ブラームスの室内楽 VII エリーザベト・レオンスカヤ(ピアノ)を迎えて

 スヴャトスラフ・リヒテルの生誕100年(2015年)は、東京春祭にエリーザベト・レオンスカヤを招かせただけでなく、ボロディン弦楽四重奏団との素晴らしい共演を実らせてくれた。《リヒテルに捧ぐ》のファイナルに相応しく、シューマンとショスタコーヴィチの五重奏曲を演奏したのだが、これがちょっとほかでは聴けないような音楽だった。

 私たちはとかく物事を足し算で捉えがちだし、弦楽四重奏とピアノという濃密にして重厚な組み合わせなら、なおのこと耳がおなかいっぱいになるような聴き応えが想像されやすい。それこそ音楽祭の機会などで、リハーサルもそこそこに、セッション的な熱気でーーわるく言えば、勢いと燃焼だけでーー押しきるような、力業の取り組みを聴かされることも多いからだ。ロマン派の力作、たとえばシューマンの五重奏曲では、とかくそういう目にあいやすい気がする。

 ところが、レオンスカヤのピアノはまるで違った。空間を塗り込めるとは違う、間引いた表現を自在に聴かせていったのである。むしろ引き算を掛け算に変えてしまうような不思議な演算の魔法が、そこにはあった。そうして間や余白が、かえって音楽を深く自由に、しかも熱くしていた。もちろん、レオンスカヤだけではなく、ボロディン弦楽四重奏団というベテラン揃いだからこその、余裕の技である。器用なだけでは決してたどり着けない、音楽の感じかたと息づかいが自ずと通っていた。

左より:矢部達哉、岡本誠司、川本嘉子、横溝耕一、向山佳絵子、エリーザベト・レオンスカヤ

 あれから5年がめぐり、今春はブラームスの四重奏を、東京春祭でもこの作曲家に心血を注いできた日本の誇る名手たちと共演する。弦楽五重奏曲第2番ト長調 op.111がまず演奏されるが、こちらがブラームス円熟期の作なら、ピアノ四重奏曲第2番イ長調op.26はその30年程前、つまりまだ20代後半の青年ブラームスの輝かしい作品だ。かつてリヒテルとボロディン四重奏団のメンバーがレパートリーにしていた曲でもある。それを、レオンスカヤのピアノと、矢部達哉のヴァイオリン、川本嘉子のヴィオラ、向山佳絵子のチェロという充実の顔合わせで聴ける。このなかには5年前の演奏会の客席でみかけた名手もいて、そのときからぜひともレオンスカヤとの共演を聴きたいと願っていた。東京春祭が長く続いていくなかで、こうした世代を交えた音楽の精神や経験の受け渡しは、かけがえのない財産になる。共演者はもちろんのこと、私たち聴き手にとってもまさしくそうだ。
文:青澤隆明

*新型コロナウイルス感染症の拡大の影響に伴い、海外からの渡航制限拡大により、予定していた出演者の来日がかなわなくなったため、本公演は中止となりました。(3/18主催者発表)
詳細は下記ウェブサイトでご確認ください。
https://www.tokyo-harusai.com/news_jp/20200318/


【公演情報】
ブラームスの室内楽 VII
エリーザベト・レオンスカヤ(ピアノ)を迎えて

2020.4/6(月)19:00 東京文化会館 小ホール

●出演
ヴァイオリン:矢部達哉、岡本誠司
ヴィオラ:川本嘉子、横溝耕一
チェロ:向山佳絵子
ピアノ:エリーザベト・レオンスカヤ

●曲目
ブラームス:
 弦楽五重奏曲 第2番 ト長調 op.111
 ピアノ四重奏曲 第2番 イ長調 op.26