春がきて、エリーザベト・レオンスカヤが上野にまたやってくる。はじまりは5年前、2015年のことで、リヒテルの生誕100年の記念プロジェクトに参加して。このとき、日本では32年ぶりとなる女史のソロ・リサイタルがひらかれた。32という数はそのままベートーヴェンの作品番号つきのソナタを思わせもするが、レオンスカヤがそこで弾いたのはやはりリヒテルも得意としたシューベルトの後期ソナタ3作。ベートーヴェンへの敬愛とそこからの逸脱が結んだ傑作を、久しぶりの日本の聴衆への再会の挨拶に選んだことになる。
それが一昨年のシューベルト・チクルスへと繋がっていったのは、東京春祭のプログラミングが多彩に物語を織りなしていく手腕に長けているからで、私たち聴き手もページの続きを自然と捲りたくなる。レオンスカヤは、ほぼ連日の6公演を通じて、18曲のソナタと「さすらい人」幻想曲を惜しみなく聴かせていった。レオンスカヤの演奏に響いていたのは作曲家の死への畏れや傾斜ではなく、あくなき創造と生への執着であった。そう実感された。
さて、その年がシューベルトの没後190年なら、続く今年はベートーヴェンの生誕250年である。シューベルトは同時代を追いかけるように生きて、ベートーヴェンのソナタ以後を模索したが、それはロマン主義精神や心性、形式上の独創だけではなく、年代的にみてもそうなる。ベートーヴェンが最後のソナタを書き終えたのは1822年のことで、シューベルトはその年11月のハ長調幻想曲「さすらい人」D760でソナタ創作の突破口をひらいた。
レオンスカヤはこの春、ベートーヴェンの後期作をじっくり見据えるだけでなく、先立つリサイタルでは先達モーツァルトのK.310、330〜333に、シェーンベルクの6つの小さなピアノ曲 op.19とウェーベルンの変奏曲 op.27 を交えることで、ドイツーオーストリアのピアノ音楽の鉱脈を大きく照射しようとしている。前後を見渡してから、ベートーヴェンのソナタの終着点に臨むという道行きだ。東京春祭では同時期の関連作《ミサ・ソレムニス》もこの4日後に組まれて、ベートーヴェンの究極を奥行きとともに響かせることになる。
文:青澤隆明
*新型コロナウイルス感染症の拡大の影響に伴い、海外からの渡航制限拡大により、予定していた出演者の来日がかなわなくなったため、本公演は中止となりました。(3/18主催者発表)
詳細は下記ウェブサイトでご確認ください。
https://www.tokyo-harusai.com/news_jp/20200318/
【公演情報】
エリーザベト・レオンスカヤ(ピアノ) II
ベートーヴェン 後期三大ピアノ・ソナタ
2020.4/8(水)19:00 東京文化会館 小ホール
●出演
ピアノ:エリーザベト・レオンスカヤ
●曲目
ベートーヴェン:
ピアノ・ソナタ 第30番 ホ長調 op.109
ピアノ・ソナタ 第31番 変イ長調 op.110
ピアノ・ソナタ 第32番 ハ短調 op.111