ある熟練の飲み手は父や祖父のように慕い、ある若手の飲食関係者は神のように崇める。そう言えば、先日久しぶりに会った銀座の有名バーテンダーは、「校長先生のような存在」と語っていた。先頃40周年を迎えた湯島の老舗バー「EST!」のオーナー・渡辺昭男さんの満面の笑顔に触れると、それらの人物評がいずれも的を射ていることがよくわかる。
(取材・文:渡辺謙太郎 写真:中村風詩人)
プライヴェートではほとんど酒を口にせず、バーテンダー協会にも属していない彼は、「お酒もサービスも、すべてお客様に教えていただきました」と、これまでの歩みを振り返る。「仕事を始めた頃は、酒だけでなく、氷やフレッシュなフルーツも手に入りにくくて。カクテルのレシピもわからないことが多いから我流で考え、お客様の反応を見ながら調整を重ねてきました。その意味で、バーテンダーにとって最も大切なのはお客様の舌と心を探る“接客”だと思います。同じ人間でも、気候や健康状態で嗜好は毎日のように変わりますから、その探求には終わりはない。本当に難しいですが、だからこそ面白くもある」
「EST!」のカウンター9席&テーブル4席は、老若男女で連日満席。入口近くのカウンターには懐かしい黒電話が置かれ、独特の呼出し音と「はい、『EST!』でございます」という明るい声がよく映える。そして、茶褐色の質実剛健な内装と、白いバーコートをまとった渡辺さんたちスタッフが織りなす、美しいコントラスト。多くの芸能人や文化人をも魅了してやまない、温かく凛とした空気がそこにはいつもある。
「EST!」のカクテルは“旬”を大切にするため、提供期間が限られているものも少なくない。例えば、自宅で栽培したミントをたっぷり使った「モヒート」、晩秋から登場するザクロとカルヴァドスを合わせた「ジャック・ローズ」、そしてオリジナル・ブレンド珈琲で作る冬の定番「アイリッシュ・コーヒー」など。いずれも人気が高く、手本にする同業者も多い。
最後にバー入門にふさわしいカクテルを尋ねたところ、渡辺さんが熟考の末に選んだのが、ジンに甘味と酸味を加えてシェイクし、ソーダで割った「ジン・フィズ」と、ブランデー・ベースの「サイドカー」。どちらもバーテンダーの裁量が一口でわかるとまで言われるスタンダードだ。そしてもう1杯、「これからの季節に」と薦めてくれたのが、「スプリング・フィーリング」。ジン、シャルトリューズ・ヴェール(薬草系リキュール)、レモンジューズをシェイクしたもので、ハーブの香り豊かな味わいは、なるほど春にふさわしい。
「EST!」の至高のカクテルは、今年も爽やかに春の到来を告げる。
■Bar EST!(ばー えすと)
文京区湯島3-45-3
Tel:03-3831-0403
営業時間:月〜土・祝日 18:00〜24:00
休業日:日曜、盆、年末年始