東京フィル 2020シーズンの聴きどころ

“物語”にあふれた2020年

文:柴田 克彦

 2020シーズンの東京フィル定期のテーマは“壮大な音楽物語”。当楽団の唯一無二の特長は、長く豊富なオペラ演奏に根ざした“色香漂うドラマ表現”にある。以前、名誉音楽監督チョン・ミョンフンも「常日頃オペラを演奏しているオーケストラは、とてもフレキシブルで、人間性が音を通じてバラエティ豊かに表現される。ウィーン・フィルが好例で、東京フィルも然り」と語っていた。“物語”にあふれた2020年は、その魅力をフルに満喫することができる。

チョン・ミョンフン

 同テーマに最も相応しいのが、他の追随を許さない「オペラ演奏会形式」だ。これが2本あるのがまず嬉しい。中でもチョン・ミョンフンが振るビゼーの『カルメン』(2月)は待望の演目。2004年藤原歌劇団の公演で彼がフランス国立放送フィルを指揮した本作は、色彩感と生気漲る快演だった。それから15年余を経て円熟味を増し、東京フィル定期でも2016年『蝶々夫人』、18年『フィデリオ』で奥深く感動的なドラマを紡いだマエストロが、主役のコンパラートをはじめとする信頼厚い歌手陣、あうんの呼吸が成り立つ当楽団とともに奏でる『カルメン』は、日本の同曲演奏史に輝かしき1頁を記すこと間違いなしだ。

アンドレア・バッティストーニ

 対して首席指揮者バッティストーニは、ザンドナーイの『フランチェスカ・ダ・リミニ』(9月)を披露する。このプッチーニの後を継ぐ作曲家の代表作は、中世の運命的な悲恋を描いたロマンティックで劇的な音楽。2016年『イリス』、18年『メフィストーフェレ』とレアなイタリア・オペラに活力を注いできたバッティストーニが、今回も清新かつエキサイティングな体験をもたらしてくれる。

ミハイル・プレトニョフ

 さらに特別客演指揮者プレトニョフがシチェドリンの『カルメン組曲』(6月)を振るのも、捻りの効いたプログラム(後半のチャイコフスキーの佳作『組曲第3番』もそうだ)が身上の彼らしく面白い。弦楽と4群の打楽器という特異な編成の同曲は、おなじみの旋律が思わぬ楽器や音使いで登場するユニークな“異版”。本家のオペラにこの異色バレエが続く両巨匠の“カルメン・リレー”は、音楽的な妙味十分だ。

 シンフォニックな作品にも物語が満載されている。ベルリオーズの『幻想交響曲』(1月)は、アヘンを飲んだ芸術家の奇怪な夢の物語。めくるめく興奮を生み出すバッティストーニの指揮でぜひ耳にしたい演目でもある。スメタナの『わが祖国』(3月)は、チェコの自然と歴史の物語。これは名曲に新感触を付与するプレトニョフのアプローチが大注目だ。バーンスタインの交響曲『カディッシュ』(4月)は、ユダヤ教の祈り、ひいては平和への祈りを多彩な音楽語法を駆使して演劇風に描いた感動の物語。同公演はノリの良い他の2曲を含めて、作曲者の愛弟子・佐渡裕の入魂の熱演が期待される。そして“ある英雄の思い出”が絡んだベートーヴェンの『英雄』交響曲(7月)、当初「夏の朝の夢」と題された大自然の物語=マーラーの交響曲第3番(10月)は、両作曲家の作品で数多の名演を残してきたチョン・ミョンフンのドラマティックな表現が、熱く深い感銘を与えてくれるに違いない。

 ちなみに今期登場する、ラフマニノフのピアノ協奏曲、チャイコフスキーの組曲、バーンスタイン、ベートーヴェン、マーラーの各交響曲はすべて“第3番”。意図的か? はたまた3番には壮大な曲が多いのか? この点もいささか興味をそそる。

 エネルギッシュで構築力に長けた3人に躍動的な佐渡裕を加えた、 “音楽のストーリー・テラー”と呼ぶに相応しい名匠たちが、壮大にして濃密な音楽物語を聴かせ、俊英・阪田知樹、服部百音をはじめとする注目のソリストも鮮烈に加わるこの1年。すべて聴き逃せない、心が弾む公演ばかりだ。

佐渡 裕

 


しばた・かつひこ(音楽ライター)
音楽マネージメント勤務を経て、フリーランスの音楽ライター、評論家、編集者となる。雑誌、公演プログラム、宣伝媒体、CDブックレット等への寄稿、プログラム等の編集業務のほか、一般向けの講演や講座も行うなど、幅広く活動中。著書に「山本直純と小澤征爾」(朝日新書)。