eぶらあぼ 2023.5月号
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 この3月、東京・春・音楽祭でムーティが《仮面舞踏会》を上演して話題になったが、その名前を聞いて思うことがあった。同オペラは、ヴェルディ中期の代表作だが、実はこの15年ほど、ドイツではあまり上演されていない。統計を取ったわけではないので印象に過ぎないが、少なくともベルリン等の大劇場では、新演出が出たという話をあまり聞かない。上演回数という意味では、ヴェルディの作品のなかではちょっと日陰者になっているのではないか。 その一方、舞台に掛かる頻度が明らかに増えた作品もある。《ファルスタッフ》がそうだし、《ナブッコ》もそう。《ドン・カルロ》も、規模が大きいにも関わらずほとんどの劇場がレパートリーに持っている。特筆に値するのは《シモン・ボッカネグラ》と《マクベス》で、新プロダクションで取り上げられる回数は、目立って多い。《シチリア島の晩鐘》でさえ、ベルリンとミュンヘンで続けざまに新制作された。一方《椿姫》、《リゴレット》、《トロヴァトーレ》、《アイーダ》、《オテロ》は、不動の人気を誇っている。 なぜそうなのか。純粋に作品として見れば、《仮面舞踏会》はおそらく《シモン・ボッカネグラ》よりも出来の良い作品である。テノールとソプラノが華麗なアリアや二重唱を歌い、ドラマの構成も明快。ヴェルディとしては軽みというか、喜劇的な側面も備え、エンターテインメント性にも優れている。要するに、お客さんが観て楽しい作品で、全曲盤もたくさん出ているし、実際非常に好まれている。 しかし、劇場でプログラミングに当たる学芸員からすると、ちょっと引っかかりの少ない作品でもあるのだ。曰く、「政治性・社会性が低い」、「ドラマに深みがない」。演出が重要なドイツでは、解釈上鋭い切り口が入れられる題材が良しとされ、それには《マクベス》や《シモン・ボッカネグラ》、《ドン・カルロ》の方が向いている。一方《ナブッコ》や《シチリア島の晩鐘》には、リソルジメントにおけるイタリアの社会状況を読み込むことが可能だ。それと比べると、ソプラノをめぐる嫉妬からバリトンがテノールを殺すという筋の《仮面舞踏会》は、ちょっと内容的にお安いのである。 つまり、作品がオペラハウスで取り上げられるかは、学芸員の意向(=どのような演出を出したいか)が大きくものを言う。これには、観客の希望以上の効力を持つケースがあり、本来人気曲であるはずの《仮面舞踏会》は、そこで抜け落ちてしまったと思われる。もちろん劇場側でも、同作を長く上演していないことにいつか気が付くに違いない。ベルリンでは、最後に新制作されたのは実に15年前の2008年である(若きフィリップ・ジョルダンが振り、ピョートル・ベチャワがリッカルドを初めて歌った)。そろそろもう一度観てみたいと思うが、いかがなものだろうか。Profile城所孝吉(きどころ たかよし)1970年生まれ。早稲田大学第一文学部独文専修卒。90年代よりドイツ・ベルリンを拠点に音楽評論家として活躍し、『音楽の友』『レコード芸術』等の雑誌・新聞で執筆する。10年間ベルリン・フィルのメディア部門に在籍した後、現在はレコード会社に勤務。119 No.82連載城所孝吉学芸員の「インテリ路線」で憂き目を見た(?)《仮面舞踏会》

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