INTERVIEW 小山実稚恵――シューベルトへの尽きせぬ愛をこめて弾く、最後の3つのピアノ・ソナタ

©Hideki Otsuka

 Recital<未来永劫>と題された小山実稚恵さんのサントリーホール・シリーズⅡ 2026-2027の第2回公演が近づいてきた。シューベルト最後の3つのソナタ。1797年1月、当時は「郊外」だったとはいえウィーンに生れ、1828年11月に愛するそのウィーンで、31歳で召されたフランツ・ペーター・シューベルトが紡いだ孤高の傑作たち。今年6月にベートーヴェン最後のソナタ3曲を弾いた小山実稚恵さんが、シューベルトに想いを寄せるのは芸術的な必然である。求心的な姿勢、解釈で曲に臨む彼女の言葉は、いつだって美しい。

「あらためて思います。31歳であの境地。それも才気みなぎる天才ではなく、才能を誇示する必要のない天才です。ええ、ほんとうに大好きです。子どもの頃からずっと。最初にシューベルトを意識したのは小学校4年生の頃で、年上の人が弾く即興曲を聴き、いつか私もあれを弾きたいと思っていました」

 歌も音楽の型もまさに別格、誤解を恐れずにいえば、異次元の3曲のピアノ・ソナタ、第19番ハ短調、第20番イ長調、第21番変ロ長調は1828年9月に創られた。召される約2ヵ月前ゆえシューベルトの死生観を映し出す音楽とも解されるが、シューベルトが一連のソナタを書き始めたのは、心身に「悩み」を抱えながらも創造への意欲が漲っていた同年春からで、推敲を重ねながら秋に完成との見方が主流になりつつあるが、そもそも31歳で召されたシューベルトに「晩年」はあるのだろうか。

「枯れていませんね。それどころか、まだフーガを学びたい、と心のなかで叫んでいるのでは、と思わせる場面もあります。でもね。おかしな言い方かもしれませんが、どこかでこれが最後との思いも感じるのです。シューベルトの音楽に、若気の至りや晩年の諦観というのはなくて、10代のころからシューベルト。諦観ならば、若い頃からありますよね。言葉にするのは難しいですが、小林研一郎先生のお好きな言葉を借りるならば、いつもあたりを『たゆたっている』のです。作曲しながら、心が変化しているともいえます。
 音楽はどの場面でも緻密で、尊敬するベートーヴェンを意識したフレーズやヴィルトゥオジティ(名人芸)への憧れも素敵なのですが、それらが効果を狙って書かれていないのです。天才的なメロディメーカー(豊かな旋律を書く作曲家)で、和声の変化も他の誰もが思いつかないことをしています。意表を突く大胆な転調と関係してきますが、洞穴のような『ま』もシューベルトですね。ほんとうに突然やってくる。でもさりげないのです。
 大切なのは、すべての音符が、ここでこうすれば劇的に盛り上がる、ではなく、心の底から、音楽の泉から湧き出てくるかのように書かれていることです。そんな音符を心から愛おしく思います」

小山実稚恵 サントリーホール・シリーズⅡ 2026-27 Recital <未来永劫> 第1回より
©大窪道治/サントリーホール

虚心坦懐に、シューベルトの美しさと向き合って

 シューベルトがコンヴィクトと呼ばれた王立寄宿学校での学びを終えた頃、同校近くに建っていたウィーン大学の講堂でベートーヴェンの交響曲第7番が公開初演されている(1813年12月)。1827年3月のベートーヴェンの葬儀でも、シューベルトは数万人とも伝えられる葬列をリードしたようである。

「ソナタ第19番は、よく言われるようにベートーヴェンへのオマージュですね。ハ短調(第1楽章)から変イ長調(第2楽章)もそうですし、実際ベートーヴェンの『創作主題による32の変奏曲』を意識しています。でもシューベルトのハ短調は、決然としているだけでなく、美しいでしょう。迷いなく美しい。緻密だけれども、そこに作為はないのです。おかしな言い方かしら」

 実稚恵さんのシューベルト愛は尽きない。開館40周年を迎えたサントリーホールの美しい空間で、シューベルトの「たゆたう」楽の音を抱きしめ、戯れる姿が浮かんでくるかのよう。

「たとえば、右手が天国のようなフレーズを奏でているときに、左手がテテテと同音を繰り返す場面がありますよね(と歌いながらデスクを鍵盤に見立てて弾く仕草をなさる)。このテテテ、ああ、もう大好き。ここにシューベルトが息づいているのです。同音反復や繰り返しには、いつも意味があるのですが、押し付けがましくはない。だから難しいのですが、素晴らしいですよね」

インタビュー中、フレーズを口ずさみながら机の上で実際の手の動きを再現する場面も。
撮影:ぶらあぼ編集部

 開演を彩るソナタ第19番ハ短調のフィナーレ第4楽章は、シューベルトお得意のタランテラ舞曲だ。

「死と乙女のフィナーレに通じる舞曲。ここでのシューベルトは、彼の音楽のなかでは、ウィーンのスタイルや伝統を意識したものになっています。弾いていて、そうそうこれこれ、と分かるといったらおこがましいのですが」

 3曲のソナタを31歳のシューベルトは自分でも弾いたようで、いい作品が出来たのでは、と自信をうかがわせる資料も遺っている。曲を、当時のウィーンを代表するピアニストだったフンメルに捧げ、弾いてもらいたかったようだが、楽譜は(シューベルトの音楽ではよくあることだが)存命中に出版されなかった。一連のソナタは1839年にウィーンのディアベッリ社から初版の楽譜が刊行され、同社の意向でロベルト・シューマンに献呈された。

「3曲のすべてが大好き。心から歌い何かを伝えたい第2楽章、希望をもったスケルツォ楽章に、愛に満ちたフィナーレ。どこをとっても、ピアニスト冥利に尽きる音楽です。美しい三連符、切ない調べ。悪魔のようなトリルも深いアルペジオもあります。いまお話しているだけで、弾きたくなってきます。そして、『ま』。音は物理的に切れるのかも知れませんが、音楽は途切れません。シューベルトの心は続いているのです。『ま』とは、そのいずれもが心情の行方を感じさせる間合いなのです。サントリーホールは、余韻も聴きとれるホールなので、リサイタルの瞬間瞬間に生まれる音楽の奇蹟を皆さまとご一緒出来たら、そして幸せな気持ちでホールをあとにしていただければ、と思っています」

小山実稚恵 サントリーホール・シリーズⅡ 2026-27 Recital <未来永劫> 第1回より
©大窪道治/サントリーホール

取材・文:奥田佳道


小山実稚恵 サントリーホール・シリーズⅡ 2026-27 
Recital <未来永劫> 第2回

2026.10/29(木)19:00 サントリーホール

♪曲目
シューベルト:
ピアノ・ソナタ第19番 ハ短調 D.958
ピアノ・ソナタ第20番 イ長調 D.959
ピアノ・ソナタ第21番 変ロ長調 D.960

問:サントリーホールチケットセンター0570-55-0017
https://suntoryhall.pia.jp


奥田佳道 Yoshimichi Okuda(音楽評論家)

1962年生まれ。ヴァイオリンを学ぶ。ドイツ文学、西洋音楽史を学んだ後、ウィーンに留学。NHK、日本テレビ、テレビ東京、WOWOWなどの音楽番組に出演。現在NHK「音楽の泉」「ラジオ深夜便 真夜中のコンサートホール」「オペラ・ファンタスティカ」に出演中。音楽鑑賞振興財団理事。日本フィルハーモニー交響楽団評議員。NPO法人東京ジュニアオーケストラソサエティ理事長。
著書に「これがヴァイオリンの銘器だ!」(音楽之友社)他。