近野賢一の若い声は、柔らかな甘い響きで、ドイツ語のディクションもよく聴きやすく、とても魅力的だ。近野の師匠でもある大ベテラン岡原慎也のピアノは美しく、的確な表現でサポートし、しかもシューベルト晩年の音楽の奥行きを随所で知らしめてくれる。「あふれる涙」から「川の上で」にかけての雄大なメロディは、実に味がある。「鬼火」も不思議な感覚を焙り出す。「休息」の最後の2行が独特の表現でうごめく。「春の夢」には、夢の甘さ、醒めた残酷、それでも夢みたいという小ドラマがある。「霜おく髪」のピアノの表情が繊細で美しい。そして「辻音楽師」の虚無的な寂しさ。見事な演奏だ。
文:横原千史
(ぶらあぼ2023年1月号より)