フェルハン & フェルザン・エンダー(ピアノ・デュオ)

 さて、ピアノ・デュオである。音楽祭の花、あるいは火花としての燃焼型セッションはひとまずおくとして、長続きしているカップリングをみると、やはり近親者どうしのデュオが多いようだ。師弟や同門という組み合わせもあろうが、それはまた、さまざまに危険も孕みそう。

 パートナーや夫婦なんて、良い時期は最高だろうが、たいへんなときはこの上なく困難という気もする。兄弟姉妹のケースだと、息の長い関係で、著名なデュオも多い。
 とくれば、極めつけは双子のデュオだろう。ギュヘル&ジュヘル・ペキネルの姉妹がまず有名だが、同じトルコから登場した若きフェルハン&フェルザン・エンダーも双子の姉妹である。ファースト・ネームまでちょっと似すぎている。

 フェルハン&フェルザン・エンダーは、私もまだ実演に触れられていないのだけれど、たとえば今回披露されるファジル・サイ作品のレコーディングを聴いても、濃密な抒情やしなやかな歌いかけ、情感や表現の打ち出しの激しさが、いきいきと鮮やかに感じとれる。
 どちらがどう、という聴き分けを楽しむというのではなく、「フェルハン&フェルザン・エンダー」というひとつの生命体、という一体感のほうが強い。サイ作品の抒情や没我の魅力もあって、フェルハン&フェルザン・エンダーの演奏もまた、どこかミステリアスである。

 この春のコンサート・プログラムは、ずいぶんと魅力的で、いい意味でエキゾチックだ。まず注目は、トルコの先達ファジル・サイが姉妹のためにまとめた「イスタンブールの冬の朝」と「ソナタ」。前者が4手連弾の小品で、後者は2台ピアノのための堂々たる3楽章ソナタである。同じくCD録音もしている得意のレパートリーで、ヴィヴァルディの「四季」が、クロアチア生まれのトミスラヴ・サバンの編曲による2台ピアノ版で織りなされる。

 それから、かつてサイが一人多重録音で世界を驚かせた、ストラヴィンスキーの「春の祭典」が4手連弾で演奏される。しかも、クルターグのトランスクリプションによるJ.S.バッハの作品を途中に織りなす構成だ。ハンガリーの作曲家クルターグ・ジェルジュは、それこそ夫人のマリアとのピアノ・デュオを好んで行っていて、名高い『遊び』の連作にバッハのトランスクリプションを織り込んだレコーディングなどを私も愛聴してきた。

 ファジル・サイの一人の手、クルターグ夫妻の手、そしてエンダー姉妹の手がどのように絡み合い、響き交わすのか、多彩なプログラムからも、さまざまに想像がひろがる。
文:青澤隆明

*新型コロナウイルス感染症拡大の影響に伴い、本公演は中止となりました。(3/13主催者発表)
詳細は下記ウェブサイトでご確認ください。
https://www.tokyo-harusai.com/news_jp/20200313/


【公演情報】
フェルハン&フェルザン・エンダー(ピアノ・デュオ)
2台のピアノによるヴィヴァルディ《四季》

2020.3/18(水)19:00 上野学園 石橋メモリアルホール

●出演
ピアノ:フェルハン&フェルザン・エンダー

●曲目
ファジル・サイ:2台のピアノのためのソナタ op.80
ヴィヴァルディ(トミスラヴ・サバン編):協奏曲集 op.8 《四季》(2台ピアノ版)
ファジル・サイ:イスタンブールの冬の朝 op.51b (1台4手ピアノ)
《春の祭典》――クルターグ・ジェルジュによるJ.S.バッハの作品を織り交ぜて
ストラヴィンスキー:《春の祭典》(2台ピアノ版)
 第1部 大地の礼賛
  I. 序奏
  II. 春のきざし(乙女たちの祈り)
  III. 誘拐
  IV. 春の輪舞
J.S.バッハ=クルターグ:神の時こそいと良き時 BWV106
  V. 敵の部族の遊戯
  VI. 長老の行進
  VII. 長老の大地への口づけ
  VIII. 大地の踊り
J.S.バッハ=クルターグ:我らキリストを讃えまつる BWV611
 第2部 生贄の儀式
  I. 序奏
  II. 乙女の神秘的な踊り
  III. 選ばれし生贄への賛美
J.S.バッハ=クルターグ:ああ、いかにはかなき、いかにむなしき BWV644
  IV. 祖先の召還
  V. 祖先の儀式
J.S.バッハ=クルターグ:キリストよ、汝 神の小羊 BWV619
  VI. 生贄の踊り(選ばれし生贄の乙女)