欧州の超売れっ子、ステファン・ポップの十八番、歌手も指揮者もそろった、聴き逃せない《愛の妙薬》
文：香原斗志
いま“本物”の声を浴びることのできる幸せ
ステファン・ポップが東京で、演奏会形式でドニゼッティ《愛の妙薬》のネモリーノを歌う。このニュースは衝撃的である。ルーマニア生まれのポップは、いまイタリアなどの歌劇場で最も頼りにされているテノールのひとり。あのルチアーノ・パヴァロッティを彷彿とさせる豊かな声と簡潔で美しいフレージングで、圧倒的な存在感を示している。そんなポップがオペラの舞台にデビューした役であり、パヴァロッティがそうであったように、いまも十八番にしているのがネモリーノなのだ。
私事で恐縮だが、コロナ禍に見舞われる前に、私がヨーロッパで最後に鑑賞したオペラのひとつは、ポップがジェンナーロ役を歌うドニゼッティの《ルクレツィア・ボルジア》だった。彼の歌を聴きに、トリエステのヴェルディ劇場まで出向いたのである。豊かな声による流麗なレガートをはじめ、磨き抜かれた表現が強く印象に残っている。
ポップの相手役にも不足はない。ネモリーノが恋い焦がれ、晴れて結ばれるアディーナを歌うのは中川郁文（ソプラノ）。大学院を卒業後、サントリーホール・オペラ・アカデミーなどで学び、言葉と呼吸を大切にする正統的な歌唱を磨いた彼女は、2019年にはドイツのベルテルスマン財団と横須賀芸術劇場が共催した「世界オペラ歌唱コンクール“新しい声NEUESTIMMEN”」のドイツ本選に出場。それを機に、この夏はザルツブルク音楽祭にデビューしている、逸材中の逸材である。
ベルコーレを歌う伊藤友祐も、イタリアで数々のコンクールに優勝し、2016年には、まさにベルコーレ役でイタリア・デビューを果たしている、すぐれた若きバリトンだ。そしてドゥルカマーラを歌うのは、ロベルト・ボルトルッツィ（バリトン）。ヴェルディのオペラ・アリア40曲を一晩で歌いきれる、古き良きイタリアの伝統的テクニックを備えた歌手である。
イタリアの正統的系譜に連なるマエストロのもとで
周知のように、コロナ禍においては、オペラの世界も非常に厳しい状況におかれた。上演できない、あるいは客席を埋められない期間が長かったのは言うまでもない。オペラはヨーロッパの芸術なのに、海外との交流が途絶えたことで、若い芸術家が学ぶ機会が失われ、聴き手は本物に触れる機会が奪われた。
それだけに、いま上記のキャストでオペラを味わえるのは、ほんとうにうれしい。さらに言えば、ポップのような本物と同じ舞台に立てるということは、共演陣にとってもかけがえのない学びの機会になる。
もっとも、たとえ歌手が揃っても、そのよさが引き出されない公演もままあるが、その点も心配はない。イタリアからすぐれた若手指揮者、デメートリオ・モリッカが招聘されるからである。
ナポリに生まれて4歳からクラシック音楽に親しみ、故郷を代表するサン・ピエトロ・ア・マイエッラ音楽院で指揮法を学んだモリッカは、同郷のリッカルド・ムーティのマスタークラスで学ぶなどしたのち、2017年から、昨年惜しくも亡くなったネッロ・サンティのアシスタントを務め、サンティのもとでヴェルディの《椿姫》、《リゴレット》、《ナブッコ》のほか、《愛の妙薬》にも携わった。
イタリアの正統的系譜に連なる才能豊かな若きマエストロが、上記のすぐれた歌手たちを統率し、名匠サンティ直伝の《愛の妙薬》を、コロナ禍において「本場の演奏」が失われていた東京で披露してくれる。これを聴き逃すという手はないだろう。
最後に、落語「愛の妙薬」についても触れておく。落語協会真打で、演芸バラエティ番組「笑点」の若手大喜利でも活躍する鈴々舎馬るこが、オペラ上演前に披露するという。日ごろからオペラと落語の融合にも挑戦しているというこの師匠の噺で、このオペラの喜劇的味わいがさらに増すかもしれない。
【information】
ドニゼッティ：オペラ《愛の妙薬》（演奏会形式）
2021.11/10（水）18：30開演 17：30開場
渋谷区文化総合センター大和田 さくらホール
（17：30より鈴々舎馬るこ師匠の落語「愛の妙薬」あり）
指揮
デメートリオ・モリッカ
管弦楽
サルバベルカントオーケストラ
配役
ネモリーノ：ステファン・ポップ
アディーナ：中川郁文
ドゥルカマーラ：ロベルト・ボルトルッツィ
ベルコーレ：伊藤友祐
ジャンネッタ：勝又恵子
合唱
サルバベルカント合唱団
問：スタジオ サルバベルカント03-6427-2995
https://salvabelcanto.or.jp/2021/10/31/opera-lelisirdamore/