25取材・文:池田卓夫 1965年生まれ、巨匠の域に入りつつあるピアニストの若林顕が「魔弾のピアニスト vol.1 頂きに向かって…」と題したリサイタルを5月20日、東京芸術劇場 コンサートホールで開く。ウェーバーのオペラ《魔弾の射手》を思わせるタイトルは「自分で付けたわけではありませんが、芯をとらえ、心の奥まで突き刺さる私の“一音入魂”のピアニズムへの賛辞ともいえ、うれしく思っています」。 プログラムはロシアの作曲家が中心。メトネルの「忘れられたメロディー 第1集」から〈回想ソナタ〉、ラフマニノフのピアノ・ソナタ第1番の後にドビュッシー「映像 第2集」、ショパンのバラード第4番を挟み、ストラヴィンスキー「ペトルーシュカからの3楽章」でしめる。「今の私にピタリとくる、純音楽的に焦点の合う作品を2時間の枠に収めました」という。それぞれの作品に対する若林のコメントがすごく面白かったので、そのまま紹介する。 「メトネルは以前から好きな曲、傑作だと思います。ちょっとした後悔や感謝など誰かに心を寄せながら、自身の過去を静かに振り返る趣の幻想的な作品です」 「ラフマニノフの第1ソナタは第2番ほど有名ではありませんが、ピアニストはわりと頻繁に演奏します。およそ30分の間に空や山などの壮大な光景が次々と移り変わり、シンプルだけど心に強く訴えます。大ホールの空間にふさわしい表現力が求められます」 「ドビュッシーは3曲それぞれに詩的なタイトルが付けられ、すべてが夢の世界にあります。東洋的な部分も備え、ピアノの少ない音の中にオーケストラを聴くほどのイメージ、空間、情景がこめられているので、ピアニズムの多様性をお楽しみいただけます」 「ショパンは作曲の動機や曲想でメトネルに一脈通じるものの、よりドラマティックでエネルギッシュです。苦しみが非常に美しく表現されています」 「『ペトルーシュカ』には楽しくエキサイティングな曲というイメージもありますが、バレエの筋書きとしては、人形が気持ちを理解されず、悲劇的な結末に至ります。人間の残酷さや人生の悲哀とエネルギッシュで壮大、明るい部分の対比が聴かせどころです」 そもそも“一音入魂”の目指すところは何なのだろう? ピアノは打弦楽器なので、打鍵と打鍵の間には断絶があり、大方のピアニストは、あたかもひとつの線でつながっているように響かせるレガート(円滑さ)の幻想に生涯をかける。若林も「より肉声のように、より弦楽器のように…と一体化した音を究めてきて、自分の中でようやく理解しつつあります。奏法の研究を欠かさず、楽曲から受けた感動を以前より自由に出せています」と打ち明ける。ピアニストは声楽家と違い、自分の音を客観的に聴くことができるが、若林は「体の中から聴こえてくるような音、あるいは歌を自分の感性に密着した音として、お届けしたい」と考えている。 「魔弾のピアニスト」は「vol.1」なので当然、続編への期待も高まる。 「一応3回シリーズを予定しています。次回は2024年9月頃、シューベルトのピアノ・ソナタ第21番 変ロ長調 D960をメインにしたプログラムです」 若林は20歳の時、「ピアニストは40歳から」と思っていたという。 「ピアニストの一人として一番大事に思ってやってきたことは、『自分の信じるものを磨き続ける』でした。納得できるまで極めるのには時間がかかると思っていましたし、喜びや苦悩などの経験すべてが音楽に反映されます。祈りをこめて弾く瞬間、60歳や70歳までどういう人生を送ってきたのかもわかってしまうのです。その時その時に自分が納得できるのに近い状態を保つことで日々、発見があります」 「魔弾」の背後には、孤高の求道者の姿があった。聴衆に対しても、時に「一切の先入観を捨て、目を閉じて聴いていだたきたい」と願う。若林によれば、先入観は「世の中の動き」でもある。 「音楽の本質は“流行り”と無縁です。世の動きに惑わされず音楽、ピアノを究める道に終わりはありません。これからも、自分の手からしか出せない音を探し続けます」Profile日本を代表するヴィルトゥオーゾ・ピアニスト。ベルリン芸術大学などで研鑽を積む。20歳でブゾーニ国際ピアノ・コンクール、22歳でエリザベート王妃国際コンクールにおいて第2位の快挙を果たし、一躍脚光を浴びた。その後国内外の名門オーケストラや巨匠との共演、国内外での室内楽やソロ・リサイタル等、現在に至るまで常に第一線で活躍し続けている。ショパンのエチュード全集等多数のCDでも極めて高い評価を受けている。自分の手からしか出せない音を探し続けて
元のページ ../index.html#28