
文:香原斗志
今年もカレーラスを聴ける。いまもカレーラスと同じ時代を歩んでいることに、感謝するほかない。
「ホセ・カレーラス」の名がオペラ界の枠を大きく越えたのは、1990年7月7日のことだった。その晩、FIFAワールドカップ・イタリア大会の決勝前夜祭として、故ルチアーノ・パヴァロッティ、プラシド・ドミンゴとともに、ローマのカラカラ浴場で開催したコンサートが、空前の成功を収めたのだ。
すでに傑出したテノールとして世界に名を馳せていたカレーラスら3人。「三大テノール」として初のコンサートが、クラシック音楽の記録を大幅に塗り替えるとは、だれも想像しなかったという。コンサートの模様を視聴した人は一晩で8億人に達し、それを収録したCDは1600万枚も売れた。
そもそもライバル同士のテノールが一緒に歌うこと自体、型破りだったが、それが実現したのはカレーラスがいたからだった。1987年、人気も実力も世界の頂点にいたカレーラスは、白血病に襲われた。だが、化学療法ののちに骨髄移植という困難な闘病を乗り越え、九死に一生を得て翌88年、舞台に帰ってきた。「三大テノール」のコンサートは、この復活を祝福する目的があればこそ実現したのである。
筆者がカレーラスの歌をじっくり聴き込んだのは、この「三大テノール 世紀の競演」のレーザーディスクやCDがはじめてだった。甘い声のいいようがない魅力と情熱的な歌唱、その情熱を支える深い精神性に心を打たれ、重ねて聴くたびに味わいが深まった。

旋律から深い精神性がにじむ
その後、病に倒れる前の歌唱を聴き、《ドン・カルロ》や《アンドレア・シェニエ》、《カルメン》などにひたすら感服させられた。艶やかな声、豊かで気高い響き、若々しい情熱。それらが交錯して胸に迫った。
歌いながら少し恍惚となったり、喘ぎに近いような高音を出したりと、音符をはみ出してしまう熱唱もカレーラスの特徴だった。もっと端正に歌ったほうがいい、という声もあったようだが、踏み込みすぎた表現にも、歌唱全体をさらに輝かせる味わいがあった。
それにくらべると、病後は以前のようには声が湧き出なくなったが、あらたに獲得できたこともあった。より歌唱に血が通い、歌詞の一語一語が深い意味をたずさえ、旋律から深い精神性が絶えずにじむようになったのである。「三大テノール」のコンサートで何億人もの心を奪ったのは、いっそう血が通ってからの歌唱で、そのスタイルがいまに引き継がれ、カレーラスの比類なき魅力を支えている。
独特の艶を帯びた声を、打ち震わせるように歌うカレーラス。声に宿る特別な魅力もさることながら、よろこびも、感謝も、苦悶も、叫びも、心模様が強く、ときに激しく歌から滲んで、そのまま聴く人の心をも震わせる。そんな歌を聴かせるのはカレーラスだからこそだ。
1998年のボローニャ歌劇場日本公演における《フェドーラ》のロリス役や、2002年のワシントン・オペラ日本公演における《スライ》の題名役にも、筆者は強い感銘を受けた。しかし、魂の叫びのようなカレーラスの歌の味わいは、1人で歌ったときにこそ味わい尽くせるのかもしれない。カレーラスのリサイタルには、90年代の後半以降、何度か通っているが、いつもすべての曲が、カレーラスのために書かれたオリジナルのように聴こえる。そんな経験は、ほかの歌手のリサイタルではできない。
自身の歩みを振り返る節目のリサイタル

今年12月5日、カレーラスは80歳の誕生日を迎える。いまなお毎年、日本で歌ってくれるのは奇跡というほかなく、その年齢で心に染み入る魂の叫びを聴かせ続けていることも、また奇跡的である。天与の才能のおかげであり、それを神経質なまでに大切に維持してきた努力の賜物でもある。
しかも、このテノールは、世界のオペラ界における、まぎれもない最後のビッグネームの1人なのである。「三大テノール」として初のコンサートから三十数年経ってなお、聴き手の魂を揺さぶって強い印象を残す特別な歌。それを聴ける幸せを、思いきり味わいたい。
とりわけ11月のリサイタルは、カレーラスみずから「my way マイウェイ」と題したという。それはすなわち、80歳という節目の年齢を迎えるにあたって、先に記した自身の足跡を振り返るという意味にほかならない。
相性抜群であるロレンツォ・パヴァーイのピアノ伴奏のもと、いまのカレーラスの魅力が存分に味わえる曲が歌われる。「マイウェイ」はもちろんのこと、トスティの「夢」、ロータの「愛のテーマ」、ロドリーゴの「アランフェスより愛を込めて」、ヴァレンテの「パッシオーネ」、デレヴィトスキーの「心からのセレナータ」……。いつもサービス精神旺盛なアンコールまで楽しみが尽きない。そして、どの曲もカレーラスのオリジナルのように聴こえることだろう。
前述のように、カレーラスの歌唱は耳に強く残る。何年たっても深く刻まれている。いま耳に残しておけば、一生の宝物になる。

ホセ・カレーラス テノール・リサイタル 「my way」
2026.11/5(火)19:00 サントリーホール
出演/ホセ・カレーラス(テノール)
ロレンツォ・バヴァーイ(ピアノ)
曲目/フランソワ/ルヴォー:my way
デレヴィトスキー:心からのセレナータ
トスティ:夢
他
問:ビザビジョン jc@visavission.co.jp
http://www.visavision.co.jp
他公演
2026.11/1(日)17:00 大阪/ザ・シンフォニーホール(道新プレイガイド0570-00-3871)

