「東京・春・音楽祭」は「東京のオペラの森」から数えて今年で10年目となる。その節目にあたり、当初から音楽祭の運営に携わってきた「東京・春・音楽祭」事務局の芦田尚子さんと、音楽ライターの柴田克彦さんに、音楽祭の9年の軌跡を振り返ってもらった。
■お話:芦田尚子(東京・春・音楽祭)、柴田克彦(音楽ライター)
■司会進行:ぶらあぼ編集部
■2005年《エレクトラ》を世界に向けて発信
■2006年 ヴェルディの大作を取り上げた2年目
■2007年 《タンホイザー》で小澤征爾が復帰
■2008年 チャイコフスキーとその時代
■2009年 東京・春・音楽祭として新たな出発
■2010年 ワーグナー・シリーズがスタート
■2011年 大震災直後に敢行された音楽祭
■2012年 進化・拡大するシリーズ公演
■2013年 ワーグナー&ヴェルディ・イヤー
ぶらあぼ 2005年に「東京のオペラの森」としてはじまった音楽祭ですが、きっかけはどのようなものだったのでしょうか?
芦田 音楽祭の事務所が起ち上がったのは2003年ですが、構想自体はもっと以前からありました。細かい経緯は割愛しますが、今も実行委員長を務めている鈴木幸一が、指揮者の小澤征爾さんと出会い、お酒を飲みながら互いの夢を語っているうちに、「東京で新しいオペラをやりたいね」ということになり、それを具体化していく動きが2000年前後からスタートしました。
ぶらあぼ 小澤さんがウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任される少し前ですね。
芦田 そうです。当時、小澤さんには「新しいプロダクションを日本から世界に向けて発信したい」という想いがあり、一方で鈴木は、東京、特に桜で満開になる春の上野を舞台に「音楽のお祭り」を開きたい、という想いを持っていました。この二つの想いが「東京のオペラの森」として結実したのだと思います。
2005年
《エレクトラ》を世界に向けて発信
ぶらあぼ 2005年のオペラは、R.シュトラウスの《エレクトラ》でした。
芦田 《エレクトラ》をやることは前から決まっていました。まずオペラの演目を決めて、その作曲家にちなんだ作品をほかの公演でも取り上げるーー「東京のオペラの森」の4年間はこのスタイルを基本としていました。
ぶらあぼ それで、オーケストラ公演が「アルプス交響曲」になり、室内楽公演で白井光子さんがR.シュトラウスの歌曲を歌ったのですね。
芦田 若い指揮者のなかから、N響などとも共演を重ねていたアラン・ギルバートさんにオーケストラ公演を指揮してもらいました。室内楽の公演については、小澤さんに相談したら「白井光子さんの歌は素晴らしいよ」ということだったので、二晩にわたり歌ってもらいました。
ぶらあぼ 柴田さんは《エレクトラ》をご覧になった?
柴田 ええ、もちろん。《エレクトラ》は小澤さんにピッタリの作品でしたし、ポラスキ、バルツァなどトップクラスの歌手が集まっていた。ロバート・カーセンの演出もインパクトがありましたね。オーケストラに腕のいい若手が多くいたのも印象的でした。
ぶらあぼ これは音楽祭の特徴とも言えると思うのですが、初年度から「子どものための音楽会」も開いています。
芦田 なつかしいですね。《エレクトラ》のリハーサルなどを観てもらったのですが、この作品のどこをどう見せるのか……すごく困ったことを覚えています(笑)。
柴田 偶然ですが、「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン「熱狂の日」音楽祭」も同じ2005年に始まっています。このころ日本にクラシック音楽の新しい波がきていたのでしょうね。