トマス・コニエチュニー(バス・バリトン)

 この数年、東京・春・音楽祭のマレク・ヤノフスキ指揮による《ニーベルングの指環》上演でアルベリヒ役を歌い、強烈な印象を残してきたトマス・コニエチュニー。大きなホールの隅々に響きわたる強靭な声、この世への怨念を実感させる、肌にまとわりつくような粘り気のある独特の歌いまわし・・・まさに「現代最高のアルベリヒ」と形容しても過言ではないが、もしかしたら、私たちがこの役で氏の歌唱を聴くのは今度の《神々の黄昏》が最後になるかも知れない。

アルベリヒ役は、2019年メトロポリタン歌劇場で最後に
「アルベリヒ役を舞台で歌うのは、東京・春・音楽祭のあと2019年にメトロポリタン歌劇場への出演で最後にしようと決めています。性格的な役柄として舞台上の動きも激しく、独自の発声が求められる上に、低めの中声域が続いて、長時間歌うと喉に負担が大きいのです。将来のことを考えたとき、この役から手を引く潮時かなと思うようになりました。たしかに、この役のおかげで世界的なキャリアを築くこともできましたし、二種類の録音で高い評価も受けました(ティーレマン指揮・ウィーン国立歌劇場の《指環》全曲とラトル指揮バイエルン放送交響楽団との《ラインの黄金》[*1])。演劇的にもおもしろくて愛着はありますが、そろそろコニエチュニー=アルベリヒのスペシャリスト、というイメージは払拭したいと思います」
 そんな氏にとって、昨秋のウィーン歌劇場の来日公演における《ワルキューレ》ヴォータン役の成功はとりわけ嬉しいものであったようだ。
「《指環》では今後はヴォータンに集中したいと思っています。歌手としても演技者としても大いに表現意欲を掻き立てられるのです。すでに25歳の時から、この役の勉強を始めました。《指環》の役で最初に歌ったのも、実はアルベリヒではなくヴォータンなのです。2005年にマンハイムの歌劇場で初めて歌ったのですが、幸運なことに指揮者は今回のウィーン国立歌劇場日本公演と同じアダム・フィッシャーでした。
 アルベリヒは2009年に、ウィーン国立歌劇場の総監督だったイオアン・ ホレンダー氏からの希望があって歌うようになったのです。ホレンダー氏からは当時、東京・春・音楽祭へも推薦があり、東京・春・音楽祭とはアルベリヒ役での契約となりました。私にこの役でチャンスをくれたことはとても感謝しています。でも自分の希望は昔も今も変わらずヴォータンなのです」

いつか挑戦したいハンス・ザックス役
アルベリヒ役を「卒業」する氏は今後、どのような方向に進むのだろう。近い将来の展望を語ってもらった。
「リヒャルト・シュトラウスのオペラはこれからもどんどん歌っていきたいですね。ヨハナーン(《サロメ》)、バラク(《影のない女》)、マンドリカ(《アラベラ》)・・・。昨夏にはザルツブルク音楽祭で初めて《ダナエの愛》のユピテルを歌いました。ベルクの《ヴォツェック》もそうですが、これらはすべて、かなり声域の高いバリトンの役です。10年前に日本で《ローエングリン》のハインリヒ王を歌ったときは[*2]、私はまだバスでした。そのときに較べて、声が自然に高くなったということもあるし、キャリアの方向を自分でバリトンに定めて、そのためにトレーニングしたということもあります。ただバスの役でも、今度スカラ座で歌う《ドン・ジョヴァンニ》の騎士長など、自分の今の声に合う役もありますから、図式的な区分けはしないほうがよいとは思っています。
 ワーグナーの楽劇はほとんど歌ってきましたが、《マイスタージンガー》はまだです。ハンス・ザックス役はぜひともいつか挑戦したいですね。これまでバイロイトを含め、二回打診されたのですが、準備期間が短く、まだ若いのでと断ったのです。この役を本当に生き生きと演じられるような、適切なプロダクションでデビューできたらと願っています」

音楽に集中できる演奏会形式
 歌手になる前の数年、俳優として映画や舞台に出演し、そもそもは高校を卒業したときから演出家になりたかったという氏が口にする「適切な」という言葉には、昨今、ドイツ語圏の劇場を席巻する前衛的演出の傾向に対する氏の批判を垣間見ることができよう。
「その頃まだポーランドには演出を学ぶ機関がなかったので、まずは役者になろうと思ったわけです。いつか将来、ワーグナー作品の演出を手がけてみたいですね。《指環》《さまよえるオランダ人》《パルジファル》については、すでに多くの語るべきものを持っていると自負しています。演出では、音楽を邪魔しないこと、作品に即して、ストーリーを分かりやすく見せることが重要です。台本に書いてあることと多少違っていても、全体に一貫した整合性があって、聴衆にとっても理解しやすければOKですし、歌手も喜んで協力しますよ。そうでなく、マスコミの注目を得るために、ただ新奇なことをやろうという演出なら、音楽に集中できる演奏会形式のほうがいいですね。
 東京・春・音楽祭でも聴衆の集中度が素晴らしく、皆が音楽に感動しているのが伝わってくるので、歌うのがとても楽しみです。私のアルベリヒ役を聴けるのは今度が最後になるかも知れませんから(笑)、ぜひお出かけください」
取材・文:山崎太郎 写真:寺司正彦

註)*1
【CD】
Wagner: Das Rheingoldサイモン・ラトル 、 バイエルン放送交響楽団
【CD】
Wagner: Der Ring des Nibelungen [14CD+2DVD]クリスティアン・ティーレマン 、 ウィーン国立歌劇場管弦楽団

註)*2
新日本フィルハーモニー交響楽団第414回定期演奏会
クリスティアン・アルミンク指揮
ワーグナー/歌劇《ローエングリン》(コンサート・オペラ形式)
2007年3月21、24日すみだトリフォニーホール


東京・春・音楽祭 ―東京のオペラの森2017―

東京春祭ワーグナー・シリーズ vol.8
『ニーベルングの指環』第3日 《神々の黄昏》 演奏会形式/字幕・映像付
2017.4/1(土)、4/4(火)各日15:00 東京文化会館

指揮:マレク・ヤノフスキ ジークフリート:ロバート・ディーン・スミス グンター:マルクス・アイヒェ
ハーゲン:アイン・アンガー アルベリヒ:トマス・コニエチュニー
ブリュンヒルデ:クリスティアーネ・リボール グートルーネ:レジーネ・ハングラー
ヴァルトラウテ:エリーザベト・クールマン 他 
管弦楽:NHK交響楽団 合唱:東京オペラシンガーズ

問:東京・春・音楽祭チケットサービス03-3322-9966 
http://www.tokyo-harusai.com/