アンドレア・バッティストーニ、歌劇《メフィストーフェレ》を語る<1>

 東京フィル首席指揮者アンドレア・バッティストーニがおくる、オペラ演奏会形式。プッチーニ《トゥーランドット》(2015年)、マスカーニ《イリス(あやめ)》(2016年)に続いては、今年2018年に没後100年を迎えた作曲家アッリーゴ・ボーイトの歌劇《メフィストーフェレ》。ボーイトは、ヴェルディ晩年の傑作《オテロ》《ファルスタッフ》の台本作家として有名だが、ミラノ音楽院に学び、若いころにはワーグナーに傾倒した作曲家、そして詩人でもあった。《メフィストーフェレ》はボーイト26歳のとき、1868年、ミラノ・スカラ座で作曲家自身の指揮で行われた。5月、朝日カルチャーセンター新宿講座で、音楽評論家・加藤浩子氏の案内で行われた講座は、大教室が満杯になるほどの聴講生が訪れ、バッティストーニの話に耳を傾けた。
(2018.5.23 朝日カルチャーセンター新宿 講師:加藤浩子 通訳:井内美香 写真提供:東京フィルハーモニー交響楽団)

加藤 バッティストーニさんは1987年生まれ。今年30歳と大変若い指揮者ですが、大活躍で、2012年に東京二期会の《ナブッコ》で日本デビュー。大成功を収めました。2015年からは東京フィルの首席指揮者に就任しています。《メフィストーフェレ》というオペラは15年ほど前に日本初演されているのですが、プロの演奏団体では上演されていません。今回が、作品の本来の姿というのがわかる最初の機会なのではないかと思っております。ボーイトという人は19世紀の後半に、イタリアの芸術界のマルチ・タレントみたいな方でした。作曲もする、詩も書く、台本作者、そういう人です。ボーイトの真実の姿というものを、バッティストーニさんにたくさん話していただきたいと思います。

バッティストーニ 本日は皆さんにお会いできて大変うれしく思います。今日は、ボーイトの非常に興味深いオペラ《メフィストーフェレ》についてお話したいと思います。私が首席指揮者を務めております東京フィルと、ボーイトのオペラ《メフィストーフェレ》を演奏したいと思う理由をまずお話しましょう。まずは、私にとって《メフィストーフェレ》がイタリアオペラのレパートリーの中で最も愛している作品ということ。しかし私はまだ指揮したことがありません。このオペラは国際的にみても上演が少なくなっているのです。ですが、今年、2018年は、ボーイトについて非常に重要な年です。まず彼は1918年に亡くなっており、今年は没後100年にあたります。さらに《メフィストーフェレ》が初演されたのは、1868年にミラノ・スカラ座においてでした。つまり今年は初演から150年。2つのアニバーサリーということで、日本のオペラファンの皆様にとってはどちらかというとマイナーなこの作品を知っていただく、非常に良いきっかけになると思います。

イタリアでの《メフィスト-フェレ》評価と上演の変遷

《メフィストーフェレ》は1970年頃までは、特にイタリアでは非常に上演が多く、人気のあるオペラでした。プッチーニやヴェルディのオペラと比べられるくらい、みんながよく知っていました。イタリアのヴェローナの野外オペラ劇場「アレーナ・ディ・ヴェローナ」はオペラのレパートリーの中でもポピュラーな作品を上演する場所として知られていますが、ここでも5年続けてメフィストーフェレが上演されたことがあります。それが、その後、80〜90年代くらいに上演が減ってしまったのです。理由としては、イタリアで特に批評家の人たちから、ヴェリズモ・オペラもしくはヴェリズモ以前のいくつかの作品に対する評価が非常に厳しくなったということがありました。「折衷主義」といいますか、ヴェルディまでの伝統や旋律美、プッチーニの洗練されたオペラのスタイル、これらから外れている作品が、その時期にはあまり評価が高くなくなってしまったんです。ですから、マスカーニ、レオンカヴァッロ、ジョルダーノ、そしてボーイトもその中の一人ですが、彼の《メフィストーフェレ》も、イタリアの歌劇場のレパートリーから少し外れて上演が減っていってしまった作品となりました。

ヴェローナ野外音楽祭の写真 C)FotoEnnevi

一方で、今こそ特にこのボーイト《メフィストーフェレ》など、この美しい、素晴らしい作品のクオリティを偏見や先入観がない人たちに評価していただくのに一番いい時だと思います。皆さんは、ボーイトについてはもしかするとヴェルディの最後の2つの傑作《オテロ》と《ファルスタッフ》の台本作家として、あるいは、ボーイトが作品に手を入れたことによって傑作の一つとして生まれ変わったヴェルディの初期の作品《シモン・ボッカネグラ》の台本作家として、ボーイトを知っているのかもしれません。イタリアでもそうです。
ただ、ボーイトはイタリアでは詩人として素晴らしい、大変価値のある美しい詩をたくさん書いています。19世紀末のイタリアの詩の世界を代表する作家だと私は思っていますし、今日でも、小学校や中学校などでもボーイトの詩がいくつか取り上げられることがあるのです。これらの作品は、当時の文学的ムーブメントであった、『スカピリアトゥーラ』、日本語では『蓬髪主義』……“髪の毛ぼさぼさ主義”という意味なのですが、そのような名のムーブメントの作家として知られています。

作曲家ボーイトの目指した世界

アッリーゴ・ボーイト(1842-1918)

19世紀の後半、ボーイトの世代の若者たち…フランスでいう『ラ・ボエーム』の詩人のような世界をイタリアで体現していた人たちが“スカピリアトゥーラ”と呼ばれていました。彼らが理想としていたのは革命的な理想でした。当時の貴族社会、教会、社会の価値観などをひっくり返すというのが彼らの目的でした。それを芸術や音楽を通じてやる、ということです。この“蓬髪主義者”たちが好んだイメージは非常にスキャンダラス、時代に逆らうもの、ダークな趣味でした。ゴシック趣味、死というものに魅力を感じ、幽霊、デカダンス、それから肉体が朽ちていくこと、骨やお墓や暗闇に魅力を感じている、そういう人たちですから、当然悪魔にも魅力を感じていたわけです。悪魔というのは蓬髪主義者たちにとっては、権威に刃向かう人のシンボルであったんですね。権威、国家、法律、モラル、市民社会に対する反抗、それらのすべてのベースになるイメージというのが悪魔だった。
特に当時は非常に厳格なキリスト教社会でした。そこで主である神に対して堕ちて行ったのが悪魔という存在です。神に挑戦する、……結局挑戦しても負けてしまうのですが、そのキリスト教的な善というものから自由になろうともがいている、その象徴だったわけです。そういうわけで、ボーイトが初めて自分で台本と音楽を作曲してオペラを作りたいと思った時に彼が選んだ題材が、悪魔というものに対するボーイトの自分自身の親近感を示すということで、このメフィストーフェレを題材に選んだわけです。
ただボーイトは当時の若者として、そういう反逆的な思想を持っていたわけですが、それだけではなく、彼は貴族の血も引いている、非常に教養のある人でした。パリで勉強する機会もあり、そこでたくさん読書をしたインテリでもあったので、地方主義というか国際的な目が開かれていない当時のイタリアはからは外に出て、国際的な教養を身に着けた人でした。その中で、彼が色々なものを読んでいく中で出会ったのがゲーテの「ファウスト」だったわけです。
音楽の歴史上、この「ファウスト」という題材が取り上げられたことはもちろんあるのですが、ここでは、どこに視点を置くかということが問題になってきます。主人公ファウストの側から見た作品、タイトルが「ファウスト」であるような作品はこれまでもあったわけです。しかし、《メフィスト-フェレ》は初めて、悪魔メフィストの側に視点を置いた作品です。悪魔はゲーテの「ファウスト」のなかでメフィストという風に呼ばれていますが、それがイタリア語になるとメフィストーフェレという名前になり、それが、蓬髪主義者であるボーイトの視点だったわけです。

Part 2 へ続く

<公演情報>
●第912回 サントリー定期シリーズ
2018.11/16(金)19:00 サントリーホール

●第913回 オーチャード定期演奏会
2018.11/18(日)15:00 Bunkamuraオーチャードホール

指揮:アンドレア・バッティストーニ
メフィストーフェレ(バス):マルコ・スポッティ
ファウスト(テノール):ジャンルーカ・テッラノーヴァ
マルゲリータ/エレーナ(ソプラノ):マリア・テレ-ザ・レーヴァ
マルタ&パンターリス(メゾソプラノ):清水華澄
ヴァグネル&ネレーオ(テノール):与儀 巧
合唱:新国立劇場合唱団 他

ボーイト/歌劇《メフィストーフェレ》(演奏会形式)

問:東京フィルチケットサービス 03-5353-9522(平日10時~18時、12/23(土)は10時~16時)
東京フィルWebチケットサービス http://tpo.or.jp/(24 時間受付・座席選択可)