早期に頭角を現し、その後も進化を続けてきたヴァイオリニスト・山根一仁。この日本屈指の俊才は、現在トッパンホールで、「J.S.バッハ 無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ&パルティータ全曲演奏会」に取り組んでいる。昨年3月には「パルティータ」3曲を披露。そして今年7月、「ソナタ」3曲の公演を行う。 彼は昨年秋、2015年から7年にわたるミュンヘン留学を終えて「完全に日本に戻った」。そこで今は「留学はもちろん意味があったが、日本に落ち着いて、自分の体にも楽器にも音楽にもゆっくり向き合えているのが、メンタル的にすごくいい」と語る。そうした心持ちの中で行うのが今回の公演だ。 ヴァイオリニストにとって、バッハの無伴奏曲が最重要レパートリーであるのは言うまでもない。 「バッハはすべての中心にある存在です。これまでも勉強し、演奏してきましたが、その探究は生涯続くもの。そこで20代のうちに一度全曲を弾いておきたいと思いました。自分の居場所を確認するには最高の曲でもありますし、今回の公演はまさしくチラシに記された『27歳の現在地』そのものです」 ドイツに留学して作品への見方も変わったという。 「以前は形式に沿って正しく弾かねばと思っていましたが、バッハの音楽には最大限の自由さがあることを肌で感じました。偉大な建造物のような音楽の中にも、自然界のあらゆるものと同様の“曲線”がある。ドイツに行ってこうした価値観を与えられました」 具体的には、ミュンヘンの大学で著名なヴァイオリニスト&指揮者のクリストフ・ポッペンに師事したことが大きい。 「ポッペン先生が演奏したバッハがこの世のものとは思えないくらい美しく、この人にバッハを習いたいと望んで勉強してきました。そこで学んだのはまず『自然さ』です。『何もしていないけれど、すごく自由』、これが音楽の上での自然体ということ。あとは舞曲の重心の置き方や音楽の流れの掴み方など。先生が身をもって体験したことを教えていただき、バッハへのアプローチは大きく変わりました。ただ1人の音楽家としては、そうしたエッセンスを踏まえながら、自分の言葉、自分の音楽で表現しなければいけないと思っています」 山根は、トッパンホールの〈エスポワール〉シリーズで、14年にバッハの無伴奏ソナタ第1番を凄絶に、留学後の17年にソナタ第2番をより自由かつ多取材・文:柴田克彦 写真:野口 博彩に演奏した。そこにも留学の成果の一端が表れていたが、今回は後者から6年、「パルティータ」3曲からも1年が経っている。 「常にベストを尽くしてはいますが、人は変化していくもの。私も様々な演奏や人生経験を通して変化していますし、この1年でもアルゲリッチやマイスキーとの共演で刺激を受けました。なので当然今回は前とは違いますし、冒頭に話したようにポジティブな心境で音楽と向き合っているので、かえってフレッシュになっているかもしれません」 ソナタは、3曲とも同じ形式が並ぶ4楽章構成。舞曲を連ねたパルティータとは音楽の性格が異なる。 「巨大な建造物のような不動の要素はありますし、和声感や歌も大切にしないといけません。ただ、舞曲がベースのパルティータは、リズム面に『こう弾いてはいけない』という枠がありますが、それがないソナタは逆に自然さ、自由さが生まれると思います。ましてバッハは新しいことにチャレンジした人。今回は、バッハの音楽の面白さ、美しさ、不気味さなど、その魅力を届けたいですね」 ちなみにピリオド奏法に関してはこう話す。 「それもポッペン先生から色々教わりましたが、私はピリオド楽器もバロック弓も使っていません。しかしいくら自由といっても、バッハがどういう音を想定して書いたかを考えると、バロック弓でできないことはしたくないし、絶対に選べない弾き方はあります」 様々な演奏機会を通して山根の成長を後押しし、彼も「今の私を形成してくれた大きな存在。無伴奏を好きになるきっかけやピアニッシモの魅力を教えてくれたホールであり、自分の音楽を自然に奏でることができる場」と語るトッパンホールでのバッハの無伴奏。今回は俊英の現在の最高地点が示されるに違いない。29Profile1995年札幌生まれ。中学校3年在学中、2010年第79回日本音楽コンクール第1位、およびレウカディア賞、黒■賞、鷲見賞、岩谷賞(聴衆賞)並びに全部門を通し最も印象的な演奏・作品に贈られる増沢賞を受賞。同コンクールで中学生の1位は26年ぶりの快挙であった。以後、桐朋女子高等学校音楽科(共学)在学中より国内外の音楽祭、マスタークラスでソロ、室内楽ともに研鑽を積み音楽賞、ディプロマなど数多く受賞。国内外のオーケストラと共演を重ね、テレビ・ラジオの出演も多い。これまでに故富岡萬、水野佐知香、原田幸一郎の各氏に、またドイツ国立ミュンヘン音楽演劇大学ではクリストフ・ポッペン氏に師事。深化を続ける名手がバッハで示す“現在地”
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