンブルが、9月6日に追悼コンサートを催す。生前の定期公演は小ホールで行なっていたが、追悼コンサートは大ホールでの公演だという。声楽アンサンブルの思いの大きさ、深さが窺える。長年ピアノで共演してきた中嶋香夫人を迎え、過去に歌った作品を中心に、田中と縁の深い作曲家、権代敦彦の作品の初演も含めたプログラムが準備されているという。

田中は「歌をうたうとは何か?」「合唱とは何か?」「生きるとは何か?」を確たる姿勢で探求する合唱指揮者人生を送った。その問いかけは、自身だけでなく、周りにいる多くの人々にも発せられた(東京藝大での生徒であった筆者もそのひとりで、我々学生は信昭(しんしょう)先生と呼んだ)。それ故に、田中が指揮した合唱団は、合唱団ごとの異なる「答え」を歌う。先生の強烈な薫陶は、その指揮に従わせるのではなく、メンバー個々人との化学反応によって、千差万別の「答えとしての歌声」となる。そしてその中核には常に発信者・田中信昭が居た。
今、その核となっていた先生は、もうこの世にいない。蒔き続けた問いかけが結実するのは、ひょっとしたらこれからなのかもしれない。中嶋香とびわ湖ホール声楽アンサンブルは、追悼公演でどんな「答え」を客席の聴衆と天上の田中信昭に届けるのだろう? 刮目すべき公演となるだろう。
文:國土潤一
(ぶらあぼ2025年8月号より)
びわ湖ホール声楽アンサンブル 田中信昭氏追悼公演
愉しく、美しく、すてきな合唱を永遠に
2025.9/6(土)14:00 びわ湖ホール 大ホール
問:びわ湖ホールチケットセンター077-523-7136
https://www.biwako-hall.or.jp/

