郷古 廉(ヴァイオリン)&加藤洋之(ピアノ)

 俊才居並ぶ中でひときわ強い光を放つヴァイオリニスト・郷古廉と、室内楽の名手として数々の音楽家から絶大な信頼を得ているピアニスト・加藤洋之が、「東京・春・音楽祭」で、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会を行う。2017年から3年にわたるこのシリーズに向けて、二人に話を聞いた。
(取材・文:柴田克彦 写真:寺司正彦)

ーー まずは、お二人の出会いと共演歴を教えてください。

郷古:僕が16歳だった2009年1月に、加藤さんをご紹介いただき、初めて共演しました。以来、毎年1〜2回共演するようになり、最近はさらに回数が増えてきました。

■言葉にならない味わいや空気感

ーー このデュオの良さは?

郷古:通常組み合わせが難しいプログラムを、積極的に取り上げていることが、まず挙げられます。演奏に関して言えば、二人でいかにも合わせようとするのではなく、各自が独立していながら調和することができる。それには信頼関係が必要ですが、最初からそうした感触がありました。

加藤:それは相手が最終的に目指している音楽に絶対的な信頼を置いているからです。お互い自由に弾いたものが、相手の音楽に合っていき、同じ地点に辿り着く。この感覚は確かに最初からありましたが、その度合いは年々強くなっています。こうした相手と継続的に演奏していくことで目指す音楽ができ、言葉にならない味わいや空気感も生まれる。それが室内楽の魅力ですから、私にとって彼はかけがえのない音楽家です。

郷古 廉

ーー 「東京・春・音楽祭」への出演歴と、音楽祭の印象は?

郷古:2013年の「東博でバッハ」(東京国立博物館 法隆寺宝物館エントランスホール)に出演しましたが、その年は桜の開花が早く、弾いているときも水面に映る桜が見えるなど、とても風情がありました。そうした日本的な良い趣のある音楽祭だと思います。

加藤:私はソロと室内楽でほぼ毎年出演させていただき、東京文化会館のほか、東京都美術館、国立科学博物館といった「東京春祭らしい」会場で演奏しています。ヨーロッパで夏の音楽祭が多いのは、年度の変わり目で人の心に余裕がありリラックスした状態であることと、自然が美しく季節感と一体になりながら非日常な感覚を味わうことのできる時季だから。日本では同じことが春に体験できると思います。桜はその大きな象徴で、全ての会場がその中にあるのはいいですね。

加藤洋之

■ベートーヴェンは特別なレパートリー

ーー ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタは、お二人にとってどんな存在でしょうか?

郷古:12歳のときに5番を弾き、加藤さんと6番、10番を演奏してはいますが、あえて取り上げてこなかった作品でもあります。理由は、ひと通り勉強はしていても演奏会で弾くには早いかなとの思いがあったから。曲と対峙する際に、精神的な成熟や自分の哲学がなければ向き合っていけないと感じていました。僕にとってはそれ位特別なレパートリー。でもこれからやっと向き合っていこうと思い始めていたところに、今回のお話をいただきました。

加藤:正しいタイトルはヴァイオリン・ソナタではなく「ピアノとヴァイオリンのためのソナタ」です(笑)。ベートーヴェンは物凄いエネルギーとテンションが必要。それにツィクルスでの演奏には特別な意味があると思います。ベートーヴェンの作曲家としての歩み、人生を追体験できるような。私はこれまで一度だけツィクルスを、ウィーンでライナー・キュッヒルさんと行いましたが、無我夢中で弾きながらも同時に恍惚とした時間であり幸せでした。それは10年以上一緒に弾いて、デュオとして熟したことの証しであったとも思うのです。ともかくベートーヴェンは、あらゆる経験、人間性、音楽性が全て出てしまい、必死で対峙しないと音楽になりません。

ーー となれば、今回のツィクルスの意義は大きいですね。

加藤:彼と共演を8年積み重ねてきた関係を考えると、沢山面白いことを経験できるでしょうね。現時点での自分たちを客観的に見ることができるかもしれないし、ギリギリのところで必死に演奏することでもうひとつ上の段階にいけるかもしれない。実はキュッヒルさんとのツィクルスには、ウィーン留学直前の郷古さんが聴きにきていました。その彼と自分にとって2度目のツィクルスができるのは、とても感慨深いこと。今回体験できることを踏まえて、20年後位にまた二人でやりたいという気持ちになれたら嬉しいですね。

■ベートーヴェンは常に前の作品を超えようとしていた

ーー 3年かけて、ほぼ番号順に演奏する意味は?

加藤:前年の結果を一度寝かせてから反映させられる点で、1年置く意味はありますし、ベートーヴェンは常に前の作品を超えようと前進していた人ですから、作曲順に弾く意味もあります。

郷古:10番は別の世界ですが、1番から9番にかけてソナタとしての規模がどんどん壮大になっていく。1番から3番まではピアノの比重が大きく、ヴァイオリンもピアノ的な発想で書かれています。それが9番に向かうにつれて対等になってくる。するとヴァイオリンとピアノの間に強い“核”や“接着剤”がないと、広がったときバラバラになってしまいます。

加藤:核があれば遠心力が働く。

郷古:そう、どこまでも遠くにいける。ベートーヴェンはそこを追求したのかなという感じもします。しかもそれを3年3回でやる。それだけの時間をかけることこそ意味があると考えています。ベートーヴェンは、1番から10番までそれなりの年月を生きながら書いたわけで、3年かけることは、その変遷を感じると同時に、我々が今の時代に生きている時間的な価値、各々の人生の3年という意味合いも生じると思うのです。
ベートーヴェンの音楽は、絶対にあきらめない、下を向かないという屈強な精神をもっています。絶望感や葛藤に対抗し、もがいて、のぼっていく。凄く現代的な人ですよね。


■1番の冒頭の和音にこれからの3年が集約されています

ーー 今年演奏される、1番、2番、3番、5番については?

加藤:1番の冒頭の和音。そこにこれからの3年が凝縮されています。ベートーヴェン自身ずっと書いていく意識はあったでしょうから、幕を切って落とすような、全部始まるぞといった思いが反映されているかのようです。

郷古:セットで書かれた1〜3番でも色々なことを試みていて、3番ですでに1番とは比べものにならない規模に達している。その変化の早さに驚かされます。

加藤:例えば、3曲の中で短調の楽章は2番の第2楽章だけなのですが、もう既にぞっとするような深さがあり、その後に来るフィナーレには晩年の精神を感じさせる高さがあります。そうした音楽に続けて5番を弾くことで、単独で取り上げた際には隠れていたものが聴こえてくるような気がします。

郷古:5番は、アイディアの豊富な素晴らしい曲。それを初期のエネルギッシュなアイディアが盛り込まれた1〜3番と一緒に弾くことで、聴こえ方が変わるかもしれない。

加藤:あまり「春」という愛称にこだわると、大事なものが見えなくなる危険性があります。ベートーヴェンは意図していないのに、感じ方を限定してしまう。多くのことが内包された音楽だし、弾き手にも聴き手にとっても純粋に一つの素晴らしい作品として受け止めるのが良いかと思います。

ーー 公演がますます楽しみになってきます。本日はどうもありがとうございました。

郷古 廉(ヴァイオリン)&加藤洋之(ピアノ)
〜ベートーヴェン ヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会 I

2017.4.13[木]19:00 東京文化会館 小ホール

■出演
ヴァイオリン:郷古 廉
ピアノ:加藤洋之

■曲目
ベートーヴェン:
 ヴァイオリン・ソナタ 第1番 ニ長調 op.12-1
 ヴァイオリン・ソナタ 第2番 イ長調 op.12-2
 ヴァイオリン・ソナタ 第3番 変ホ長調 op.12-3
 ヴァイオリン・ソナタ 第5番 へ長調 op.24 《春》

■料金
S席 ¥4,100 A席 ¥3,100 U-25※ ¥1,500
※U-25チケットは、公式サイトのみでの取扱い