《interview》チョン・ミョンフン(指揮/東京フィルハーモニー交響楽団 名誉音楽監督)

 2001年以来、東京フィルハーモニー交響楽団にポストを持つ現・名誉音楽監督のチョン・ミョンフン。同楽団と親密な関係を築くマエストロに、ポスト就任20年の思いや2021年の定期演奏会について話を聞いた。


*本インタビューは2020年12月に実施した取材によるものです。
 新型コロナウイルス感染症の再拡大により、外国人の新規入国が全面的に禁止されたため、2月の定期は中止となりました。

(C)上野隆文


─ 2020年2月定期の《カルメン》で名演を残されて以来、来日が途絶えています。その後の状況と現況(コロナ禍)に関するご意見をお聞かせください。

 2020年に指揮するはずだった70公演がキャンセルになりました。しかし現況を考える時、メシアンの歌劇《アッシジの聖フランチェスコ》の第1幕に出てくる言葉を思い出さずにはいられません。それは「人生の真の喜びは苦悩の中にある」。私は、どんな苦しみの中にも喜びやポジティブな事柄を見出せると信じています。まずは病に苦しんだ人たちと、彼らを助けた人たちの事を考えなければなりませんが、私は困難を少なくとも試練、ひいては何かをより良くする機会と捉えるようにしています。


─ この20年の間に東京フィルとの関係はどう変化してきましたか?

 東京フィルとは20年間、常にポジティブな関係を続けてきました。これはある意味奇跡的なことです。人との関係において最良の到達点は“信頼”だと思います。お互いが相手の事を考え、疑いがどんどん無くなっていく。ただ、そこに至るまでには時間と段階を要します。まずはプロフェッショナルなレベル、そしてそれがうまく行った次に良いプロフェッショナルなレベル、最後にパーソナルな関係です。私は今、東京フィルのメンバー一人ひとりに対してこころから幸福を願い、愛情を感じています。


─ 現在の東京フィルのキャラクターをどう捉えていますか?

 難しい質問なので、個人的な答えを言うと「東京フィルは自分のことを理解してくれる」。大したことではないように聞こえるかもしれませんが、これはプロの世界では滅多にありません。
 指揮者はまずテンポなどの基本的なことを腕の動きで分かってもらう必要があります。そして、できれば腕を見て自分の心を分かってほしいと思っています。しかしそれはとても難しく時間がかかります。そうした意味で、東京フィルへの最高の賛辞として「自分のことをよく分かってくれてありがとう」と感謝したいと思います。

2020年2月21日 第932回 サントリー定期シリーズより
(C)上野隆文

2020年2月21日 第932回 サントリー定期シリーズより
(C)上野隆文


─ 2021年は東京フィルにとってどんなシーズンにすべきとお考えですか?

 私の音楽上の目標が一つだけあります。それは「昨日よりも少しより良く演奏すること」です。


─ 2月定期ではマーラーの交響曲第2番「復活」を指揮されます。マエストロと東京フィルの関係は、2001年にこの曲の感動的な名演で始まりました。今回は東京フィルがコロナ禍からの復活を期してプログラミングしたとのことですが、今この曲を演奏する意味と、マエストロが思うマーラー「復活」の特徴や魅力を教えてください。

 東京フィルの提案は素晴らしいアイディアだと思い、喜んで賛成しました。この交響曲の中心的なテーマはもちろん「復活、再生」です。死んだ後どうなるかは皆が考えること。でもマーラーの答えは天才的です。「瞬きをする間に人の魂は飛翔する」。復活祭の頃にふさわしい音楽でもありますが、2月の公演は音楽生活の復活を祝うプレ復活祭にしたいと思っています。

 この交響曲第2番は、ある意味第1番の続きとして書かれています。1番では超人的ヒーローが描かれ「巨人」と名付けられました。2番は巨人の葬送行進曲であり、楽章を経る中でその思い出などが描かれます。しかしこの作品の力は間違いなく終楽章でやってきます。宇宙のビッグバンのようにすべてが爆発し崩壊する。そして死後の世界へのヴィジョンが示され、合唱が「お前は蘇り、その魂は永遠に生きる」というメッセージを歌う。この考え自体が人間の核心をつくものとはいえ、マーラーの天才的な音楽がなければこれほどのインパクトを持つものにはならなかったでしょう。この曲は人の心を真の意味で天空に飛翔させる音楽です。もちろん録音を聴いてもパワフルな効果はあるでしょうが、その力を本当に体感するには演奏者を生で見て感じる必要があります。それは機械では再生できないものなのです。


─ 7月と9月の定期はブラームスの交響曲全曲演奏ですね。2009年にも東京フィルで全曲演奏をされていますが、今このチクルスを行う理由は?また前回と今回ではどんな違いが生まれるとお考えですか?

 私は以前よりもさらに勉強しています。先ほども言った「少しでも昨日より良く演奏すること」は、段々楽になるのではなく、逆に難しくなっていくので、もっと勉強しなければならなくなるのです。本当の試金石は「より良く演奏したい」という意思を持てるかどうか。そして作品があまりに偉大なので、作品への愛がより良く演奏するよう、より深く勉強するよう要求します。

 ただこうした例もあります。私は昔、ブラームスの4番を非常に難しいと感じていました。しかしある日、なぜか楽になったように感じたのです。その時私は、ブラームスが4番を書いた歳、53歳になっていました。そこで気づいたのはすべての人間が色々な共通項を持っているということ。もちろん天才には特別な部分がたくさんありますが、共通項もあります。53年間生きてきたら他の53年間生きてきた人と共通項があり、23年生きてきた人にはできないことができる。以来第4番との関係が深まりました。

(C)上野隆文


─ マエストロが思うブラームスの交響曲の特徴や魅力、さらには全曲を聴く意味をお聞かせください。

 ブラームスは交響曲第1番の作曲に長い時間をかけたので、発表した時にはすでに十分経験を積んだ作曲家になっていました。従って4曲に大きな音楽的違いはないのですが、それでも違いがある。
 私は時々、この曲は何の動物に当たるだろう? と考えます。1番は力を持ったライオン、しかし4番は何か? 先見の明で知られるシューマンがブラームスについて言ったのは「世界は鷲を見つけた」でした。交響曲第4番の第4楽章に至った時、ブラームスは遂に空へ飛翔する力を身につけます。もはやライオンではなく鷲なのです。1番は物理的に力強いが、4番では心が飛翔する。1番から4番に向かって素晴らしい弧が描かれていると思います。なので1番から4番まで聴いて、物理的な状態から心が高揚するレベルに跳躍する過程を辿るのはとても興味深いと思います。


─ マエストロにとってブラームスはどんな存在ですか?

 学生の頃は、白く長い髭を生やした有名なブラームスの肖像を見ていたので、ゆっくりした重たい音楽を書くお爺さんだと思っていました。しかし今ではまったく違うイメージを抱いています。彼には動物的な野蛮人の面、知性や芸術以前に内側で燃えている生の力があるのです。私にとってブラームスの音楽は、突き破って飛び立つのを待っているような燃える情熱です。多くの物事の熾烈さは─殊に音楽においては─ある種の苦闘から生まれると思っています。例えば種子の中から外に出ようとしているエネルギーは膨大なものです。その種子が天才の中にあるものだったら、どんなエネルギーが解き放たれるのか想像に難くありません。これがブラームスについていつも感じることであり、内面の熾烈さにおいて彼を凌ぐと感じられる作曲家はベートーヴェンだけです。


─ 最後に日本の聴衆へのメッセージを。

 東京フィルは東京の私の家族ですが、20年経った今、お客様ももはや無名の観客ではありません。私にとっては友だちに向けて演奏している感覚です。ですから日本の友人の皆様にまたお目にかかれるのを楽しみにしています。

 私の皆さんへのメッセージを音楽で表現するとベートーヴェンの交響曲第6番「田園」。その最終楽章はたった一つのメッセージ「ありがとう」と言っています。私たちを支えてくれているすべての人に感謝を伝えるために自分は音楽をやっている。私が友だちのために演奏する時、感謝を表そうとしている。本当にそうだ。それが私の唯一のメッセージです。ありがとう、どうぞお元気で、2021年が皆様にとって本当に素晴らしい年になりますように。

 

 マエストロの東京フィルへの深い愛情と含蓄のある話に触れると、コンサートがますます楽しみになってくる。東京フィルとの20年のコラボの成果が詰まった、ブラームスの交響曲全曲の公演にぜひとも足を運びたい。
取材・文:柴田克彦

(C)上野隆文


【関連記事】
●動画レポート:チョン・ミョンフン指揮 ビゼー/歌劇《カルメン》(演奏会形式)

https://ebravo.jp/tpo/archives/3354
●動画レポート:東京フィル 2020年2月定期《カルメン》本公演を取材
https://ebravo.jp/tpo/archives/3418


【Profile】

ソウル生まれ。1974年チャイコフスキー国際コンクールピアノ部門第2位。ロス・フィルでジュリーニのアシスタント・副指揮者をつとめ、ザールブリュッケン放響、パリ・オペラ座バスティーユ、サンタチェチーリア管、フランス国立放送フィル、ソウル・フィル等で重要なポストを歴任。アジア・フィル創設/音楽監督、シュターツカペレ・ドレスデン首席客演指揮者。東京フィルでは2001年スペシャル・アーティスティック・アドヴァイザー就任、現在は名誉音楽監督。ピアニストとしての室内楽公演、アジアの若い演奏家の支援、ユニセフ親善大使、アジアの平和を願う活動など多岐にわたり活動。


【Information】
東京フィルハーモニー交響楽団 2021シーズン
チョン・ミョンフン指揮公演

●2月定期演奏会(公演中止)
第948回オーチャード定期演奏会

2021.2/21(日)15:00 Bunkamura オーチャードホール
第949回サントリー定期シリーズ
2021.2/24(水)19:00 サントリーホール

― 必ずよみがえる! ―
マーラー/交響曲第2番「復活」


●7月定期演奏会
第140回 東京オペラシティ定期シリーズ
2021.7/1(木)19:00 東京オペラシティ コンサートホール

第956回 サントリー定期シリーズ
2021.7/2(金)19:00 サントリーホール

第957回 オーチャード定期演奏会
2021.7/4(日)15:00 Bunkamura オーチャードホール

― ブラームス 交響曲の全て ―
ブラームス/交響曲第1番
ブラームス/交響曲第2番


●9月定期演奏会
第141回東京オペラシティ定期シリーズ
2021.9/16(木)19:00 東京オペラシティ コンサートホール

第958回サントリー定期シリーズ
2021.9/17(金)19:00 サントリーホール

第959回 オーチャード定期演奏会
2021.9/19(日)15:00 Bunkamura オーチャードホール

― ブラームス 交響曲の全て ―
ブラームス/交響曲第3番
ブラームス/交響曲第4番


●発売日(7・9月定期)

最優先発売日:2021.3/13(土)
優先発売日:3/20(土・祝)
一般発売日:4/6(火)