【ゲネプロレポート】東京二期会《ファルスタッフ》

 二期会創立70周年記念公演、東京二期会オペラ劇場《ファルスタッフ》(テアトロ・レアル、ベルギー王立モネ劇場、フランス国立ボルドー歌劇場との共同制作公演)が7月17日に初日を迎えた。公演に先立ち行われた今井俊輔(ファルスタッフ)組の最終総稽古を取材した。
(2021.7/14 東京文化会館 取材・文:加藤浩子 撮影:寺司正彦)




20世紀のコメディとして生まれ変わった《ファルスタッフ》
音楽とドラマの洒脱な可視化

 《ファルスタッフ》は、ヴェルディ好きにはたまらないオペラだ。救いようのない悲劇ばかり書いてきたヴェルディが、最後になって大好きなシェイクスピアの戯曲に基づいて書いた喜劇。曲中には、《椿姫》や《オテロ》といった過去のオペラの風刺が見え隠れし、深刻な身振りが笑い飛ばされる。《ファルスタッフ》は、ヴェルディが自分の人生を振り返り、その境地を楽しんでいるオペラなのだ。「歌い上げない会話劇」という、音楽的に全く新しい境地を切り拓きながら。

 一方、そういうことを知らない人間にとっては、《ファルスタッフ》はちょっと馴染みにくいオペラかもしれない。朗々と歌い上げる旋律も、心揺さぶるカタルシスに巻き込まれる劇的な展開もない。母国イギリスでは人気者の太っちょファルスタッフ(=フォールスタッフ)も、《真夏の夜の夢》を思わせるウィンザーの森や妖精たちも、シェイクスピアに通じていなければ遠い世界だ。
 それをどれだけ身近に感じられるか。これは、挑戦しがいのある課題だろう。いわゆる読み替え、置き替えは、そのような視点からは必須かもしれない。



 ロラン・ペリーの演出は、物語を1970年代のイギリスのブラック・コメディのように設定。ガーター亭は安ホテルで、第2幕のファルスタッフとクイックリー夫人の面会はガーター亭のバーで行われる。ファルスタッフの気持ちに合わせて空間が伸び縮みしたり(太鼓腹を賛美するところで狭い空間が広がる)、舞台全体にひろがる黒幕が、状況に合わせてカメラのズームイン、ズームアウトのように空間を拡大、縮小させるのも効果的だ(写真2枚目参照)。

 フォード邸を表す装置は、いくつもの踊り場がある入り組んだ階段。人物がこの装置の中を絶えず動き回ることで、人物たちの関係性やアンサンブルの状況が可視化され、状況を理解する助けになっていた。


 かつて身分が高かったが落ちぶれたファルスタッフと、ブルジョワ富裕階級のフォードたちとの落差は、これもペリー制作の衣裳で鮮やかに視覚化される。みすぼらしいファルスタッフとストリートギャングのような手下たちに対し、グレーのスーツと眼鏡がいかにも堅物ビジネスマンのフォードに、ジャクリーン・ケネディ風のスーツに身を包んだ女房たち。没落する階級と上昇する階級。ペリーの衣裳はいつもそうだが、おしゃれで洗練され、ウイットに富んでいる。


 だがペリー演出で何より光っているのは、敏捷で繊細で絶えず流れている《ファルスタッフ》の音楽が表現するドラマを、読み替えに応じたウイットを混ぜながらきちんと「見せて」いることだろう。忙しなく動き回る女房たちは、彼女の頭の中で回っている機知を想像させるし、ファルスタッフが妻と通じていると誤解したフォードが世間の陰口を恐れるシーンでは、大勢のフォード(つまり同類の人々)が「世間」を代表する。物語の大詰めで、ナンネッタが父のフォードに恋の成就の許しを乞うために跪く場面では、ヴェルディの第1作目のオペラからつきものだった「父と娘」の複雑な関係がここで大団円を迎えたことが実感できた。有名な幕切れのフーガ「人間はみな道化」の最後では、一瞬だが客席を巻き込む演出もあった。ペリーは《ファルスタッフ》は初演出だそうだが、彼の作品への愛情とコメディに対する資質が感じられるプロダクションだった。



 ペリーの演出が浮き彫りにしたドラマに光を与え、プリズムのように美しく輝かせていたのが、レオナルド・シーニの指揮である。1990年生まれ、これが初来日の俊英も、《ファルスタッフ》を指揮するのは初めてだというが、生き生きとしたリズム感、ヴィヴィッドな色彩、柔軟性と繊細さに富んだ音楽の流れ、美しく濁りのないきっぱりとした響き(木管楽器パートの美しさ!)、ここぞというときの爆発、そしてパロディとして使われているオペラティックな甘い音楽の際立たせ方、すべてがこの傑作に生命力を注ぎ込むことに貢献していた。ヴェルディ翁が求めていたのは、ひょっとしたらこんな音楽だったのではないだろうか。そう思わされるだけの説得力があった。



 歌手陣も充実。皆、要求の多いペリー演出を見事にこなしていた。ファルスタッフ今井俊輔の堂々とした悪漢ぶり、フォード清水勇磨の気弱なブルジョワぶりは好対照。フェントン宮里直樹は恋する若者にふさわしい甘い美声を聴かせ、バルドルフォ児玉和弘のリリカルな美声もドタバタ場面で際立った。女性陣も総じてレベルが高いが、なかでもクイックリー夫人の中島郁子は、最近の成長ぶりを改めて印象づける好演。中音域の充実した響きと表現力は一級品だ。ナンネッタ三宅理恵は、煌めくコロラトゥーラで終幕に花を添えた。

 最初から最後まで、演出も音楽も目が離せない今回の《ファルスタッフ》。無用な緊張を強いられることは一切なく、心地よい満足感が残る。気の抜けない日々が続く今日この頃、肩の力を抜いて楽しむのに絶好の公演ではないだろうか。



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レオナルド・シーニ(指揮)ヴェルディと《ファルスタッフ》について語る


【Information】
二期会創立70周年記念公演
テアトロ・レアル、ベルギー王立モネ劇場、フランス国立ボルドー歌劇場との共同制作公演
東京二期会オペラ劇場 G.ヴェルディ《ファルスタッフ》

(全3幕、日本語及び英語字幕付き原語(イタリア語)上演)

*7月18日、19日の公演開催可否は当日朝発表予定。
 詳細は東京二期会ウェブサイトおよびSNSでご確認ください。


2021.7/17(土)14:00、7/18(日)14:00、7/19(月)14:00
東京文化会館

指揮:レオナルド・シーニ
演出・衣裳:ロラン・ペリー

演出補:クリスティアン・レート
装置:バルバラ・ドゥ・ランブール
照明:ジョエル・アダン
演出助手:三浦安浩

出演
ファルスタッフ:今井俊輔(7/18) 黒田 博(7/17, 7/19)
フォード:清水勇磨(7/18) 小森輝彦(7/17, 7/19)
フェントン:宮里直樹(7/18) 山本耕平(7/17, 7/19)
カイウス:吉田 連(7/18) 澤原行正(7/17, 7/19)
バルドルフォ:児玉和弘(7/18) 下村将太(7/17, 7/19)
ピストーラ:加藤宏隆(7/18) 狩野賢一(7/17, 7/19)
アリーチェ:髙橋絵理(7/18) 大山亜紀子(7/17, 7/19)
ナンネッタ:三宅理恵(7/18) 全 詠玉(7/17, 7/19)
クイックリー:中島郁子(7/18) 塩崎めぐみ(7/17, 7/19)
メグ:花房英里子(7/18) 金澤桃子(7/17, 7/19)

合唱:二期会合唱団
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

問:二期会チケットセンター03-3796-1831
http://www.nikikai.net/lineup/falstaff2021/