コロナ禍で数々の公演が中止となった昨年の状況を顧みるならば、ワグネリアンにとっては待望の時がやってきたと言ってもよいだろう、この春先はびわ湖ホールの《ローエングリン》、新国立劇場の《ヴァルキューレ》、東京・春・音楽祭の《パルジファル》など、ワーグナーの楽劇全曲上演が目白押しだ。その先陣を切るのが東京二期会の《タンホイザー》、しかも演出は新国立劇場の《ニーベルングの指環》四部作の旧プロダクション、いわゆる“トーキョー・リング”でセンセーションを巻き起こしたキース・ウォーナーである(ただし今回は本人は来日せず、演出補のドロテア・キルシュバウムら外国人スタッフがすべてリモートで稽古参加)。期待に胸を高鳴らせ、ゲネプロに潜入した。
(2021.2/15 東京文化会館 取材・文:山崎太郎 写真:寺司正彦)
舞台は左右と後方を壁で取り囲んだ大きな部屋で、奥の方に入れ子状にしつらえられた枠付きの小ステージ、上方に張り巡らされた回廊、さらには天井から舞台面に向かって下りる巨大な逆円錐形の鉄格子が全幕を通して同一の空間を形成する。
1幕冒頭、禁断の歓楽の園ヴェーヌスベルクは赤いソファーを置いた娼館のような設定。スクリーンに映る古典的な絵画(ブグローの『ニンフとサテュロス』)が突如、三次元に早変わりし、裸身かと紛う男女のダンサーがエロティックなバレエを繰り広げるところなど、鮮やかな光景がさっそく目を奪うものの、以降は目覚ましい展開もあまりなく、肩透かしを食らったような思いだ。この場面や第二幕にも登場する少年が誰なのか(ヴェーヌスとタンホイザーのあいだにできた子供?)、演出の意図が不明で、舞台にちりばめられた謎や仕掛けが回収されぬままに終わっているところも気になる。
解釈の道筋がようやく見えてきたのは第二幕の歌合戦の場以降だ。男たちは領主とタンホイザー以外、全員ビシリと揃った軍服姿、吟遊詩人も歌のたびに剣を立てるなど、家父長的規範に支配された社会の圧力と暴力性を強調する。エリーザベトとお揃いの純白のドレスに身を包む女性たちは、歌合戦が始まると広間の外に退場し、遠くから成り行きを傍観するばかり。一方、歌合戦の隠れた賞品とされるエリーザベトその人は、人身御供のように舞台前縁の椅子に座り、身体は客席側を向いたきりで、後方の小ステージで披露される歌や男たちの不穏なやりとりに介入することもままならない。タンホイザーのヴェーヌスを讃える歌で事態の収拾がつかなくなってはじめて、彼女は立ち上がり、憤激する男たちのあいだに割って入るのだが,罪の赦しを求めるため、ローマ巡礼をタンホイザーが決意する幕切れになると、再び椅子に戻る。そして第3幕の幕開きでは、第2幕と打って変わって荒廃の様相を示す舞台のうえで、彼女だけがまったく同じ姿勢で椅子の上に座り続けているのである。
このあと、タンホイザーが帰ってこないことを知って、エリーザベトは聖母マリアに祈り、舞台奥に消えてゆくのだが、この演出では、彼女の衝撃的な最期が暗示される。それは、彼女の幸せを祈るヴォルフラムの〈夕星の歌〉の切々たる調べとあいまって、救われるべきはタンホイザーではなく、孤独に追い詰められ、絶望のうちに死んでいったエリーザベトのほうであると客席に訴えかけているようだった。その点で、この作のヒロインの運命はゲーテの戯曲『ファウスト』のグレートヒェンの悲劇にも通じているのであり(ちなみに両作の主人公はどちらもハインリヒという名だ)、かつて男のエゴイズムによって破滅した女性が祈りによって男を救うという筋立てをも両作が共有していることを改めて認識した。タンホイザーの死と救済を描く幕切れがこの演出でどのように描かれるかは本番のお楽しみ――ここでは代わりに「永遠にして女性的なるもの/われらを引いて天に導く」という『ファウスト』終幕の言葉を掲げておこう。
来日できなくなったアクセル・コーバーに代わって指揮者をつとめたセバスティアン・ヴァイグレが読響とともに素晴らしい音楽を紡ぎ出した。切れ目を感じさせぬ柔軟で丁寧なフレージングを基盤に、息の長い伸びやかな旋律線を紡ぎながら、細かなアクセントや装飾をところどころにほどこしてゆく。楽器の一部を舞台袖に出したコロナ仕様の配置で、ピット内のオーケストラもほぼフル編成に近い状態を確保、音の指向が通じ合った音楽監督のもと、のびのびと演奏している印象だ。合唱も深々とした和声の立体感に加え、子音を立てたリズムの切れが爽快だ。
圧倒的なスタミナが要求されるタンホイザーの片寄純也をはじめ、主役級歌手たちも最後までよく響く声でそれぞれの役を歌い切った。もちろん、役柄の描写やドイツ語の表現については個々に望むところもあるが、ほとんどが初役となる今回の公演、日本人歌手がリハーサルから数度の公演にいたるまでに遂げる成長の目覚ましさについては、これまでもしばしば驚かされてきた。本番に期待しよう。
【Information】
フランス国立ラン歌劇場との提携公演 《二期会創立70周年記念公演》
東京二期会オペラ劇場《タンホイザー》(新制作)
(全3幕/日本語字幕付き原語(ドイツ語)上演)
2021.2/17(水)17:00、2/18(木)14:00、2/20(土)14:00、2/21(日)14:00
東京文化会館
指揮:セバスティアン・ヴァイグレ
管弦楽:読売日本交響楽団
原演出:キース・ウォーナー
演出補:ドロテア・キルシュバウム
装置:ボリス・クドルチカ
衣裳:カスパー・グラーナー
照明:ジョン・ビショップ
映像:ミコワイ・モレンダ
ヘルマン:狩野賢一(2/17,2/20)長谷川 顯(2/18,2/21)
タンホイザー:片寄純也(2/17,2/20) 芹澤佳通(2/18,2/21)
ヴォルフラム:大沼 徹(2/17,2/20) 清水勇磨(2/18,2/21)
ヴァルター:大川信之(2/17,2/20) 高野二郎(2/18,2/21)
ビーテロルフ:友清 崇(2/17,2/20) 近藤 圭(2/18,2/21)
ハインリヒ:菅野 敦(2/17,2/20) 高柳 圭(2/18,2/21)
ラインマル:河野鉄平(2/17,2/20) 金子慧一(2/18,2/21)
エリーザベト:田崎尚美(2/17,2/20) 竹多倫子(2/18,2/21)
ヴェーヌス:板波利加(2/17,2/20) 池田香織(2/18,2/21)
牧童:吉田桃子(2/17,2/20) 牧野元美(2/18,2/21)
4人の小姓:横森由衣、金治久美子、実川裕紀、長田惟子(全日)
合唱:二期会合唱団
問:二期会チケットセンター03-3796-1831
http://www.nikikai.net/lineup/tannhauser2021/