オペラの新演出は、幕が上がるまで、どのような舞台になるのかまったくわかりません。演出家によって、時代や場所の設定が大きく変えられたり、社会的に大きく訴えかけるメッセージ性が込められたり・・・。わくわくしながら想像するときに、よりどころとなるものの一つに、演出家の思考を見つめることがあるでしょう。
《タンホイザー》の演出を手がけるロメオ・カステルッチは、演劇界ではすでに名を知られています。演劇研究者・ジャーナリストとして、カステルッチ氏に直接会った経験をもつ岩城京子さんに、演出家ロメオ・カステルッチの創作についての考察を寄せていただきました。
思考の袋小路の先にある、ロメオ・カステルッチの創造世界
あらゆる芸術表現は「アポリア」から生まれる。と、イタリア人演出家ロメオ・カステルッチは明言している。*1)アポリアとはつまり「行き止まり」のこと。言い換えれば、あるひとつの問いに対し、完全に矛盾する見解が等しく成立する「絶対的な引き裂かれ状態」を指す。これはなにも小難しい概念ではない。同調圧力や世間体といった外在律をいったん捨てて、自分の内在律に従って素直に生きようと試みたことがある人なら、一度はこの感情的な拠りどころがない状態をくぐり抜けたことがあるはずだ。そしてまた、このような精神状態に陥ったときは、便宜上、社会が定めた、正義、善悪、真偽などのルールには、まったくすがれないという孤独も熟知しているはずだ。しかしこの答えのないひとりぼっちの精神の辺土からこそ「芸術は誕生する」とカステルッチは説く。つまり彼は、既存の倫理圏外にある、思考の限界線上に追いやられたときに初めて人は、ココではないドコカを創造する衝動に駆られると捉えているわけだ。そしてこの自己典範により編みあげられた未知の荒野にこそ、カステルッチの思う芸術が広がる。
さて、アポリアがカステルッチの芸術哲学の基盤を成すことが理解できると、おのずと彼がワーグナーの問題作《タンホイザー》を演出を手がけた理由がわかってくる。官能の女神ヴェーヌスと貞女エリーザベトという二人の女性のあいだで揺らぐ吟遊詩人タンホイザーは、肉欲と精神、身体と頭脳、愛と死といった二律背反の思考のあいだで破滅していく、まさしく絶対矛盾を体言する存在だといえる。この点をふまえたうえでカステルッチはタンホイザーについて「自身のなかに分離危機を抱えた存在」と分析する。そして、だからこそ追求しがいのある役柄だと話す。対立項のどちらを選んだとしても、自分の半身を否定する葛藤を抱えたタンホイザー。そんな登場人物はカステルッチにとって自分の芸術哲学を具現化するために、これ以上ないほど最適な素材だといえる。なぜなら永久に癒えない裂傷を抱えるタンホイザーの悩みや、傷みや、苦しみを介して、新たな創造世界への開口部がこじあけられてくるからだ。
(岩城京子 演劇研究・ロンドン大学ゴールドスミス)
*1
ロメオ・カステルッチ「The Universal:The Simplest Place Possible, A Journal of Performance and Art, Vol. 26, No. 2, 2004」pp. 16-25.
(その2に続く)
【公演日程】
バイエルン国立歌劇場日本公演
《タンホイザー》
作曲:R.ワーグナー
演出:ロメオ・カステルッチ
指揮:キリル・ペトレンコ
9月21日(木) 3:00p.m.
9月25日(月) 3:00p.m.
9月28日(木) 3:00p.m.
会場:NHKホール
■予定される主な出演
領主ヘルマン:ゲオルク・ゼッペンフェルト
タンホイザー:クラウス・フロリアン・フォークト
ウォルフラム:マティアス・ゲルネ
エリーザベト:アンネッテ・ダッシュ
ヴェーヌス:エレーナ・パンクラトヴァ
※表記の出演者は2017年1月20日現在の予定です。
http://www.bayerische2017.jp/tannhauser/