作曲家・千住明にとって、2009年初演のオペラ《万葉集》は特別な作品だ。11月のサントリーホール公演は、じつに21回目の上演となる。日本の現代オペラで、短期間にこれだけ繰り返し再演される作品はきわめて珍しい。異例の成功作なのだ。成功の裏側には、日本語の響きを大切にして、多くの人に歌ってほしいと願いながら作品を作り続けてきた千住の姿勢がある。

「とにかく日本語の美しさをそのまま感じてください。すべての言葉に音楽が宿っている作品です」
いうまでもなく、日本最古の和歌集『万葉集』に素材を求めた作品だ。多くの場面が万葉集に収められた歌で始まり、そのあとに物語を形づくる自由詩が続く。千住が台本執筆を委ねたのは黛まどか。俳人であるだけに、自由詩部分も多くが韻律を持っており、メロディと自然に溶け合う。大和言葉と現代日本語。音楽も古代の声の記憶と現代的な感情表現を自在に行き来する。
「この台本の良さは、ト書きとか、ストーリー・テリング的な部分がほとんどないこと。全部が詩になっているので、どの言葉もそのまま“歌”になるんです。だからレチタティーヴォがいっさいありません。日本のオペラで残念に思うのは、レチタティーヴォが呪文のようになってしまいがちなことです。この作品にはそれがない。すごく新しいなと思いました。
黛さんは僕が口説いてお願いして、じつはこれが初めてのオペラ台本でした。その良さが出ていると思います。台本のスタイルに慣れてしまうと、たぶんこういうふうには書けない。やはり俳人には俳人の世界で書いてもらうのがいちばんいいんです」

7世紀末、飛鳥時代の壬申の乱の前後を描いた2つのオペラからなる2部構成。第1部《明日香風編》は、歌人・額田王と大海人皇子(のちの天武天皇)、中大兄皇子(天智天皇)の三角関係と権力闘争。第2部《二上山挽歌編》は、皇位継承をめぐる謀略の犠牲となり、若くして自害に追い込まれる大津皇子の悲劇。2009年に《明日香風編》が、2011年に《二上山挽歌編》が書かれた。
「《明日香風編》のあと、続編をどうしようかと悩んでいたところに東日本大震災が起きました。それで挽歌=レクイエムである《二上山挽歌編》を書いたのです。それが、この時代に生きるクリエイターとしてやらなければならない義務のように感じて、黛さんも僕も、何かに憑かれたようにこの題材に向き合いました。千年前のものをオペラにして、千年後に伝えたい。レクイエムであると同時に、日本人の心をなくさないために。
《二上山挽歌編》のラストの大きな合唱をぜひ聴いていただきたいです。あわよくば一緒に歌っていただきたい。大津皇子が葬られた二上山がいつまでも輝き続けるようにという合唱です。僕は震災の時に仕事で浜松にいて、帰りの新幹線から富士山を見て、そう思いました。富士山は輝き続けなければいけない。富士山をなくしてはいけない。その思いが二上山にぴたりと重なったのです。
だからこれを日本の賛歌にしたい、日本の第九にしたい。いろんな人に歌ってもらいたいという思いがずっとあります。いつか年末に、武道館でも東京ドームでも(笑)、客席全員で歌いましょう、というようなことができればいいなというのが夢です」
じっさい、「合唱」はこのオペラの広がりに一役買っている。これまでの上演にはプロのオペラ合唱団だけでなく、各地のアマチュア合唱団も出演しているのだが(2017年のハンガリー公演では、現地の合唱団が日本語で歌った)、その人々のあいだで“万葉集ロス”が起きているのだそう。
「本当にありがたいことに、これまでに歌ったみなさんから、『歌えるから歌わせて』『どこかで歌えないだろうか』という要望が寄せられています」
それはけっして偶然や結果論などではない。千住は言う。
「そう感じてもらえるものをたくさん散りばめてあるんです。僕は四半世紀以上もエンタテインメントの仕事をしてきたので、とんでもない宝物の技術をもらいました。それは、どうやって人を惹きつけるか。芸術作品だからとスノッブに構えていてはダメだと。だから僕は、難しくて歌えないとか、音が高すぎて声が出ないとか、アマチュアが演奏できないものは書かない。これを基本にしています。
《万葉集》は、エンタテインメントの手法もアカデミックの手法も、ジャンルを超えて全部使って書きました。誰の目も気にすることもなく。それはもうすがすがしいほど。というのは、両方の世界に属していると、アカデミズムの世界からいろんな意見もあって、僕も自分のスタイルを作ることに一生懸命だったんですね。でも、そんなものはどうでもいいや。いま日本に大切なものを書こうと信じて書いたのがこのオペラです」

右:東京交響楽団 ©️T.TAIRADATE
オペラ《万葉集》の過去20回の上演はいずれも演奏会形式。登場人物4人がソプラノ、メゾ・ソプラノ、テノール、バリトンという4声体であることからも、オラトリオ的な性格も併せ持っていることが指摘される。しかし千住にとって、そんなジャンル分けはさほど重要ではないようだ。
「オペラなのかオラトリオなのかとよく聞かれます。じっさい、僕も悩んだのですが、この形のオペラがあってもいい。わかりやすく“オペラ”にしたんですね。もちろん美術や衣装をつけて上演しても成立します。
結局、オペラの定義は何かということにもなりますよね。作品(opus)の複数形がオペラ。総合的なものを音楽でまとめていくのがオペラだと思うんです。《万葉集》のように演奏会で上演するかもしれないし、配信だけ、あるいはDX(デジタルトランスフォーメーション)だけを使うものになるかもしれない。いずれにしても、いろんな人たちを巻き込むものでなければならない。坂本龍一さんが1999年に《LIFE》という“オペラ”をやりましたよね。あの発想に近いかもしれません」
11月の公演も演奏会形式。《明日香風編》《二上山挽歌編》ともカットなしのフル・ヴァージョンでの上演で、全2作の完全上演は7年ぶりだ。
「それぞれが45分~50分ぐらい。ちょうどいいサイズだと思います。それぞれが単独でも上演できる、独立した物語になっているので、短編映画を2本見る感じで楽しんでいただけると思います。日本語ですが字幕もつけますので、非常に見やすいと思います」
歌手陣は楽しみな顔ぶれ。小林沙羅(ソプラノ)が《明日香風編》の額田王(ぬかたのおおきみ)と《二上山挽歌編》の大伯皇女(おおくにのひめみこ)、谷口睦美(メゾ・ソプラノ)が鏡王女(かがみのおおきみ)と持統天皇、鈴木准(テノール)が中大兄皇子と草壁皇子(くさかべのみこ)、与那城敬(バリトン)が大海人皇子と大津皇子を演じる。

「どちらもバリトンとソプラノが主役です。バリトンは、滅多にない、“いい人”の役ですね(笑)。テノールはちょっと意地悪なわがまま少年みたいな役柄なんです(笑)。4人とも、もう何度も歌ってくれている歌手たちで、谷口さんと鈴木さんは、いい感じで、意地悪な親子になりきっています(笑)。合唱団と同じで、歌手のみなさんもまたやりたいと言ってくださるんですね。演奏家たちに愛される作品になって、よかったなと思いますね」
演奏は原田慶太楼指揮の東京交響楽団、合唱はSENJU LAB Choir。
「慶太楼君は2021年に、彼のシアトル交響楽団のデビュー公演で、コロナ禍でオンライン・コンサートでしたが、僕の《A Ba La Ka Kya IV》という曲のオーケストラ・バージョンを世界初演してくれました。アメリカを中心にキャリアを積んだ彼のインターナショナルな感覚が、《万葉集》の新しい可能性を探り当ててくれるんじゃないかなと、楽しみでしょうがないですね」
学校で習った飛鳥時代や万葉集の知識はもはや記憶の彼方という人も少なくないかもしれないが心配無用。
「和歌の大和言葉の世界に現代の表現が入ってくると、モノクロがいきなりフルカラーになったような感覚を覚えていただけると思います。予習なんて要りません。言葉の響きそのものが美しい。しいていうならば究極のヒーリング・ミュージックです。幽玄な日本人の美意識を目指しました。ぜひ会場で耳を傾けてください」
取材・文:宮本 明
(ぶらあぼ2025年10月号より)
PASONA 50th ANNIVERSARY 千住明プロデュースオペラ「万葉集」(演奏会形式)
2025.11/8(土)18:00 サントリーホール
問:サンライズインフォメーション0570-00-3337
https://sunrisetokyo.com

