“東京のオペラの森”から“東京・春・音楽祭”へ – 9年間の軌跡を振り返る

2008年
チャイコフスキーとその時代

ぶらあぼ 2008年のオペラは、小澤さんの十八番であるチャイコフスキーの《エフゲニー・オネーギン》でした。
柴田 演奏はさすがに手慣れていましたね。舞台のほうは、どこかさっぱりした、抽象的な演出でした。
芦田 蛍光灯をたくさん吊りさげた、寒色系の舞台で……。この年の演出家は、ファルク・リヒターさんに決まるまでに、3人も変わった! あとになるほど、若い人になっていくでしょう。みんな心配していましたが、彼はベストを尽くしてくれたと思います。近年、この《オネーギン》(ウィーン国立歌劇場との共同制作)は、ウィーンで一番上演されているプロダクションの一つになっています。
柴田 シンプルな演出がうけたのでしょうね。

《エフゲニー・オネーギン》より (C)大窪道治

《エフゲニー・オネーギン》より (C)大窪道治

芦田 音楽祭全体としては、2008年で「新演出のオペラ制作はいったんお休みします」という発表を行ないました。小澤さんと約束した4本も終わったし、オペラはお金もかかるので……。そんななか、室内楽公演に出演したメンバーと実行委員長の鈴木が宴席を持ちましてね。そのとき演奏家から「これからも何か続けていきたい」「室内楽もやっていきたい」という話が出た。それを聞いた鈴木が「それなら新しいかたちで音楽祭を続けよう」と想いを新たにするきっかけになった。この時点では、まだ先が見えない状況でしたが、小さな出来事から伸びた糸が、翌年の「東京・春・音楽祭」へとつながっていきました。
柴田 この年、N響と都響が参加していますね。
芦田 東京でやっている音楽祭だから在京オケにも入ってほしいと、鈴木も前々から話していた。それが実現しました。
柴田 日本を代表するこの2つのオーケストラが、今も音楽祭の柱になっているのはすばらしい。ここからも新しい“芽”が出たわけですね。

《エフゲニー・オネーギン》より (C)大窪道治

《エフゲニー・オネーギン》より (C)大窪道治

2009年
東京・春・音楽祭として新たな出発

ぶらあぼ 2009年から「東京・春・音楽祭」として新たに出発することになりました。
芦田 オペラの新演出を軸とした音楽祭は2008年でひと区切りして、新しいかたちを目指していくことになりました。オーケストラ公演は、2009年がハイドンの没後200年でしたから、《天地創造》を演奏しました。
ぶらあぼ 音楽祭全体の「その年のテーマ」を設けなくなりましたね。
芦田 そうです。もともと鈴木は「出演者がやりたいものを持ち寄って演奏する、本当の意味での“お祭り”のような音楽祭」という構想を持っていました。そのためにはテーマを設けないほうがいいということになり、以来、このスタイルを踏襲しています。
柴田 それによりミュージアム・コンサートの存在感が増して、バラエティ豊かになりましたね。

2013年国立科学博物館でのコンサートより (C)堀田力丸

2013年国立科学博物館でのコンサートより (C)堀田力丸

芦田 「東京のオペラの森」ではミュージアム・コンサートは、どちらかと言うとサブ的な位置づけでしたが、「東京・春・音楽祭」ではそれらも同じ土俵に乗せて、どのコンサートも平等に大切ですよ、というふうにしたのです。
柴田 イメージが変わりましたね。音楽通から一般の人まで誰でも楽しめる音楽祭になった。「多種多様なコンサートが催される」ーーそんな特長がファンのあいだにも定着したのではないでしょうか。
芦田 そうですね。この年から「歌曲」や「バッハ」のシリーズがスタートし、朗読やタンゴのコンサートも開くようになりました。
柴田 音楽祭全体のテーマがなくなった代わりに、シリーズものができて、それぞれのパフォーマンスに明確な“シーン”が生まれましたね。

 (C)ヒダキトモコ

(C)ヒダキトモコ