新垣有希子(ソプラノ)

 東京二期会が来月、新国立劇場オペラパレスを舞台に、プッチーニのオペラ『三部作』《外套》《修道女アンジェリカ》《ジャンニ・スキッキ》を上演する。
 デンマーク王立歌劇場およびアン・デア・ウィーン劇場との提携公演となる本公演で演出を務めるのは、2014年9月に上演したモーツァルトのオペラ《イドメネオ》が評判となったダミアーノ・ミキエレット。
 三つの異なるオペラ作品を一晩にまとめて上演するのは、プッチーニが作曲当時から意図していたことだが、実際には『三部作』として上演される機会は多くない。上演されたとしても、それぞれが物語も音楽も異なるため、単に「三作品一挙上演」となるのがほとんどだが、今回の演出でミキエレットは、3つの作品を“一つのまとまった作品”として上演する。

©Yoshinobu Fukaya/aura.Y2

■3役を歌い分ける

 この3つの作品を通じて3役(《外套》恋人たち、《修道女アンジェリカ》ジェノヴィエッファ、《ジャンニ・スキッキ》ラウレッタ)を歌い演じ分ける歌手のひとりが、ソプラノの新垣有希子だ。08年から09年までローマに留学。その後、オーストリアのチロルと国境を接する街ボルツァーノに移り住み、17年からはミラノを中心に国際的な活動をしている。東京二期会の将来を担うプリマドンナだ。
 03年芸大定期オペラ《フィガロの結婚》スザンナ役でオペラデビュー。以降、《ヘンゼルとグレーテル》グレーテル役、《ドン・ジョヴァンニ》ツェルリーナ役などから、《トゥーランドット》リュー役、《イドメネオ》イリア役、《リゴレット》ジルダ役、《魔笛》パミーナ役、《ラ・ボエーム》ミミ役、そしてワーグナーに至るまで、幅広い声質を誇るが、一夜で3役を歌うのは初めてのこととなる。

「一晩で3人の役を歌い演じる、というのはもちろん初めてのことです。どうやってその役に集中しよう?とか、どうやって気持ちを切り替えればいいだろう?など考えながら稽古していますが、それでも、すべてが同じプッチーニの音楽ですから、異なる作曲家の作品を並べるリサイタルよりは気持ちのもって行き方はやりやすいですね。
 ただ、今回《外套》と《修道女アンジェリカ》は続けて上演されますので、《外套》で恋人たちを歌ったらすぐに衣裳替えして《修道女アンジェリカ》では冒頭から登場しますし、《ジャンニ・スキッキ》の前の休憩時間もメイクと衣裳直しがありますので、実際に通してやるとなると、なかなか大変なんだろうなあと思っています」

■《外套》の「恋人たち」に込められた意味

 三部作の始まりは《外套》。
 幼い子を亡くした夫婦ミケーレとジョルジェッタは、そのことで関係が冷えきっている。ミケーレの下で働くルイージとジョルジェッタの不倫をつきとめたミケーレはルイージを殺し、外套に包まれた死体をジョルジェッタの前に突き出す・・・。

《外套》
アン・デア・ウィーン劇場公演より C)Werner Kmetitsch

 物語のなかで、ひとり悶々とするミケーレにあてつけるように若い恋人たちが愛をささやくシーンがある。《外套》を単独の物語として眺めると、恋人たちの登場とそこで歌われる内容には特に重要なものはないように思える。もちろん、ミケーレの心情を逆なですることで、結果、殺人にまで及んでしまうという要素をスパイスとして盛り込んだのであろうことは容易に想像できる。ではなぜここで恋人たちが登場する必要があったのか?

「ミキエレットさんは三部作をひとつのまとまった作品として演出されると聞いていますが、《ジャンニ・スキッキ》で私が歌うラウレッタと恋人のリヌッチョを《外套》にも登場させているんです。ですから、ここでの恋人たちは若きラウレッタとリヌッチョということになります。《ジャンニ・スキッキ》に至るまでの前史がここで描かれるのです。そうやって考えると、とても重要な役になります。このように三部作のなかで恋人たちとラウレッタ、リヌッチョを同じ歌手に歌わせることはあまりないので、ミキエレットさんに感謝です!」

■《修道女アンジェリカ》におけるジェノヴィエッファの存在とは?

 子どもを亡くしてしまった(と思い込んだ)修道女アンジェリカは自殺を企てる。が、そのことを悔い、聖母マリアに罪の許しを請う。奇蹟がおこり、アンジェリカは救われる・・・。

《修道女アンジェリカ》
アン・デア・ウィーン劇場公演より(C)Werner Kmetitsch

 《修道女アンジェリカ》の物語を一言で言い表すとこうなるが、すべての登場人物が発する台詞を細かく追ってみると、どこかみな幻を見ている、幻影につきまとわれているかのようだ。そこになんら現実的なものはない。なかでもジェノヴィエッファはその最たる人物ではないか?

「全体に暗いオペラですが、ジェノヴィエッファだけが明るいんですね。彼女だけが他の人とはちょっと違うんです。ミキエレットさんはこの修道院を、まるで二度と出られない収容所のように描いているのですが、そこには罪を犯した人だけが収容されているわけじゃないんですね。
 ジェノヴィエッファはおそらく田園の広がる田舎の大家族に生まれて、その末っ子だったのでしょう。とても貧しいので、彼女だけ修道院に入れるしかなかった。自然を愛し、羊たちとふれあうのが大好きだった彼女ゆえ、年にたった1度だけ修道院に差し込む陽の光を見て感動の言葉を口にしたりもする。
 でも、ミキエレットさんの演出では、いつもウサギのぬいぐるみを肌身離さず、ときに子供じみた悪戯をしたりと、どこかちょっと頭がおかしい女の子として描かれています。常軌を逸するあまりにも厳しい修道院で一生を過ごすには、少しくらいおかしくなっている、狂っているほうが楽、だから、自分の世界に入り込んでいる、というのがミキエレットさんの解釈のようです。
 山に近いボルツァーノに住んでいた経験からわかるのですが、そこで暮らす農家の方々はほんとうに信仰深いのです。毎週末になると山を降りて何時間もかけて教会に行く。それを間近で見ているので、ジェノヴィエッファもこんなところにいたんだろうなあと想いながら演技しています」
 
 奇蹟がおこりアンジェリカが最後に救われる。そこでいつも泣いてしまう、と語る新垣。
「このオペラの最大の魅力は、やはりそのシーンですよね。《修道女アンジェリカ》はすべてがどこか非日常。日常のドロドロとしたものとはかけ離れたところで、神様とつながっている。救われてほしい!そう想いながら見ています」

 アンジェリカが子どもを亡くしてしまったと思い込んだところから物語が急速に展開するが、ミキエレット演出では、じつは子どもは死んでいなかった。

「かなり現実的というか、現実を突きつけられますよね。遺産相続のために子どもが死んだかのように使われる。そのことでアンジェリカは命を絶つことになる。人間のドロドロとしたところを見せつけられます。遺産相続という部分はそのままこの後の《ジャンニ・スキッキ》にもつながります」
 
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