ジョナサン・ノット(指揮)

「ゲロンティアスの夢」でエルガーは“魂のオーラの変化”を表現します


 イギリス出身の指揮者であるから、自国の音楽はレパートリーに入れているはず…と思ってしまうのは早計なのだろう。筆者がジョナサン・ノットという指揮者を知ったのは、当時のドイツ・テルデック・レーベルからリリースされたジェルジュ・リゲティの作品集だったが、その後もバンベルク交響楽団を指揮したマーラーやシューベルトの交響曲がリリースされ、その雄弁な音楽に魅了されつつも「あれ?イギリスの音楽は…」と心待ちにしていたことは事実だ。そうしたこともあって、この2018/19シーズンにエルガーの大作が組み込まれたことを知り、いよいよきたか!という気持ちになった。
「ようやく…本当にそうですね。実をいえば、早くからドイツのオーケストラと仕事をすることになり、当時は母国のいろいろなことに嫌悪感すら抱いていたのです。ドイツ人に囲まれている異邦人のような気分になって、それが心地よかった。イギリスの音楽を意識的に避けていたわけではありませんでしたが、『ドイツには素晴らしい作品がたくさんあるのに、なぜイギリスの音楽を指揮する必要があるのだろう』と思っていたことも事実でした。そういったわけで《ゲロンティアスの夢》もこれまで指揮をすることがありませんでしたし、今回の定期演奏会は私にとっての記念すべき“世界初演”となるわけです。この曲は素晴らしい合唱団と、歌手や合唱団に対して懐が深い演奏をするオーケストラを得てこそ最高の効果が望めます。ですから、東京交響楽団や東響コーラスとの出会い、そして共演を重ねてきた“今”が、その時だと思いました」
 マエストロと、この大作との出会いは少年時代。イギリス(イングランド中部)に生まれ、エルガーと縁の深いウスターの街において少年合唱団に所属していた頃、この曲を知ったという。
「私はエルガーのファンではあるけれど、指揮をしたのは『エニグマ変奏曲』やチェロ協奏曲など、ごく一部の曲だけでした。しかし19世紀末のヴィクトリア朝独特な香りがする『ゲロンティアスの夢』には少年時代から惹かれ続けていましたので、なぜ自分が好きなのかを自己分析することから始めたのです。そうしますとワーグナーの作品、特に『パルジファル』に近い精神や半音階を巧妙に使った音楽、さらにはR.シュトラウスの『4つの最後の歌』に比肩するような歌詞と音楽の見事な融合など、さまざまなことが理解できました。マーラーの交響曲、特に第2番『復活』や第8番に匹敵する壮大さ、偉大さも感じていただけるでしょう。カトリックの教義をもとにした宗教的な作品ではあるのですが、生命や死、魂の行方といったスピリチュアリティ(精神性、霊性)という側面から味わう方が、日本の聴衆には理解しやすいかもしれません」

  たしかにこの作品は、カトリックの枢機卿が著した詩をテキストとして引用しているものの、ゲロンティアスという人物が死を前にして恐れを感じる場面から、肉体から解放され、魂が主のもとへと誘われる過程を描いた物語性の強いものである。
「ゲロンティアスは死を迎え、彼の魂はどこに向かうのか。生から死へと進む状況はエネルギーの変容であり、そうした魂のオーラが変化していく様子を、エルガーは音楽で表現しています。同時に、死を怖れることはないということも。私と東響はこの4月にブルックナーの交響曲第9番とマーラーの交響曲第10番(アダージョ)を演奏しましたが、この2曲もまた宗教音楽ではないけれど生と死に深い関わりをもっています。マーラーは死によって自己や誇りが否定されてしまうと考え、ゆえに死を怖れていました。ブルックナーは、はたして自分が神のもとに出る価値のある人間だろうかと思い悩み、死を怖れたのです。さて、ゲロンティアスはどうでしょう。彼も決断を迫られる場面があり、守護天使に見守られながらも、誤った決断をすると悪魔が言い寄ってきます。もしかすると、聴き手それぞれが自分を彼に重ね合わせ、自分を見つめ直せるキャラクターかもしれません。ですから、これはキリスト教の音楽だからと身構える必要はありません。オラトリオというより、舞台のない音楽ドラマだと考えていいと思います」
 さらには「オーケストラは神の声やメッセージであること」「エルガーは大聖堂の響きを熟知していたので、そうした効果があること」など、語ってくれた魅力は多数。この定期演奏会は、マエストロと東響、東響コーラスにとって重要なマイルストーンになりそうだ。
取材・文:オヤマダアツシ 写真:藤本史昭
(ぶらあぼ6月号をもとにWEB用に再構成)


【Profile】

イギリス生まれ。フランクフルトとヴィースバーデンの歌劇場で指揮者としてのキャリアをスタートし、ルツェルン交響楽団首席指揮者兼ルツェルン劇場音楽監督、アンサンブル・アンテルコンタンポラン音楽監督、バンベルク交響楽団首席指揮者を経て、2017年にスイス・ロマンド管弦楽団の音楽監督に就任。その抜群のプログラミング・センスに加え、幅広いレパートリーを誇り、ウィーン・フィルやベルリン・フィル等のオーケストラや音楽祭へ客演している。東京交響楽団へは11年にデビューし、14年度より第3代音楽監督を務める。

【Information】
エルガー:オラトリオ「ゲロンティアスの夢」

指揮:ジョナサン・ノット 
管弦楽:東京交響楽団 
合唱:東響コーラス
独唱
マクシミリアン・シュミット(テノール) 
サーシャ・クック(メゾソプラノ)
クリストファー・モルトマン(バリトン)

東京交響楽団
第662回 定期演奏会
2018.7/14(土)18:00 サントリーホール

川崎定期演奏会 第66回
2018.7/15(日)14:00 ミューザ川崎シンフォニーホール

問:TOKYO SYMPHONYチケットセンター044-520-1511 
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