総合プロデューサー・彌勒忠史に聞くバロック・オペラ絵巻《アモーレとプシケ》


ギリシャ神話に込められた“愛の本質”を和洋の美を結集して描く

 《アモーレとプシケ》の公演が近づいてきた。様々な作曲家の楽曲を繋ぎ合わせて一つの歌劇に仕立てる「パステッチョ」というバロック・オペラの手法による《アモーレとプシケ》だが、大変に手が込んでいる。なにしろ、ギリシャ神話の物語をもとに彌勒がオリジナルの台本を執筆。音楽はすべて初期バロック、それに日舞や能楽、コンテンポラリーダンスが加わるというのだから。どんな舞台になるのだろう。

「“人間版”の文楽と思っていただけるといいと思います。初期バロックのスペシャリストたちが集まったアントネッロとソプラノの阿部雅子さんら4人の歌い手の音楽をバックに、日本舞踊の花柳凜さん、コンテンポラリーダンスの白髭真二さん、観世喜正さんと梅若紀彰さんが演じます。物語は基本的に歌手の皆さんによる日本語のセリフで進行し、それを舞で表現する。和と洋、そして時代を超えて、21世紀の日本だからできるプロダクションだと思います。
 日本にオペラが入って久しいですが、そろそろ一目見て日本の作品であることが分かり、しかも海外の劇場からも求められるような舞台作品があってもいいと思います。西洋のクラシックと日本の伝統芸能が融合した日本ならではのオリジナリティ溢れるオペラ。日頃からその双方を公演している紀尾井ホールさんだからこそ可能なのです。そもそも能や歌舞伎と初期バロックの音楽はとても相性がいい。オペラと歌舞伎はちょうど同じ17世紀初頭に生まれていますし、能はさらに古い伝統がある。それにその頃の西洋音楽とは即興的な要素が強いという点で通じます」
 

 主役のアモーレとプシケは白髭真二と花柳凜が演ずる。
「チラシでご覧のように、お二人ともビジュアル的に大変美しい。お能の観世喜正さん、梅若紀彰さんとは5年前の市川海老蔵さんの『源氏物語』でご一緒して以来お付き合いをさせていただいています。それぞれの流派の看板を背負う方々ですが、新しいことに挑戦する気概をお持ちです」
 

 音楽の聴きどころは古楽歌唱のスペシャリストたちが歌い奏でる名曲の数々だ。たとえば、モンテヴェルディの《ポッペアの戴冠》から絶美の愛のデュエット〈あなたを見つめ〉や「戦いと愛のマドリガーレ」の〈ニンファの嘆き〉、カッチーニのアリア〈アモーレよ、何をぐずぐずしているのか〉、パーセルの《妖精の女王》の〈嘆きの歌〉、一般のクラシックファンにはあまり馴染みはないものの、一度聴いたら忘れられない魅力をもつメールラの〈そんな風に信じるなんて〉など。

 歌はすべて原語で字幕付き。彌勒はこれらの曲をストーリーにあわせて巧みに織り合せ、歌詞を若干変えるが、それもバロック期によく行われていた手法。当公演における歌の役割は「登場人物たちの心情を表現することですが、まさに17世紀の声楽曲の名曲選です。この公演にいらしていただければ、この時代の音楽を知っているぞ、と言えるくらい、17世紀の音楽のエッセンスが詰まっています」。もちろん歌の合間には17世紀の器楽曲がふんだんに盛り込まれ、アントネッロならではのダイナミックかつダンサブルな演奏も聴きどころとなるだろう。
 

 愛の神アモーレが人間の女性プシケに恋をしてしまうことで、様々な試練の物語が始まる…。そんなプシケの物語が現代に投げかけるメッセージは何か問うと、彌勒はこう語ってくれた。
「ギリシャ神話を読んでいて思うのは、神と人間の違いは死ぬか死なないか。そんな儚い存在の人間が不死なるものに近づけるとすれば、時代を超えて人々に愛され続ける芸術作品を遺すこと。実はそれこそが、今回のテーマなんです。ギリシャ神話におけるアモーレ(愛の神)は、世界の始まりで万物を結び付けて新たなものを創造するエロス。まさに愛の本質ですね。そのアモーレによって人間のプシケは、神々の飲み物ネクタールを飲み、儀式を経て神々の仲間入りをするわけです。能や日舞、現代舞踊、そしてヨーロッパの17世紀の音楽というように様々な分野の芸能を一つに結び付け、まったく新しい舞台芸術を作り上げるという舞台の主題として、これほどふさわしいものはないと思います」
取材・文:那須田 務

彌勒忠史プロデュース
バロック・オペラ絵巻《アモーレとプシケ》(セミ・ステージ形式/日本語字幕)
2020.3/19(木)18:00、3/20(金・祝)14:00 紀尾井ホール
問:紀尾井ホールチケットセンター03-3237-0061
https://kioihall.jp 
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