ショスタコーヴィチ ヴァイオリン協奏曲「第1番」
さて、20世紀のヴァイオリン協奏曲の傑作に数えられる第1番ですが、今でこそ10代の若手でも弾いてしまうほどのポピュラーな存在ですが、初演されてから恐らく20年間くらいはロシア人(正しくは旧ソ連の人々)の手によって数多く弾かれたに過ぎず、少なくともアメリカを含む西側諸国ではほぼ無視されてきたといっても過言ではない状態でした。当時の名だたる名匠(ハイフェッツ、ミルシテイン、スターン、エルマン、シェリング、シゲティ、フランチェスカッティ、メニューイン・・)たちによって演奏された記録がないこと、それはどう理解したらよいのでしょうか?かろうじて、マックス・ロスタル(ユダヤ人でナチスを逃れ、イギリスに定住)の独奏、マルコム・サージェントの指揮で1956年に演奏した演奏会録音が残っています。
一方、日本では、1957年1月17日に日比谷公会堂にて、辻久子独奏、上田仁指揮、東京交響楽団によって日本人初演がなされたようです。D.オイストラフ独奏、E.ムラヴィンスキー指揮による世界初演が1955年10月29日、レニングラードにおいてですので、これらの事実はまさに快挙と言うべきではないでしょうか。
全4楽章の協奏曲、というのは異例ですが、これは緩急緩急というバロック時代の教会ソナタ=ソナタ・ダ・キエザの形式に倣っているのです。作曲者がバロックを手本にしているのはこの他にも見受けられます。
第2楽章のスケルツォの主部はバロック対位法を高度に張り巡らせています。独奏ヴァイオリンと絡めて『線の音楽』が展開していきます。それは多分に『ジーグ』ないし『パスピエ』的な舞曲がベースになっています。最大で四声が異なる旋律で絡み合うのです。
それから第3楽章は厳格な『パッサカリア』です。(ショスタコーヴィチの『パッサカリア』偏愛は有名です。)
さらに長いカデンツァの半分以上は8分音符が延々と果てしなく続く歩みです。これは私はバッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ BWV1005のフーガの喜遊部の音型から由来していると考えています。
このようにこの協奏曲は多くをバロック音楽を範としているのがおわかりいただけると思います。このような見地でスコアをいろいろ読んでいきますと、ホモフォニーの作曲家というよりはるかにポリフォニーの作曲家と言って良いのではないかと思います。
私はこの協奏曲を4回弾いていますが、精神力、集中力、体力の3つの面でいまだにハードに感じています。常に気持ちを張り詰めていなければ第1楽章の『ノクターン』は捉えどころのないムード音楽になってしまいます。音の背後にある存在を聴き手に想像させなければいけない音楽です。なぜなら後半で1ヶ所、その巨大な背後の存在に独奏ヴァイオリンが飲み込まれてしまう箇所があるからです。それは作曲者が明らかに意図したことです。
第2楽章はまさに狂気じみています。ショスタコーヴィチのペンに悪魔が乗り移ったような・・。独奏者は楽章を通じて、ほとんどf (フォルテ)以上の強奏が続き、さらにオーケストラのいろいろなパートときっちり噛み合ったアンサンブルをしなければなりません。少しでもテンポが揺れると崩れてしまう危険に満ちています。それはオーケストラにおいても同じです。1秒で2小節という速い3拍子でオーケストラ全員でフーガをやっているようなものを想像してみてください! さらにフレーズの長さが一定ではないという罠もあるのです。気を確かに持っていないと入りを間違えてしまう危険があちこちにあります。ヴァイオリン協奏曲でこのようにソリスト、オーケストラ、そして指揮者に緊張を強いる曲はないでしょう。天才ショスタコーヴィチの悪魔性?が発揮された楽章です。
第3楽章は子供の時分、冒頭が好きではありませんでした。あまりに時代がかったような仰々しさゆえでした。しかしこれはロシア人が聴けば、即座に追悼の音楽であると直観的に解るのではないでしょうか。死を告げる鐘にも似た響きです。かつて作曲者が交響曲第8番を批判された際に、擁護に立ち上がったユダヤ人で俳優のミホエリスが殺害(粛清)された知らせを聴いた直後にこの楽章を書き始めたとされています。その衝撃と深い悲しみがなければ、この楽章と続くカデンツァはあり得なかったと思われます。バルシャイさんが話してくれたことですが、この翌年に作曲された弦楽四重奏曲第4番の終楽章も『ミホエリス追悼』であり、ユダヤ式の葬礼の儀式に基づいている、ということです。マーラーの交響曲第1番の第3楽章もやはりユダヤの葬列、と解釈されており、両者の比較も面白いのではないでしょうか。バルシャイさんは『パッサカリア』であるがゆえの厳格なリズムと確固たる足取り、ヴァリエーションごとの区分を明確にすることの重要性を情熱を込めて教えてくださいました。「悲劇的であるが憐れみはない!」という彼の言葉を肝に銘じています。なぜなら、この音楽が本来的な意味での『古典(たとえばギリシャ悲劇)』に分かち難く結び付いているという、根源的な精神性についての洞察がなければ出てこない言葉だ、と思うからです。
カデンツァは技巧的であるより精神力の面で凄まじい集中力を課せられます。それはここでのカデンツァこそ、この協奏曲の中核だからです。ここに何を読み取るか、何を伝えられるのか、それがショスタコーヴィチの最大のポイントがあるように思われます。先程触れましたように、彼はこの協奏曲に限らず、演奏家を試そうと狙いをもって曲を書いていると思うこと、しばしばです。ギリギリのところまで追い込む性癖があるのです。不可能なことはさせないが、肉体的に、精神的にかなりハードな地点にもっていき、そこからしか生まれないようなエネルギーを求めているのではないか?演奏者の肉体、精神を限界までフル回転させてこそ自分の音楽は完成される、というのが彼の信条ではないかと・・とすると、このカデンツァはまさにその典型です。
第4楽章は無邪気な歓喜、言ってみれば陽気なお祭りの音楽です。この騒がしい賑々しさはロシア人の持つメンタリティに呼応しているでしょう。もちろん無邪気ゆえにそれに絡まるように引き込まれる『狂気』は無視できません。これも交響曲では第6番、第9番、第10番の終楽章に共通してみられる世界です。体制に対する痛烈な批判が込められているかどうかの解釈は別にして……。
バッティストーニ&東京フィル公演に寄せる期待
今回のサントリー定期及び東京オペラシティ定期で披露されるショスタコーヴィチを中心にしたプログラム。どのようなアプローチで攻めてくれるのか、興味は尽きません。アンドレア・バッティストーニとパヴェル・ベルマン、若き才人の洞察力に期待したいと思います。私が特に皆様に注目していただきたいのは、音楽の静謐な部分です。多くのすぐれた音楽に共通することですが、音楽の核心はpp (ピアニッシモ)の部分にあります。そこで一番大切なことが語られるのです。特にショスタコーヴィチにおいてはただならぬ緊張感に満ちています。音は屹立しています。まぎれもなく、理性と感情の見事なバランスの上に立っている言葉です。それを余すところなく引き出してくれることを期待しています。
そして東京フィルは持ち味である驚くべき柔軟さを十全に発揮し、バッティストーニとの一瞬一瞬をスリリングに『ショスタコーヴィチの音』に変換してくれるのではないでしょうか。心から東京フィルの『ショスタコーヴィチ伝説』をまたひとつ加えて欲しいと願っております。
ショスタコーヴィチは過去の音楽ではありません。恐らくベートーヴェンとともに時代や地域を超えて、今に生きる私たちに直接語りかけ、問いかけてくるリアリティを持つ稀有な音楽です。
ショスタコーヴィチを聴くこと、それはいつでも『事件』です。
荒井英治(あらい・えいじ)
桐朋学園大学に学ぶ。鈴木共子、江藤俊哉の各氏に師事。
1979年から新星日本交響楽団、80年から東京交響楽団、そして89年から2015年までは東京フィルハーモニー交響楽団のコンサートマスターを長きにわたり務める。1992年、モルゴーア・クァルテット結成に参画。ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲全15曲に取り組み注目を浴びる。その後も古典派と現代曲を組み合わせた独自のアプローチを展開、日本を代表する弦楽四重奏団としての地位を得る。またプログレッシブ・ロックを強力なレパートリーとし、コアなファンを熱狂させている。現在までに『21世紀の精神正常者たち』、『原子心母の危機』、『トリビュートロジー』のロックのカヴァー・アルバムをリリースしている。98年『第10回村松賞』、2011年『2010年度アリオン賞』、16年『第14回佐川吉男音楽賞 奨励賞』、17年『第47回JXTG音楽賞 洋楽部門本賞』を受賞している。
ソリストとしてモーツァルト、J.S.バッハからショスタコーヴィチ、リゲティ、グバイドゥーリナ、池野成に至る数多くの協奏曲を秋山和慶、大野和士、ルドルフ・バルシャイ、ヤーノシュ・コヴァーチュ、井上道義、等と共演する。2005年6月にはウラディーミル・フェドセーエフに招かれ、モスクワにてチャイコフスキー記念交響楽団とプロコフィエフ及び外山雄三のコンチェルトを共演した。現在、日本センチュリー交響楽団首席客演コンサートマスター。名古屋フィルハーモニー交響楽団首席客演コンサートマスター。東京シティフィルハーモニック管弦楽団特別客演コンサートマスター。
東京音楽大学教授。
【公演情報】
●第908回 サントリー定期シリーズ
2018.5/31(木)19:00 サントリーホール
●第118回 東京オペラシティ定期シリーズ
2018.6/1(金)19:00 東京オペラシティ コンサートホール
●出演
指揮:アンドレア・バッティストーニ
ヴァイオリン:パヴェル・ベルマン*
●曲目
ボロディン:歌劇『イーゴリ公』より“だったん人の踊り”
ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲第1番*
ショスタコーヴィチ:交響曲第5番