【ロングインタビュー】鈴木幸一(東京・春・音楽祭実行委員長)Vol.2

 クラシック音楽好きが高じて、私財をつぎこみ音楽祭を企画した男がいる。鈴木幸一、69歳。早くから海外に研究に出かけ、国内インターネットサービスの草分けとして1993年、株式会社インターネットイニシアティブ(IIJ)を起ち上げた。後に続くネット企業の草分けとして道を切り開いた、インターネット業界の第一人者だ(現在は会長)。

 世界には多くの音楽祭があるが、個人が自費で始めた音楽祭は希だ。去る3月16日に開幕した東京・春・音楽祭(東京春祭)は、いまや上野の春の風物詩となっている。
(聞き手・構成:ぶらあぼ編集部 写真:M.Terashi & M.Otsuka/Tokyo MDE)

鈴木幸一(東京・春・音楽祭 実行委員長/株式会社インターネットイニシアティブ 代表取締役会長)

鈴木幸一(東京・春・音楽祭 実行委員長/株式会社インターネットイニシアティブ 代表取締役会長)

◆最初は席が真っ赤だった

《エレクトラ》より (C)大窪道治

《エレクトラ》より (C)大窪道治

「東京春祭も10年過ぎて少しは認知度も上がってきた」と語る鈴木だが、音楽祭開始当初は苦難の連続だった。
 「席が真っ赤だったんです(笑)。第1回目の音楽祭はR.シュトラウスを取り上げた。小澤さんの指揮でのオペラ《エレクトラ》(新制作)と、アラン・ギルバート指揮の「アルプス交響曲」がメインの演目だった。ロバート・カーセン演出のオペラは、小澤さんだけでなく歌手も演出も見事で、すばらしいものだったけれども、チケットはあまり売れなかった。特に、ニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督にまでなった、当時まだ若いアラン・ギルバート指揮の演奏会は、まさにガラガラ。東京文化会館の座席は赤いから、演奏会場が赤く染まったような錯覚をしてしまったり。アラン・ギルバートの演奏が良かっただけに、愕然としたな。音楽祭としては、惨憺たるスタートだったね」
 

 

 

 

 

 

 

 

《レクイエム》を指揮するムーティ (C)大窪道治

《レクイエム》を指揮するムーティ (C)大窪道治

 しかし、始めたら止めないという鈴木の性格が幸いしたのか、今年で12年目になる。
 「フェスティバルというのは、続けることに意味があると、2年目の音楽祭で、
ヴェルディの『レクイエム』を指揮していただいたリッカルド・ムーティさんをはじめとして、海外の著名な音楽家に励まされた。世界中の人を集めるほどの有名な国際音楽祭だって、最初は聴衆よりも演奏家の方が多かったという例もよくあると。その言葉で勇気づけられましたし心強かったですね」
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆大震災による自粛ムードのなか音楽祭を敢行

朝日新聞朝刊(2011年3月25日付)に掲載された意見広告。(クリックでPDF閲覧可能)  *朝日新聞社に無断で転載することを禁じます。

朝日新聞朝刊(2011年3月25日付)に掲載された意見広告。(クリックでPDF閲覧可能)*朝日新聞社に無断で転載することを禁じます。

 2011年3月の東日本大震災のあと、あちこちで自粛ムードが高まるなか、だからこそ音楽が必要なのだと、鈴木は、自費で新聞の1ページを買い、意見広告をうった。多くの出演者が来日をキャンセルするなか、音楽祭を敢行した。
「80ほどの公演を予定していたけれど、会場となる文化施設のほとんどが、『自粛』」と『節電』ということで休館となってしまい、20公演ほどに縮小してしまった。それでも当日券の売り場には長い列ができ、満席になった。照明を落とした薄暗いロビーでしたが、皆さんの表情がとても温かく、穏やかになっているのを見ると、ほんとうに音楽やコンサートに飢えていたんだね。
 毎日、被災者の苦しみだけを考えて、暗い表情をしているだけが礼儀じゃないと思う。こんな時こそ、あえて音楽家は演奏をすべきであり、悲しみや、落ち込んだり、ささくれだったりした心を癒やしてくれるはずが音楽だと」
 

 

 

 

 

 
 ズービン・メータさんが駆けつけてくれて、チャリティー公演として、NHK交響楽団らとベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」を指揮した。メータさんはその後、ミュンヘンでも5月に、バイエルン国立管弦楽団、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団、バイエルン放送交響楽団で作る合同オケでチャリティー・コンサートを開き、収益金を復興支援活動等資金として寄付をしてくれた。
 昨夏、ザルツブルグでメータと会った際、次のように言葉をかけられたという。
 「余震は続いていたけれど、あの震災のすぐ後に演奏したベートーヴェンの第九は、未だに鮮明な記憶となっていますよ。聴衆、演奏家も涙があふれて、ひとつになった演奏は、二度とない経験で、いつまでも鮮明な記憶として蘇る」と。

「第九」を指揮するメータ (C)青柳聡

「第九」を指揮するメータ (C)青柳聡

◆若手演奏家の海外交流、世界への発信

 東京春祭を影で支えると言っても過言ではないリッカルド・ムーティが今年も来日し、日伊国交樹立150周年記念のコンサートを指揮した。日伊国交樹立150周年記念オーケストラは、日本とイタリアの修好通商条約締結から150年を記念して、ムーティが手塩にかけて育て上げた、ルイージ・ケルビーニ・ジョヴァニーレ管弦楽団と日本の若手演奏家で編成をした東京春祭特別オーケストラ。

日伊国交樹立150周年記念のコンサートを指揮するリッカルド・ムーティ 写真提供:東京・春・音楽祭実行委員会/撮影:青柳聡

日伊国交樹立150周年記念のコンサートを指揮するリッカルド・ムーティ 写真提供:東京・春・音楽祭実行委員会/撮影:青柳聡

ラヴェンナでの稽古場の様子 Photo by (C) Silvia Lelli

ラヴェンナでの稽古場の様子
Photo by (C) Silvia Lelli

 「ムーティさんに励まされた話は先ほどしましたが、今回はマエストロ自身、直前に怪我をされて、予定していたシカゴ交響楽団もフランス国立管弦楽団もキャンセルされた。にもかかわらず、遠路来て頂いた。それは嬉しかったですよ」
 日伊国交樹立150周年記念オーケストラは、7月、ラヴェンナ音楽祭の“友情の道”(Le vie dell’Amicizia) プロジェクトの一環として出演する[*註1]。奇しくも小澤と始めた音楽祭の世界への発信が実現することになる。

vol.3に続く

●【ロングインタビュー】鈴木幸一(東京・春・音楽祭実行委員長)Vol.1
https://ebravo.jp/harusai/archives/2055

【編集部註】
[*註1]

ラヴェンナ音楽祭により1997年に創設された”友情の道”プロジェクトは、リッカルド・ムーティ指揮のもと、様々な対立や幾多の悲劇によって傷付いた場所で毎年コンサートを開催、2016年に20周年を迎える。これまでにサラエヴォ(1997年)、ベイルート(1998年)、エルサレム(1999年)、モスクワ(2000年)、エレヴァンとイスタンブール(2001年)、ニューヨーク(2002年)、カイロ(2003年)、ダマスカス(2004年)、チュニジアのエル・ジェム(2005年)などで、ミラノ・スカラ座管弦楽団・合唱団、フィレンツェ歌劇場管弦楽団・合唱団などが参加して行われている。

■ラヴェンナ音楽祭 出演概要
■日時:2016年7月3日(日)21:00
■会場:パラッツォ・マウロ・アンドレ Palazzo Mauro de André
(イタリア共和国エミリア=ロマーニャ州 ラヴェンナ)
■出演:リッカルド・ムーティ指揮
日伊国交樹立150周年記念特別オーケストラ
東京春祭特別オーケストラ&ルイージ・ケルビーニ・ジョヴァニーレ管弦楽団
イルダール・アブドラザコフ(バス)、他
■演奏作品:ヴェルディ:歌劇 《ナブッコ》 序曲 /歌劇 《ナブッコ》 第1幕 より 「祭りの晴着がもみくちゃに」/歌劇 《アッティラ》 第1幕 より アッティラのアリアとカバレッタ「ローマの前で私の魂が…あの境界の向こうで」/歌劇 《マクベス》 第3幕 より 舞曲 /歌劇 《運命の力》 序曲/歌劇 《第1回十字軍のロンバルディア人》 第3幕 より「エルサレムへ、エルサレムへ」/ボイト:歌劇 《メフィストフェレ》 プロローグ
■公式サイト:ラヴェンナ音楽祭 Ravenna Festival
http://www.ravennafestival.org