「やっぱりチェロは好きですね。チェロの音も音楽も、クヮルテットのなかの役割もそうだけど、楽器を弾くのがやはり好きなのだと思う。だからいま、ものすごく練習するし、自分で勉強している時間が楽しくてしょうがない。小さい頃に野球ばかりしてないで、もう少し練習していたら人生変わったかもね」
原田禎夫は少し照れるようにそう笑った。N響のチェロ奏者だった父の影響で、チェロは少年時代からいつもそばにいる自らの分身のようなものだった。
「チェロを好きな気持ちはずっと変わらないです。探究心や研究心も、いまのほうがシリアスに考えてはいるけれど、やはり変わらない。だから、いままで音楽をやってこられたのだと思う」
この春からの「原田禎夫チェロ・シリーズ」は、内外の実力派演奏家に目配りを利かせた《東京・春・音楽祭》の心意気を示す好企画だろう。シリーズ3年目に音楽祭が10周年、チェリスト自身が70歳を迎えるのも象徴的だ。原田禎夫の長い音楽人生を集約するとともに、新たなチャレンジにも意欲的な構成になっている。まずはベートーヴェンの弦楽四重奏に始まり、ドビュッシー、ブラームス、メンデルスゾーンのソナタといった多彩な選曲のリサイタルが続く。
「僕も歳をとったし、いつまで弾けるかわからない(笑)。プログラムはずいぶん考えました。いままでメインでやってきたクヮルテットと室内楽を中心にしつつ、ソナタはまだまだ未熟だからチャレンジしていきたい。クヮルテットとソロではメンタリティーも違うから、東京クヮルテットを辞めて、少しずつそういうのを会得しているところ。まだまだ試行錯誤ですよ」
齋藤秀雄に厳しすぎるほどの指導を受けた後、アメリカに渡り、1969年に同門の仲間たちと始めた東京クヮルテットで30年間邁進した原田禎夫。ナッシュビル交響楽団の首席奏者時代には、アルバイトでエルヴィス・プレスリーなどの録音セッションにも参加し、ジュリアード音楽院へ行く学費を稼いだという。東京クヮルテットを離れた1999年からは、サイトウ・キネン・フェスティバルにおいて恩師ロバート・マンの四重奏団に参加し、ベートーヴェン後期の傑作もすべて演奏した。そして、「原田禎夫チェロ・シリーズ」の幕開けには、ドイツでの教授仲間に川崎洋介を交えて2004年に結成したアミーチ弦楽四重奏団が、ベートーヴェンの初期(op.18-3)、中期(op.59-3)、後期(op.135)の名作を集めて演奏する。
「アミーチは名前のとおり、気の合った友人どうしが集まり、一緒に練習して、その成果をときどきコンサートで発表する。いつもの仕事ではない喜びというか、フレッシュな気持ちで、みんながとにかくすごく楽しんで弾く。それが聴く人にも反映するように思います。最近は世の中が出来合いのものに向かっていくし、聴衆もそれを欲するようになっている。演奏も少しはチャレンジして、即興性をもつとか、完璧でなくてもいいから人とコミュニケーションできるものがあっていい。音楽の世界にはスタイルの流れがあるけれど、僕としてはそろそろまた人間がやっているという感じがほしいと思いますね。やっぱり、音楽会を聴いて泣く経験を僕自身ずいぶんしてきたから」
“クヮルテットの鉄人”にとって、常設グループではないアミーチ弦楽四重奏団での探求はやはりリスクを負ったチャレンジなのだろうか。
「リスクと言われればリスクかも知れないけれど、僕は失うものは何もないのですよ。この歳になったら、自分の好きなこととやりたいことを、開き直ってやってみていいんじゃないか。だから、このシリーズでも、決まりきったものではなくて、何か違うことをやりたい」
今後のシリーズ構想も、原田禎夫という音楽家の奥行きを存分に示すものだ。来春には、「最高のヴァイオリン弾き」と原田が惚れこむピンカス・ズッカーマンを招いての室内楽と、世界各地から教え子たちを召集してチェロだけのアンサンブルが組まれる。3年目には、スイスでともに教えるパメラ・フランク、今井信子とバッハの「ゴルトベルク変奏曲」で再会を期し、リサイタルではベートーヴェンのチェロ・ソナタに臨む。70歳に近づくいま、信頼する仲間たちも交えながら、原田はさらに深く、自由に音楽への愛を語り始めている。
「人に対する気持ちとか、自分のなかで何かを感じることを、音楽がほんとうに教えてくれた。自分の内の痛みや相手の痛み、人間の感情を、僕は音楽を通じてすごく勉強させてもらった気がする」
写真:青柳聡 取材・文:青渾隆明
(ぶらあぼ2012年3月号から)
profile
NHK交響楽団のチェロ奏者だった父から手ほどきを受けた後、齋藤秀雄に師事。桐朋学園大学卒業。東京交響楽団の最年少首席チェリストを務めた後ジュリアード音楽院に入学、クラウス・アダム、ロバート・マン、ラファエル・ヒリヤー等に師事し室内楽の研讃を積む。1969年に東京クヮルテットを結成。ミュンヘン国際音楽コンクール等で優勝するなど世界の注目を浴びる。99年、30年間在籍した東京クヮルテットを離れ、ソリストとしての活動を開始。世界中のオーケストラとの共演や、 サイトウ・キネン・オーケストラ等に定期的に出演。現在は水戸室内管弦楽団のメンバーを務める他、2006年に結成したアミーチ弦楽四重奏団の一員としても活動している。また、小澤国際室内楽アカデミー奥志賀、プロジェクトQ、タングルウッド音楽祭室内楽マスタークラスなど、国内外において後進の育成にも力を注いでいる。現在、上野学園大学音楽学部教授。
Concert
東京・春・音楽祭一東京のオペラの森2012ー
原田禎夫チェロ・シリーズ
vol.1アミーチ弦楽四重奏団
〜オール・ベートーヴェン・プログラム
★3月19日(月)19:00・東京文化会館(小)
フェデリコ・アゴスティーニ 川崎洋介(以上ヴァイオリン)
ジェームズ・クライツ(ヴィオラ)
原田禎夫(チェロ)
曲/ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第3番・第16番・第9番「ラズモフスキー第3番」
vol.2原田禎夫チェロ・リサイタル
★3月29日(木)19:00・東京文化会館(小)
共演:加藤洋之(ピアノ)
曲/ドビュッシー:チェロ・ソナタ ブラームス:同第1番 メンデルスゾーン:同第2番
問:東京・春・音楽祭実行委員会03-3296-0600
http://www.tokyo-harusai.com