「東京のオペラの森」は、“小澤オペラ”のベスト・パフォーマンスを身近で堪能できる、貴重な機会だ。「サイトウ・キネン」は毎回オペラがあるとは限らないし(松本行きも必定)、「音楽塾」は若干主旨が異なる。ウィーンなど海外での公演に行くのも難儀だろう。となれば、特に首都圏では稀なるビッグチャンスなのだ。
2008年の演目は、チャイコフスキーの「エフゲニー・オネーギン」。“ウィーン国立歌劇場との共同制作による新演出”というだけで食指をそそられるが、“小澤征爾十八番のチャイコフスキー作品”に勝るポイントはないであろう。—方の名作「スペードの女王」では世界のオペラハウスを席巻し、今年のサイトウ・キネンでも絶賛を博した。そして「エフゲニー・オネーギン」は、1988年ウィーン国立歌劇場デビュー時の演目であり、その名演が後の監督就任への歩を刻んだ記念すべき作品。さらには、メトロポリタン・オペラ、英国ロイヤル・オペラにも同作でデビューし、スカラ座でも指揮している。それが日本で(おそらく)初めて上演されるのだから、行かずしてどうする…といった感がある。
小澤のオペラの妙味は”シンフォニックなドラマ性”ではないだろうか。歌に任せた情緒的な流れを良しとせず、歌&オーケストラ一体となった迫真のサウンドで、引き締まった音楽が展開されていく。オペラ全体が、壮大なシンフォニーのように、目の詰まった音で起承転結を描く。そこに息もつかせぬドラマが生まれる。「東京のオペラの森」では、その美点が最大限に生きる作品が選ばれており、壮絶な緊迫感に充ちた第1回の「エレクトラ」、隙のない壮麗な音楽劇ともいうべき前回の「タンホイザー」と、まごうことなき“シンフォニックなドラマ”が繰り広げられた(その点で、ヴェルディ随一のシンフォニックなオペラ「オテロ」の休養降板が惜しまれる)。
そこでチャイコフスキーだ。あの甘美な音楽をベタにやったのでは、聴くに耐えない。中でも、とりわけ情緒纏綿たる「オネーギン」は、歌とオーケストラとがゆるぎなく一体となって、登場人物の心理の陰影を緻密に描いてこそ、作品の真価が発揮される。まさに“シンフォニックなドラマ性”を要求されるオペラ。小澤の真骨頂だ。
今回は、歌手もさることながら、演出も大きな楽しみとなる。担当するファルク・リヒターは、96年に鮮烈なデビューを果たした、ドイツの劇作家兼演出家。自身の戯曲(「エレクトリック・シティ」は日本でも上演)はもとより、シェイクスピアから現代物まで幅広く演出を行い、06年からはベルリンのシャウビューネを拠点に活躍している。オペラもフランクフルト歌劇場で「エレクトラ」、今年のザルツブルク音楽祭で「魔弾の射手」などを手がけ、09年には「ローエングリン」に挑む予定。何しろ「現代社会における“人間”を鋭い洞察力により、さまざまな方法で表現する」現代演劇畑の気鋭であり、「エレクトラ」では「まるでCNNの衝撃ニュース。演出には鳥肌がたった」と評されているのだから、ベタな描写などまず有り得ない。小澤オペラの指向性と合致した鮮烈なドラマが期待できるだろう。
小澤が信頼するメンバーを集めた完璧なオーケストラと相まって、「歌さえ良ければ」ではなく「指揮もオーケストラも演出も(もちろん歌も)」と望むファンならば、これを逃してはなるまい。
文:柴田克彦
(ぶらあぼ2007年10月号から)
★2008年4月13日(日)、15日(火)、18日(金)、20日(日)・東京文化会館
問:東京オペラの森03-3296-0600
www.toukyo-opera-nomori.com/