【特別記事】2018年10月 巨匠チョン・ミョンフンとともに紡ぐ、熱情のヴァイオリン

 2018-19シーズンの10月定期演奏会には世界的ヴァイオリニストで東京フィル名誉音楽監督チョン・ミョンフンの姉、チョン・キョンファが登場。巨匠姉弟による共演が実現する。長年にわたり彼女を追い、インタビューも度々おこなっている音楽評論家・伊熊よし子氏が公演への期待を語る。

C)Simon Fowler

類まれな才能をもつヴァイオリニスト、チョン・キョンファ

 幼いころから音楽に類まれなる才能を示し、「神童」と称され、特別な教育を受けてきたチョン・キョンファ。今年10月は、ブラームスのヴァイオリン協奏曲を弟で東京フィル名誉音楽監督のチョン・ミョンフンのタクトで演奏する。このコンチェルトはキョンファの得意とする作品で、2000年にはサイモン・ラトル指揮ウィーン・フィルとの共演で録音を行い、激情的な表現が大きな話題となった。
 12歳で渡米し、ジュリアード音楽院で名ヴァイオリニストたちに師事し、19歳でエドガー・レヴェントリット国際コンクールに優勝して国際舞台へと躍り出た。以来、怖いまでの集中力に富む、野性的で深い表現力に根差した完璧なる演奏は各地で高い評価を得、全身全霊を賭けて演奏する情熱的な姿勢に世界中のファンが魅了された。

故障からの復帰、バッハと向き合う日々


 しかし、2005年に指のケガに見舞われ、5年間まったくヴァイオリンが弾けない状況に陥る。この間は治療に専念しながら後進の指導にあたるなど、若い音楽家の育成に尽力した。復帰は2011年12月。その後、2013年6月には15年ぶりの来日公演が実現し、聴衆に深い感動をもたらした。さらに2015年にも来日し、4年間デュオを組んでいるケヴィン・ケナーとのデュオでベートーヴェンのソナタをじっくりと聴かせた。実は、キョンファはアメリカ留学時代に師事したポール・マカノウィツキーと、彼とコンビを組んでいたノエル・リーのデュオを目指している。彼女は多くの偉大なヴァイオリニストに学んでいるが、彼らから「演奏家は生涯学びの姿勢をもつこと」という精神を教え込まれたという。さらに2017年には長年の夢であるJ.Sバッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」全6曲を来日公演で披露、15年ぶりのスタジオ録音も完成させている。

人生の糧ともいうべきバッハ「無伴奏ヴァイオリン」

「バッハの無伴奏は私の人生の糧ともいうべき作品。ニューヨーク時代に14歳で弾き始めたけど、本当に理解することが難しかった。特にフーガは大いなるチャレンジだったわね。全体の流れを大切に、ヴィブラートを抑制しながら弾く。各作品を完全に咀嚼し、音にしていく過程はとても困難だった。でも、長年に渡りずっと弾き続け、勉強を続けてきたため、勇気を出していま演奏するべきだと自分にいい聞かせ、全曲録音&演奏に挑戦したの」
 こう語るキョンファがとりわけ愛しているのがソナタ第3番のフーガ。フーガに関しては、当初からさまざまな悩みを抱え、あらゆる奏法をガラミアン教授から学び、自身で内容と解釈と奏法をひたすらきわめていった。
 彼女は、ヴァイオリンが弾けなかった時期に、頭のなかでバッハの楽譜と対峙したという。楽器に触らず、楽譜の隅々まで読み込み、イメージを広げていく。その作業が、いまは大きな成果と役割を果たしていると語る。
「演奏家はどうしても楽譜を深く読むことより、先に楽器を手にして弾き始めてしまう。でも、譜面をじっくり読み、頭のなかで音楽を鳴らすこと、想像すること、考えることはとても大切。楽器が弾けない時期に、私はこの精神を学んだの。こうした偉大な作品は、人生とは何か、どう生きるべきかという人生の命題を突き付けてくる。私はそれを音楽で表現し、聴衆とその精神を分かち合いたいと思っています」

「演奏家は作曲家と聴衆をつなぐメッセンジャー」

チョン・キョンファは今年デビュー45周年を迎える
C)Simon Fowler

 さらに、キョンファは熱弁をふるう。
「演奏家は作曲家と聴衆をつなぐメッセンジャー。自分自身が前面に出るのではなく、作品の真意をいかにしたら聴き手に届けることができるか、それを優先すべきです。とかく演奏家は自分をアピールしたがるもので、私も若いころは確かにそうした面もありましたが、いまはステージに出たら自己の存在を消し、作曲家の僕となるべきだと考えています」
 それを経て、彼女のブラームスがどのような変貌を遂げたか、期待は高鳴る。第1楽章の歌謡性に富む情熱的で壮麗な主題のうたい回し、第2楽章の叙情的な色彩が濃厚なアダージョの表現、第3楽章のロマ風の主題の活気に満ちたフィナーレなど、聴きどころ満載だ。
 前回のバッハでは集中力と緊迫感がただよう3時間に、キョンファとともに呼吸しているような感覚を味わった。修行僧のような奏者が存在し、巨大な作品に命を捧げるような演奏に心が浄化する思いがしたものだ。ブラームスでも洞察力に富み、人間味あふれる演奏に至福のひとときが味わえるに違いない。
(文=伊熊よし子)


伊熊よし子/音楽ジャーナリスト、音楽評論家。東京音楽大学卒業。レコード会社、ピアノ専門誌「ショパン」編集長を経て、フリーに。クラシック音楽をより幅広い人々に聴いてほしいとの考えから、音楽専門誌だけでなく、新聞、一般誌、情報誌、WEBなどにも記事を執筆。近著「たどりつく力 フジコ・ヘミング」(幻冬舎)。


■チョン・ミョンフン指揮&チョン・キョンファ 10月定期演奏会 

第120回東京オペラシティ定期シリーズ
2018.10/4(木)19:00 東京オペラシティ コンサートホール
第911回サントリー定期シリーズ
2018.10/5(金)19:00 サントリーホール

指揮:チョン・ミョンフン(東京フィル名誉音楽監督)
ヴァイオリン:チョン・キョンファ

ブラームス/ヴァイオリン協奏曲*
サン=サーンス/交響曲第3番『オルガン付き』

◇2018-19シーズン定期演奏会ラインナップはこちら

【関連公演】
チョン・キョンファ リサイタル
2018.6/5(火)東京オペラシティ コンサートホール