
以前、アレクサンダー・ガヴリリュクに「もし無人島に自分一人しかいなかったらピアノを弾くか」と尋ねたことがあった。彼は迷うことなく「弾かない」と答えた。それはピアノや音楽を愛していないからではない。彼の中に、音楽は聴かれるために存在するもの、という信念があるからだ。
「音楽は、人がつながりを感じ、大切なものを思い出すためにあるもの。私はそれを提供できる人間というだけで、私自身が音楽ではありません。私は音楽と人々をつなげる接点に過ぎないのです」
1984年ウクライナのハルキウ生まれ。現在は、オーストラリアで家族と暮らす。一方、故郷はウクライナ戦争開始の数ヵ月後にロシア軍に爆撃され、彼の父は数週間地下に避難して暮らすことを余儀なくされたという。
「電波塔も破壊されたため父としばらく連絡がとれず、大変な恐怖を味わいました。心が痛む出来事ばかりですが、ウクライナの人々の不屈の精神には感銘を受けます」
そう語る彼が今回選んだプログラムは、一見して強いメッセージを感じるもの。プロコフィエフの「戦争ソナタ」から前半に第6番、後半に第7番を演奏し、それぞれの前にシューマンの「子供の情景」とチャイコフスキーの「子供のためのアルバム」を合わせる。
「テーマは〈無垢なるものへの戦争〉。子供が世界を捉える感覚は純粋です。国籍や宗教は関係なく、ただありのままに相手を見ています。大人のような分断の定義を認識する前の状態にいるからです」
そんな子供の観点と、それと正反対の出来事を描いた音楽をあわせることで、強いメッセージを届けようとする。
「シューマンは、大人の視点から子供時代の美しい思い出、無邪気さや繊細さを描きました。そこに戦争の恐ろしい出来事を表現するプロコフィエフの6番を続けることで、人間は純粋だった子供の頃から変貌を遂げた結果、こんなにも深い闇にたどり着くのだと知ることになるでしょう」
後半も同じような鮮明な対比が示される。
「チャイコフスキーが子供の視点から描いた世界は、無垢で繊細です。例えば『木の兵隊の行進』という小品が出てきますが、この兵隊もプロコフィエフの7番のソナタに至ると、成長して醜い大人の兵士になってしまいます。戦争とそれがもたらす生々しく暗い現実を教えてくれるでしょう」
卓越した表現力と力のある音の持ち主であるガヴリリュクのこと、選曲に込められた強いメッセージを、その意味をしっかり際立たせて表現してくれるはずだ。
取材・文:高坂はる香
(ぶらあぼ2026年10月号より)
アレクサンダー・ガヴリリュク ピアノ・リサイタル
2026.11/24(火)19:00 東京オペラシティ コンサートホール
問 ジャパン・アーツぴあ0570-00-1212
https://www.japanarts.co.jp
他公演
11/21(土) よこすか芸術劇場(046-823-9999)

高坂はる香 Haruka Kosaka
大学院でインドのスラムの自立支援プロジェクトを研究。その後、2005年からピアノ専門誌の編集者として国内外でピアニストの取材を行なう。2011年よりフリーランスで活動。雑誌やCDブックレット、コンクール公式サイトやWeb媒体で記事を執筆。また、ポーランド、ロシア、アメリカなどで国際ピアノコンクールの現地取材を行い、ウェブサイトなどで現地レポートを配信している。
現在も定期的にインドを訪れ、西洋クラシック音楽とインドを結びつけたプロジェクトを計画中。
著書に「キンノヒマワリ ピアニスト中村紘子の記憶」(集英社刊)。
HP「ピアノの惑星ジャーナル」http://www.piano-planet.com/
