髙田賢三(衣裳) × 大村博美(ソプラノ) インタビュー
〜衣裳から紐解く、新しい《蝶々夫人》

 この10月に上演される東京二期会オペラ劇場《蝶々夫人》。ザクセン州立歌劇場とデンマーク王立歌劇場、サンフランシスコ・オペラとの共同制作となる本公演は、宮本亞門による新演出に加え、世界的ファッションデザイナーの髙田賢三が衣裳を手がけることでも期待が高まっている。タイトルロールをつとめる大村博美とともに、作品への思い、オペラにおける衣裳の役割など、話を聞いた。

取材・文:清水井朋子 撮影:野口 博

大村博美(左)と髙田賢三

幼い頃に憧れた《蝶々夫人》の衣裳を手がける幸せ

大村博美(以下、大村) 私、以前パリで賢三さんにお目にかかっているんですよ。2011年の4月、シャンゼリゼ劇場で開催された東日本大震災のチャリティ・ガラコンサートで。

髙田賢三(以下、髙田) そうでしたね! あの震災の後は僕もパリで、何か役に立てることはないかと思いあぐねていたのですが、バレエダンサーのシルヴィ・ギエムさんが「何かやりましょう!」と電話をくださって、ポスターデザインのお手伝いをしました。錚々たる顔ぶれの協力による素晴らしいイベントでしたね。

大村 全員でのカーテンコールが終わった後の舞台袖での、賢三さんのパーッと明るくなるような優しい笑顔が、とても心に残っています。ところで、賢三さんはオペラもよくご覧になるのですか?

髙田 オペラはチケットを取るのが難しいでしょう? もっと観たいのですが、出かけるのは年に3〜4回かな。でも僕が最初にオペラというものの存在を知ったのはまだ戦後間もない頃。姉が購読していた『それいゆ』という少女雑誌で、中原淳一先生が《蝶々夫人》の物語をコマ割りにして紹介していたのを読んだことなんです。

大村 すごい! その蝶々さんの衣裳をデザインされることになるなんて、不思議なご縁ですね。

髙田 だから僕にとっては、オペラと言えばまず《蝶々夫人》なんです。今回、宮本亞門さんからオファーをいただいて、正直、もうこの年だから仕事はしないと言っていたんですが、演目が《蝶々夫人》だと聞いてしまうと、この機会を逃すわけにはいかない、という気持ちになって。

大村 よくぞ引き受けてくださいました!

髙田 でも僕は今まで何度か《蝶々夫人》を観てきましたが、着物にしても鬘にしても、日本人としてはどうしても違和感があったんですね。今回はそのモヤモヤを何とかできないかと思って、お引き受けしたんです。

大村 昨日、衣装合わせで初めて袖を通したのですが、本当に素晴らしかったです! 写メを撮って、こっそり母に自慢してしまいました(笑)。

髙田 伝統的な着物にするのか、少しモダンな要素を入れるか、最初に色々と考えました。結局、蝶々夫人の衣裳は何よりも豪華に、綺麗に。結婚式の場面の他の芸者さんたちなどは柄を入れずに色だけで華やかにしたんです。その対比を強調することで、伝統的な着物の感じでありながら、どこかに“今らしさ”を感じていただけたら。

大村 蝶々さんの衣裳にだけ豪華な柄があることで、存在感が際立つのですね。

髙田 一幕の蝶々さんの衣裳は、職人さんが2ヵ月以上かけて織り上げたオリジナルの生地を使っています。手がこんでいて、日本の織り手にしかできない仕事です。 “軽さ”も表現したくて、そこに白のオーガンジーを一枚重ねて、伝統的な美しさと今らしさを表現してみました。


登場人物のキャラクターを左右する、衣裳の力

 これまでに14ヶ国で18プロダクションの《蝶々夫人》でタイトルロールを歌ってきた大村博美。10月の東京二期会公演の前には、イタリアのトスカーナ州トッレ・デル・ラーゴで毎年開催されるプッチーニ・フェスティバルに日本人オペラ歌手としては初めて2年連続で主演、ここでも蝶々さんの役で舞台に立った。


大村
 演出が変わればもちろん衣裳も違って、ショートパンツにタンクトップで歌ったこともあります。私が個人的に好きなのは、二幕の蝶々さんが西洋風の服を着ている、という設定です。蝶々さんの気持ちを考えると、二幕はどちらかというと着物より洋服の方がしっくりくるのです。“私もアメリカ人になる!いつか彼の国に行く!”という思いが感じられて、私が蝶々さんでもきっとそうするな、と共感できるんです。

髙田 亞門さんからも同じ思いを聞きましたよ。二幕の衣裳では蝶々さんがアメリカに憧れて、希望を胸に待つ気持ちをあらわしたいんだ、と。

大村 だから私にとって理想の衣裳に仕上がったんですね! 蝶々さんはピンカートンが迎えにくることを信じて待つ希望に満ちた女性なわけですから、若々しい明るい色が着たかったんです。昨日衣裳を拝見して、今まで着てきた中でこれが最高だなと思いました。

髙田 僕自身も〈ある晴れた日に〉のアリアを聴いて、衣裳は綺麗な色じゃないと駄目だと感じました。

大村 実際に衣裳を着て舞台に立つ立場で言わせていただくと、動きやすさも重要なポイントです。海外では、クラシックな蝶々夫人の ‘’キモノ風’’の衣裳の場合、大抵つけ帯で、簡単に脱ぎ着がしやすいつくりにしてあります。日本の本物の着物のように着付けてちゃんと帯を締めてしまうと、慣れていない海外の歌手達にとっては特に、動きにくく歌いにくいでしょうね。

髙田 衣装合わせでは亞門さんが“これ動けますか?”“座れますか?”などと細かく確認してくれていましたが、動きやすさや歌いやすさについては、どんどん意見をおっしゃってください。そうそう、実は一幕の衣裳は最初、帯のないシンプルなものを考えていたのですが〈愛の二重唱〉に「帯が解けなくて……」という歌詞があると知って、慌てて帯のあるデザインに変えたんです。

大村 ありがとうございます。テキストに沿った衣裳だと演じやすくて助かります。

髙田 そして、これは亞門さんの発想の凄いところなんですが、二幕用のデザイン画を見せたら“これ、一幕のうちから舞台に飾りましょう”と言って……。二幕の衣裳は、一幕で部屋に飾ってあったものを切って蝶々さんと息子の着物を仕立てたという設定になっているんです。

大村 亞門さんの頭の中には、まだまだ素敵なアイディアがいっぱい詰まっていそうですね。


日本から世界に発信したい「蝶々さん」のこころ

 ヨーロッパではファッションの世界で第⼀線に⽴つ著名なデザイナーがオペラの衣裳を手がけることも少なくない。最近ではローマ歌劇場でソフィア・コッポラが演出した《椿姫》でヴァレンティノ・ガラヴァーニが担当した衣裳が記憶に新しいし、髙田も1999年にパリ・オペラ座で上演されたロバート・ウィルソン演出の《魔笛》で衣裳を手がけ、大きな話題を呼んだ。


髙田
 去年の夏、ギリシャにヴァカンスに行った時にばったりヴァレンティノさんに会ったら「もうすぐ僕が衣裳を手がけた《椿姫》が日本で上演されるんだよ」と言われて、ちょっと羨ましかった。そうしたらひと月ほどして亞門さんからこの《蝶々夫人》の話がきたんです。

大村 オペラ座での《魔笛》の時も今回の亞門さんとのやり取りのように、演出家の方とイメージを話し合って作業を進められたのですか?

髙田 あの時はデザイン画を渡して、生地はコーラスの方まで全部同じ日本の麻素材で揃えて、それを染めて……。今思えば《蝶々夫人》より楽だったかもしれません(笑)。

大村 今回の《蝶々夫人》は、サムライの遺伝子が入っていそうな日本人でありながらグローバルに活躍されて、世界中の人々を魅了してきた賢三さんならではの衣裳だと思います。何より気品がありますし。

髙田 オペラは数あれど、ヨーロッパと日本の要素をミックスできるのは《蝶々夫人》だけですからね。


大村
 蝶々さんをつとめた日本人の大先輩といえば三浦環さんがいらっしゃいます。プッチーニの前で蝶々さんを演じ歌った、ただ一人の日本人です。私が高校生の頃に読んでいた三浦さんの伝記には、プッチーニが彼女の歌に感動して、トッレ・デル・ラーゴの自宅に招いたことが書いてあるんです。その時にプッチーニは“あなたの蝶々さんは唯一無二だ、西洋のプリマドンナのように自分の技量をひけらかすのではなく、可憐で優しい蝶々さんだ”と絶賛したと。作曲家がオペラの舞台で見たいのはプリマドンナではなく“役”の人物。作曲家がオペラで聴きたいのはプリマドンナの歌ではなくその役の人物の”心の歌”。このプッチーニからのメッセージは私にとって大切な戒めになっています。

髙田 宮本亞門さんの演出で、どんな蝶々さんになるのか。僕も楽しみだし、お客様にもぜひ楽しみにしていただきたいですね。

大村 日本発の私たちの《蝶々夫人》だからこそできることが、きっとある気がしています。


【Profile】
髙田賢三

1960年第8回装苑賞受賞。61年文化服装学院デザイン科卒業。65年渡仏。70年パリにブティック「ジャングル・ジャップ」をオープン。初コレクションを発表。パリの伝統的なクチュールに対し新しい発想のコレクションが評判を呼び世界的な名声を得る。その後ブランドを「KENZO」とする。84年仏政府より国家功労賞芸術文化勲章(シュヴァリエ位)受章。98年仏政府より国家功労賞芸術文化勲章最高位(コマンドゥール位)受賞。99年KENZOを退く。同年紫綬褒章受章。現在、ライフスタイル全般においてデザイン活動を行っている。16年仏政府よりレジオンドヌール勲章「名誉軍団国家勲章」(シュヴァルエ位)を受勲。18年「KENZO TAKADA」を出版。

大村博美
《椿姫》題名役で二期会デビュー後、一躍脚光を浴び、ロレーヌ国立歌劇場《フィガロの結婚》伯爵夫人、モントリオールオペラ《イル・トロヴァトーレ》レオノーラ、同《オテロ》デズデーモナ、ローザンヌ歌劇場《ノルマ》題名役等に出演、国際的な活躍を続けている。特に蝶々夫人役は世界13ヵ国の歌劇場、音楽祭で100公演以上にわたり出演。今夏もイタリア・トスカーナにおけるプッチーニ・フェスティバルにおいて日本人初となる《蝶々夫人》プレミエ公演の題名役を2年連続で果たし絶賛された。本年10月東京二期会《蝶々夫人》、20年2月《椿姫》両題名役に手出演予定。フランス在住。二期会会員


【Information】

ザクセン州立歌劇場(ゼンパーオーパー・ドレスデン)とデンマーク王立歌劇場およびサンフランシスコ・オペラとの共同制作公演
東京二期会 オペラ《蝶々夫人》(新制作)(日本語および英語字幕付き原語上演)

2019.10/3(木)18:30、10/4(金)14:00、10/5(土)14:00、10/6(日)14:00
東京文化会館
2019.10/13(日)15:00 よこすか芸術劇場

指揮:アンドレア・バッティストーニ
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

演出:宮本亞門
装置:ボリス・クドルチカ
衣裳:髙田賢三

蝶々夫人:森谷真理(10/3,10/5,10/13) 大村博美(10/4,10/6)
スズキ:藤井麻美(10/3,10/5,10/13) 花房英里子(10/4,10/6)
ケート:成田伊美(10/3,10/5,10/13) 田崎美香(10/4,10/6)
ピンカートン:樋口達哉(10/3,10/5,10/13) 小原啓楼(10/4,10/6)
シャープレス:黒田 博(10/3,10/5,10/13) 久保和範(10/4,10/6)
ゴロー:萩原 潤(10/3,10/5,10/13) 高田正人(10/4,10/6)
ヤマドリ:小林由樹(10/3,10/5,10/13) 大川 博(10/4,10/6)
ボンゾ:志村文彦(10/3,10/5,10/13) 三戸大久(10/4,10/6)
神官:香月 健(10/3,10/5,10/13) 白岩 洵(10/4,10/6)

東京文化会館公演 http://www.nikikai.net/lineup/butterfly2019/
横須賀公演 http://www.nikikai.net/lineup/butterfly2019_yokosuka/