ショスタコーヴィチとともに・・
ショスタコーヴィチという名前は私にとっては特別な意味があるのですが、私の長いコンサートマスター生活の中で心に深く刻まれた演奏をたくさん経験できたことは幸せの一語に尽きます。
ショスタコーヴィチ「交響曲第5番」の思い出
私がオーケストラのコンサートマスターで最初に弾いたショスタコーヴィチの曲は新星日響との交響曲第5番で、指揮は外山雄三さんでした。私のコンマスとしてのキャリアの一番最初にあたるときに彼のような眼光の鋭い、あたかも厳格な旧ソ連邦の指揮者のように睨みを効かせた棒に、やはりこの位の緊張感がショスタコーヴィチには相応しいのだろう、などと思ったりもしました。実際には生意気にも彼に少し反発しながらも、それまで自分が体験したことのなかったオーケストラのリーダーとしての快感?を味わえたように記憶しています。なにしろ大好きな交響曲でしたし!今日では2ヶ所で印刷ミスとされる音もスコア通りに弾いたのもこのときが唯一の経験でした。
ショスタコーヴィチほどダ・ヴィンチコードではないけれど、音に込められた暗号や暗喩の謎を解き明かす視点で語られる作曲家はいないでしょう。それはミステリーとしては面白いですが、一人の人物のプライヴェートに深入りすることになるし、そういう興味から音楽を聴くことは彼は決して望んでいないはずです。彼の作品そのものが語りかけるものを虚心の思いで耳を傾けること、それが全てであり、そこから音楽の本質が見えてくるのです。私小説を読むがごとく聴くことは避けたい、というのが私の思いです。
・・30年近く前のA.ヤンソンスとのショスタコーヴィチ第5番は、『音楽の姿とは何か?』というような問いを私に与えてくれたように思います。彼はもちろんあの時代のあの国家のもとで音楽家として活動していました。彼からはショスタコーヴィチはこう解釈する、というような発言はなかったばかりか、エキセントリックな誇張や特別な狙いを感じることはありませんでした。深い意味で『正しい音』を出すことに専心するように仕向けていたように記憶しています。
その他にも第5番はさすがにいろいろな指揮者のもとで演奏したので、それぞれに懐かしい思い出はあります。東京フィルに入ってすぐに行われた1989年のヨーロッパツアーでは尾高忠明さんの棒で何回も演奏しました。あの第2楽章にあるソロは私にとっては世界中のオーケストラ曲の中で一番嫌なソロなので、ツアー中はそれが気になり、気が休まることはありませんでした。尾高さんは多くを語らない方ですが、取り上げる曲への敬意と責任を強く感じます。また必要なことと不必要なことの峻別などが見事で、本当に聡明な指揮者です。
東京フィルではもちろん、井上道義さんで数多く演奏できたのはラッキーでした。第2、4、7、8、9、10、11、12番。あと第15番もあったのですが、そのコンサートでは私は協奏曲を弾いたので残念ながら乗れませんでした。中でも、当時はほとんど演奏されることはなかった第11番の強烈な名演は忘れられません。終盤で出てくるコールアングレの長大なソロは当時の東京フィルの看板的存在であった虎谷迦悦さんが吹いて、本当に素晴らしく深い感動に包まれました。あのソロはあの長い交響曲全曲の終結を準備するとても長いモノローグなのです。あたかもそれは、未来へ向けて道標を示す賢人から発せられた語りかけに聴こえます。それを虎谷さんはコールアングレの持つ深い音色から引き出して表現し尽くし、ホール全体の空気をひとつにしてしまった事はいまだに忘れられません。そして第4番は2007年、日比谷公会堂での井上さんのプロデュースによる全曲ツィクルスの一貫でしたが、これもオーケストラ全員が火の玉と化して為し遂げたスペクタクル的演奏でした。また、第7番は数年前の彼の咽頭ガンの闘病から生還されての悲願の一夜でした。
私はすでに東京フィルを離れていたのですが、延期になったこのコンサートのために戻って弾くことができて感無量でした。井上さんはかつて「ショスタコーヴィチは東京フィルとやっていきたいんだ!」とおっしゃっていました。彼の手にかかると、ショスタコーヴィチの音楽が大きなうねりをもってくる気がしたものです。突き動かされるように夢中に棒を振る井上さんに、何か自らの使命を感じているように思えてならないのです。
フェドセーエフさんを招いて最初の定期で、第6番がありました。あの第1楽章冒頭のチェロ、ヴィオラ、クラリネットなどの中音域によるユニゾンの旋律をどのくらい時間をかけて入念に音を造りあげたでしょうか? 次第に哀しみと祈りが高貴なる香りに乗せてふつふつと沸き起こってくるさまに、粛然とした気持ちにさせられたのをよく記憶しています。第2楽章の打楽器のバランスや音色の磨きあげ、第3楽章のユニークな遅いテンポながら彫啄される躍動感等、ショスタコーヴィチの音楽の深みを再認識した体験でした。そして彼ほど純粋に音楽を愛しているマエストロは知りません。そしてもちろん人間に対しても! そしてルドルフ・バルシャイ。この私の尊敬する音楽家も1990年代に毎年のように東京フィルを振ってくれました。彼の厳格な指導、一音一音を揺るがせにしない姿勢は忍耐を要するものでしたが、彼が振った他の日本のどのオーケストラよりも真摯に彼の要求するものを受け入れていたのが東京フィルでした。それゆえ、彼との第7番や第4番はとてつもない高みに達した名演になったのです。煉瓦をひとつひとつ積み上げていった作業が、本番のときに至って、突如巨大な大伽藍となって出現したあの奇跡のような音楽は忘れ得ぬ事件でした。(これらを是非CD化することを東京フィルに望みます!)
こう思い返してみますと、音楽に全てを捧げているような音楽家は次第に少なくなったように感じられ、悲しい思いが去来いたします。
>> バッティストーニ指揮ショスタコーヴィチ・プログラムによせて(2)「ショスタコーヴィチの協奏曲」に続く
荒井英治(あらい・えいじ)
桐朋学園大学に学ぶ。鈴木共子、江藤俊哉の各氏に師事。
1979年から新星日本交響楽団、80年から東京交響楽団、そして89年から2015年までは東京フィルハーモニー交響楽団のコンサートマスターを長きにわたり務める。1992年、モルゴーア・クァルテット結成に参画。ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲全15曲に取り組み注目を浴びる。その後も古典派と現代曲を組み合わせた独自のアプローチを展開、日本を代表する弦楽四重奏団としての地位を得る。またプログレッシブ・ロックを強力なレパートリーとし、コアなファンを熱狂させている。現在までに『21世紀の精神正常者たち』、『原子心母の危機』、『トリビュートロジー』のロックのカヴァー・アルバムをリリースしている。98年『第10回村松賞』、2011年『2010年度アリオン賞』、16年『第14回佐川吉男音楽賞 奨励賞』、17年『第47回JXTG音楽賞 洋楽部門本賞』を受賞している。
ソリストとしてモーツァルト、J.S.バッハからショスタコーヴィチ、リゲティ、グバイドゥーリナ、池野成に至る数多くの協奏曲を秋山和慶、大野和士、ルドルフ・バルシャイ、ヤーノシュ・コヴァーチュ、井上道義、等と共演する。2005年6月にはウラディーミル・フェドセーエフに招かれ、モスクワにてチャイコフスキー記念交響楽団とプロコフィエフ及び外山雄三のコンチェルトを共演した。現在、日本センチュリー交響楽団首席客演コンサートマスター。名古屋フィルハーモニー交響楽団首席客演コンサートマスター。東京シティフィルハーモニック管弦楽団特別客演コンサートマスター。
東京音楽大学教授。
【公演情報】
●第908回 サントリー定期シリーズ
2018.5/31(木)19:00 サントリーホール
●第118回 東京オペラシティ定期シリーズ
2018.6/1(金)19:00 東京オペラシティ コンサートホール
●出演
指揮:アンドレア・バッティストーニ
ヴァイオリン:パヴェル・ベルマン*
●曲目
ボロディン:歌劇『イーゴリ公』より“だったん人の踊り”
ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲第1番*
ショスタコーヴィチ:交響曲第5番