【ロングインタビュー】鈴木幸一(東京・春・音楽祭実行委員長)Vol.5

 クラシック音楽好きが高じて、私財をつぎこみ音楽祭を企画した男がいる。鈴木幸一、69歳。早くから海外に研究に出かけ、国内インターネットサービスの草分けとして1993年、株式会社インターネットイニシアティブ(IIJ)を起ち上げた。後に続くネット企業の草分けとして道を切り開いた、インターネット業界の第一人者だ(現在は会長)。

 世界には多くの音楽祭があるが、個人が自費で始めた音楽祭は希だ。去る3月16日に開幕した東京・春・音楽祭(東京春祭)は、いまや上野の春の風物詩となっている。
(聞き手・構成:ぶらあぼ編集部 写真:M.Terashi & M.Otsuka/Tokyo MDE)

鈴木幸一(東京・春・音楽祭 実行委員長/株式会社インターネットイニシアティブ 代表取締役会長)

鈴木幸一(東京・春・音楽祭 実行委員長/株式会社インターネットイニシアティブ 代表取締役会長)

◆聞き手を育てる

 クラシック音楽のコンサートでは、多くの聴衆が高齢化し、聴衆の平均年齢は65歳を超えている。これは、高齢化の先頭を走る日本だけに限らず、海外でも同じだ。
 「平日マチネの公演に行って会場を見渡すと、真っ白は大袈裟だけど、リタイアした世代の人が目につくことが多い。昼間の時間を自由に使える元気な高齢者が増えて、音楽会にたくさんの方々が足を運んでくれるようになったのはうれしいこと」としながらも、これからの若い聴衆を育てる責務もあると感じる。
 「聞き手がもっと面白がってくれないとダメだと思う。『ぶらあぼ』のような音楽雑誌にしたって、面白がって読んでくれないと廃れてしまう。面白がってくれることで、誌面がもっと盛り上がるし、コンサートも盛り上がる。読み手の想像力も膨らむ。そのためにも、いろんなレクチャーをし、知的刺激を与えられるような時間があったらいいなと思う。違う領域の学者の話とともに音楽を聴く、というのもいいかもしれない。
 たとえば、ショスタコーヴィチが交響曲第7番《レニングラード》を書いたとき、当時レニングラードはナチに囲まれ100万人前後が餓死している。そういう時代にショスタコーヴィチは7番を書いた。それはなぜなのか?そういうことを考えながら、ショスタコーヴィチとはどういう人かということを含めて、レクチャーできる人がいるといい。
 オペラにしたって、ダ・ポンテの台詞なんか、殆どがダブルミーニング(掛け言葉)になっていて、言葉一つひとつに隠語があって、それが楽しかったりする。そういうことがわかってくると、別な面白さを発見できる。若者のためのオペラ教室だったり、あるいは、オペラの演出として、そういうのがわかることを思い切ってやってみるというのもいいかもしれない。歌舞伎では現代的な演出が出てきていますが、オペラの方がよりやりやすい背景を持っていると思います」

◆世界に誇れるみんなの「東京春祭」

 これまで支えてくれた多くの人に恩返しするためにも、世界に誇れるみんなの東京春祭にしなければならないと言う。
 「こういう音楽祭は、私が死んだら終わり、というのでは困るわけ。人が生きて、年を重ねることは、さまざまな思い出や記憶がどこかに蓄積することであり、それが一人ひとりの生きている歴史でもある。音楽は音が鳴って消えるまでの束の間のこと。音が消えてしまえば、残るのは音が鳴っていた時間の記憶だけです。だからこそ、音楽という芸術は素晴らしいし、それをもっと多くの人たちと共有していきたい。でも、それにはあと5年はかかるかなあ」
(完)

●【ロングインタビュー】鈴木幸一(東京・春・音楽祭実行委員長)Vol.1
https://ebravo.jp/harusai/archives/2055
●【ロングインタビュー】鈴木幸一(東京・春・音楽祭実行委員長)Vol.2
https://ebravo.jp/harusai/archives/2058
●【ロングインタビュー】鈴木幸一(東京・春・音楽祭実行委員長)Vol.3
https://ebravo.jp/harusai/archives/2061
●【ロングインタビュー】鈴木幸一(東京・春・音楽祭実行委員長)Vol.4
https://ebravo.jp/harusai/archives/2081