アンドレア・バッティストーニ、歌劇《メフィストーフェレ》を語る<2>

ゲーテ「ファウスト」の物語とワーグナーへの傾倒

 

左より:アンドレア・バッティストーニ、井内美香

バッティストーニ「ファウスト」のもとのストーリーは西洋の非常に重要なテーマの一つですが、中世のドイツの魔術師でもあった学者のお話ですね。その彼が、悪魔に魂を売って様々なことを知る。知識としてはすでに卓逸したものを持っていたファウストですが、知識を得るために魂を売るのではなく、自分の目で見て世界を色々なことを体験するために魂を売るわけです。その中の一つとしては自分の肉体的な体験をするという面もありました。ボーイト自身はたぶん、ファウストにも、メフィストーフェレにも、自分をすごく投影していた部分があると思います。
メフィストーフェレに自分を投影していた部分というのは悪魔的な、すべての現在の価値観に逆らうという面。ファウストに自分を投影していた部分は、彼のパッションですね。勉強に対するパッション、自然に対する共感、知識を得たい、物事を知りたいという渇望。
ボーイトがメフィストーフェレを取り上げて書こうと思ったということは、非常に彼は勇気があったと思うんです。ゲーテの「ファウスト」は、ボーイトの数年前にグノーが既に取り上げてオペラにしています。それはそのままズバリ「ファウスト」という名前でした。
グノーの他にもベルリオーズはやはり《ファウストの劫罰》という作品を作っていますが、それらは全てゲーテのファウストの第1部を音楽劇作品にしているんですね。それと違って、このボーイトの《メフィストーフェレ》は、より内省的であり哲学的である第2部を含んだオペラになっています。

リヒャルト・ワーグナー(1813-1883)

ボーイトは、もう一つ非常に勇気があったのは、台本と音楽を両方自分で作ろうと思ったことです。台本作家としてはこの《メフィストーフェレ》を自分で作ろうと思う前にひとつ、彼が親しかった友人で、指揮者としては後にも知られていますが作曲家としては忘れられた人になってしまった、フランコ・ファッチョという人のために《ハムレット》という作品の台本を書いています。
その《ハムレット》の後で自分が作品を書こうと思った時のボーイトのモデルはワーグナーでした。当時イタリアでワーグナーはそれほど広く知られている作曲家ではありませんでした。しかし、ボーイトと同じ、当時の若い世代の作曲家たちはワーグナー的な世界に非常に憧れていたんです。なぜかというと、今までのイタリア伝統のオペラの世界、その中のトップであったジュゼッペ・ヴェルディに対しての反抗心があった。
 ボーイトはこのように主張しました。「ワーグナーの道をわれわれは行くべきだ」と。「それがこれからの未来の音楽を作るものだ、ジュゼッペ・ヴェルディに代表されるこれまでのイタリアのオペラのスタイルは捨てるべきだ」という主張をしたわけです。これは当時としては非常に衝撃的な発言でした。ヴェルディはその時すでに《アイーダ》以前の彼の色々な作品を全て書いていましたから、非常に重要な巨匠だったわけですね。
ですから、ボーイトの《メフィストーフェレ》が完成し、1868年にミラノのスカラ座で初演されたときは、批評家たちや観客の両方から、非常に期待と注目が集まっていました。いったいどういう作品なんだろう、と。なぜかというと、ボーイトがはそれほどまでにオープンに今までのイタリアの伝統に挑戦状を突きつけていたわけです。
この時、もうひとつ、ボーイトがすごく勇気があったのは、この初演を自分で指揮しちゃったんです。ボーイトはそれまで全く指揮の経験がなかったのに、自分の作品だということで指揮までやってしまった。結果としては、全てがうまくいったとはとても言えない状態に終わってしまいました。
劇場の半分はグラックという、まあ、お金をもらっていた人たちを含む、ボーイトを応援する派だったのですが、反対派もものすごくて、結局あまりにも客席がすごい騒ぎになってしまったので、いったいどういう作品だったのかわからないままに《メフィストーフェレ》というオペラが終わってしまうような騒ぎになってしまいました。
ボーイトはこの結果に非常にフラストレーションを感じ、非常に失望してしまったので、この初演版の《メフィストーフェレ》を“破り捨てて”しまいます。

悪魔、この魅力的なるもの‥ボーイトの野心と挑戦


ウジェーヌ・ドラクロワによる「空を飛ぶメフィストフェレス」(『ファウスト』より)

しかし、この悪魔を主人公にする、非常にずるがしこくて、魅力があって、私たちがすごく近いものに感じる、そういう悪魔を主人公にしたオペラというのは、彼自身の心にもすごく残っていたようです。ですから実は、“捨てた”と言っているけど結構残していたんですよ。自分がこのオペラの初演版の中で「やりすぎて」しまった部分についても気が付いたという面もあります。この初演版があまりにも当時のイタリアの観客にとって難解すぎたということに彼は気が付いたんです。そこで、総譜を書き直して、今回私が演奏するのもその現行版ですが、《メフィストーフェレ》の新しい版を作り直しました。そしてボローニャ歌劇場で上演します。これは非常に賢い選択で、ボローニャはワーグナーのオペラをイタリアで最初に上演した劇場ですから、そういうボーイトの作品に対して非常にポジティブな興味がすごくあったわけです。指揮もほかの人に任せました
それで、《メフィストーフェレ》というオペラは非常に大きな成功をおさめます。現行版の初演は1875年ですから、初版からそんなに長い年月がたっているわけではない。7年ですね。
今度は、完璧といっていいほどのコンビネーションが組むことができました。イタリアの伝統的なオペラの良さ、メロドラマというイタリアの良さである“カンタービレ”がとても美しいアリアがあったり、ロマンスがたくさんあるという面を備えていながら、一方ではオペラの構成としてアリアや重唱があり、また、曲が一つ終わって次に行く、というように曲が一つ一つ離れてしまっていた19世紀前半のイタリアオペラの伝統から全く離れた、新しい形を持ったオペラを作り出したということで、イタリアの伝統にドイツとフランスの良いところを混ぜ合わせた、そのような新しい作品を作ることができたんです。

さらに、音楽的かつ演劇的にこの作品の素晴らしいところは、それはボーイトが試みたところですが、先ほど言ったように、それまでのイタリアオペラは一つ一つの切れて並んでいる、という形式だったんですが、そこから脱却して、デクラレーション、つまり朗詠ですね、朗々と歌う語り的なメロディラインに焦点を当てる、そういう作品を作ったことによって、観客はストーリーから離れないでドラマの内容に引き込まれる。そういう作品を作ることができたんです。それはもちろんワーグナーの影響から来ているのですが、歌がオーケストラ・ピットから立ち上ってくる音と絶え間なく一緒に織りなされていく、そういう感じです。
メフィストーフェレの中のオーケストラは、決して伴奏ではありません。それどころか歌手が言葉を通じて歌っているのとそれと同じ重要さで、物語をオーケストラが語っていくんです。音の形がそれぞれ意味を持っている。もちろんライトモチーフは、ワーグナーで有名なライトモチーフそのものではありません。しかし、それに非常に近いものです。

Part 3 へ続く

<公演情報>
●第912回 サントリー定期シリーズ
2018.11/16(金)19:00 サントリーホール

●第913回 オーチャード定期演奏会
2018.11/18(日)15:00 Bunkamuraオーチャードホール

指揮:アンドレア・バッティストーニ
メフィストーフェレ(バス):マルコ・スポッティ
ファウスト(テノール):ジャンルーカ・テッラノーヴァ
マルゲリータ/エレーナ(ソプラノ):マリア・テレ-ザ・レーヴァ
マルタ&パンターリス(メゾソプラノ):清水華澄
ヴァグネル&ネレーオ(テノール):与儀 巧
合唱:新国立劇場合唱団 他

ボーイト/歌劇《メフィストーフェレ》(演奏会形式)

問:東京フィルチケットサービス 03-5353-9522(平日10時~18時、12/23(土)は10時~16時)
東京フィルWebチケットサービス http://tpo.or.jp/(24 時間受付・座席選択可)