クラシック音楽好きが高じて、私財をつぎこみ音楽祭を企画した男がいる。鈴木幸一、69歳。早くから海外に研究に出かけ、国内インターネットサービスの草分けとして1993年、株式会社インターネットイニシアティブ(IIJ)を起ち上げた。後に続くネット企業の草分けとして道を切り開いた、インターネット業界の第一人者だ(現在は会長)。
世界には多くの音楽祭があるが、個人が自費で始めた音楽祭は希だ。去る3月16日に開幕した東京・春・音楽祭(東京春祭)は、いまや上野の春の風物詩となっている。
(聞き手・構成:ぶらあぼ編集部 写真:M.Terashi & M.Otsuka/Tokyo MDE)
幼いころから本とクラシック音楽が好きで、4,5歳の頃には、手回し蓄音機でSPを聴いたり、ひとり部屋に閉じこもっては本を読みふけっていたという鈴木は、小学生になると、NHK第2放送のラジオ番組で、さまざまな音楽を聴くようになった。
「年末になると毎年バイロイト音楽祭の放送があって、わからないまま何時間でもラジオにかじりついていたようで、この子、どうなっているんだろう?と、家族に心配された。子供ですからね、猫に小判というか、柴田南雄さんの素晴らしい解説がもったいなかった」
ラジオではクラシックだけでなく、いろんなジャンルの音楽も聴いた。芦原英了のシャンソン、中村東洋のラテン音楽、油井正一のジャズ、毎日、夕方の1時間半、熱心に聴いていた。
中学生になる前、カラヤン指揮ベルリン・フィルの演奏を旧・NHKホールで聴き[*註1]、音楽がコントラバスやチェロの上で展開する、その凄さに感動した。
「当時は、日比谷公会堂が主体で、よく行ったなあ。ルドルフ・ゼルキンのベートーヴェンは、未だに鮮明に覚えてる。一番前の席に座ってたのだけれど、『ハンマークラヴィーア』が始まったとたん、ペダルの音がもの凄くて、ビックリした(笑)」
◆上野は特別な場所
「私にとって、上野は自分にとって、特別な場所でね」
高校生になってから、鈴木は、ほとんど学校には行かなくなった。家を出ては上野に通い、美術館を廻ったり、文化会館で、新盤のLPを聴いたり、なんとか夕方まで過ごしたのが上野だった。
「中学まではわりと人気者で、優等生だったのが、高校に入ると学校にはほとんど行かなくなった。生徒同士で群れるのが好きじゃなかったというのもあるけれども、かなり変わってたらしい。担任の先生が自宅に来て、私を懸念している話をしたら、育ててくれた爺さんが、昔から変わり者はいて、放っておくのがいちばんいい。好きにやらせておけと、酒を飲みながら先生をお説教したり、(笑)学校公認のサボリ高校生だった(笑)」
日比谷公会堂で見た、フルトヴェングラー指揮の《ドン・ジョヴァンニ》に興奮して、品川まで歩いたこともあった。《蝶々夫人》などで伝説となっているオペラ演出家の三谷礼二が渋谷の「ジロー」というカフェでやっていたサロン・オペラには毎回通った。
「金もない高校生が、外で一日、時間を潰すのは大変で、京橋にある国立近代美術館のフィルムセンターで、1年に200本以上も映画を観たりね。その頃、大阪で万博があって、ジョン・ケージやクセナキスを聴いた。時代が高揚していて、私のような音楽の素人でも、クセナキスのようなノイズが重要なコンセプトとなっている現代音楽を聴きに行ったりした時代だった」
◆音楽をジャンル分けするのは馬鹿げている
「この処ずっと、忙しすぎて、自宅で一人でくつろぐ時は、クラシック音楽はあまり聴かないね。ついつい真面目に聴いてしまって疲れてしまうから。しんとした食卓テーブルに頬杖をついて、珈琲を飲んで眠ってしまうことが多い。我が家はバーみたいなもので、友人たちがよく来るけれど、そんな時はジャズが多いかな。キース・ジャレットとか、ビル・エヴァンスとか。演奏家が遊びに来ると、ジャレットの弾くショスタコーヴィチの『24の前奏曲』[*註2]とか、バッハを聴かせてはぎょっとさせている。『ケルン・コンサート』が有名だけど、彼は、ある種の天才で、独特のタッチと感覚でクラシックを弾いている。結構、びっくりしてるね。ジャンルを問わず、何でも聴けばいいと思うけれど」◆「東京のオペラの森」としてはじまった音楽祭
「以前から親しくしていた小澤征爾さんがウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任するという話がありました。浅利慶太さんや小澤さんと、酒を飲みながら勝手な夢を話しているうちに『東京から世界に発信するニュープロダクションのオペラをやりたいなあ』ということになった。それが1990年代の終わりのころ。それで、ウィーン、フィレンツェなどと共同でニュープロダクションをつくる羽目になってしまった。酒の席の与太話がほんとの話になってしまった。私は私で、桜が満開になる春の上野を舞台に『音楽のお祭り』を開きたい、という想いを持っていました。この二つの、いささか違った想いが『東京のオペラの森』として始まったというか、始めてしまった」
4年ほど「東京のオペラの森」として続いた音楽祭は、2009年からは現在の「東京・春・音楽祭」へと変わり、新たに出発した。
◆「東京・春・音楽祭」として再出発
「日本は受容するばかりでなく、これからは日本から世界へ発信しようという小澤さんの考え方はおもしろいし、私もそう思っていたんだな。ただし、私はやっぱり上野でお祭りがやりたかった。『プラハの春』という音楽祭がありますね。プラハの人々があの音楽祭に誇りを持っているように、そこに住んでいる人やそこで事業を営んでいる企業が東京という場で音楽祭をつくっていくということが重要なんです。江戸時代から上野は特別な場所だから、上野にはこだわった。
上野の山は、徳川にとって重要な地であるばかりか、江戸時代から、庶民が花見でにぎわった桜の名所でもある。維新後は、財政難にもかかわらず、世界に比する文化施設をつくろうと、明治政府を担った若い革命家の志に始まって、国立博物館に始まり、美術館、科学博物館、昭和36年には日本を代表するコンサートホールである東京文化会館の竣工に至るまで、100年を超す時間をかけて営々と築いた、しかも教育機関も設置し、西欧の芸術を受容してきた場所でもある。今や、世界的にもまれな文化ゾーンになっている。その上野という場所で、地域に根ざした音楽祭、街全体がお祭り、というものをやりたいという思いがやはり強かった」
【編集部註】
[*註1]
カラヤン指揮ベルリン・フィルの初来日公演となった、1957年11月3日、東京・内幸町にあった旧NHKホールでの演奏会。曲は、R・シュトラウス/交響詩「ドン・ファン」、ベートーヴェン/交響曲第5番「運命」。NHKがAMラジオとTVで生中継した。現在DVDで視聴できる。
[*註2]
クラシック音楽の世界では、J.S.バッハの平均律クラヴィーア曲集(24の全ての調による前奏曲とフーガで構成される)に範をとり、多くの作曲家がそれぞれの24の前奏曲集を書いている。
東京春祭では2015年から《24の前奏曲》シリーズを開始。
●リヒテルに捧ぐIII(生誕100年記念) / 《24の前奏曲》シリーズ vol.1
ショスタコーヴィチ ― アレクサンドル・メルニコフ(ピアノ) I
ショスタコーヴィチ:24の前奏曲とフーガ op.87
http://www.tokyo-harusai.com/program/page_2419.html
●《24の前奏曲》シリーズ vol.2
ドビュッシー ― アレクサンドル・メルニコフ(ピアノ) II
〜銘器プレイエル(1910年製)で弾くドビュッシー
ドビュッシー:
前奏曲集 第1巻
前奏曲集 第2巻
http://www.tokyo-harusai.com/program/page_2429.html
●《24の前奏曲》シリーズ vol.3
ショパン ― アレクサンドル・メルニコフ(ピアノ) III
ショパン:24の前奏曲 op.28 ほか
http://www.tokyo-harusai.com/program/page_2420.html
●《24の前奏曲》シリーズ vol.4
スクリャービン ― 野平一郎(ピアノ)
スクリャービン:24の前奏曲 op.11 ほか
http://www.tokyo-harusai.com/program/page_2424.html
●《24の前奏曲》シリーズ vol.5
アウエルバッハ― レーラ・アウエルバッハ(ピアノ)
アウエルバッハ:24の前奏曲 op.41 ほか
http://www.tokyo-harusai.com/program/page_3019.html