eぶらあぼ 2023.4月号
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123 今、欧州のコンサートライフが難しい時期に来ていると言われている。コロナが蔓延した期間には、大概の国で上演が不可能になったが、再開された後の客足が、目に見えておぼつかないのだ。以前この連載でも言及したが、1年経過した今、状況は改善していない。よっぽど話題の公演でないかぎり、お客の入りは本当に寂しい状況である。 メインの客層である中高年層が、コロナ感染を心配して足を運ばなくなった、ということではない。ドイツでは、劇場でのマスク着用の義務はなくなったし、人々は一般的に、「パンデミックは終了した」という認識を持っている。状況はもっと深刻だろう。コロナ期にオペラやコンサートに行かなくなったことで、夜出かける習慣自体がなくなってしまったのである。 コンサート、オペラ鑑賞とは、人々の生活のなかでは一種のリチュアルである。しかし、切符を買ったり、いつ行くかを計画したりするには、それなりにエネルギーがいる。以前は「惰性」で行っていたのが、ストップがかかった後、もとの習慣にもどらなくなってしまった、ということだろう。少なくとも、筆者はそういう印象を持っている。「行かなくてもいいか…」という雰囲気が生まれて、それが持続しているのである。 こうした状況は、コンサート以上にオペラで顕著だと思われる。というのは、ドイツにおけるポストコロナのオペラは、なんとなくぱっとせず、つまらないからだ。新演出公演もレパートリー公演も、読み替え演出(=聴衆はすでに飽きている)が引き続き行われる一方、スターが登場する華やかな公演は少ない。お客さんにしてみれば、行きたくなるモチベーションが低く、客離れを助長しているのである。 何か根本的な変化が、起こらなければならないのかもしれない。聞くところでは、コロナ後のMETでは、レパートリー公演はガラガラだが、話題性のある新作オペラは満員だという。最近でも、ケヴィン・プッツという作曲家の《めぐりあう時間たち》が初演されたが、これは同名の映画をオペラ化したものである(フレミングやディドナート等が出演した)。その音楽は、聴きやすい性格のもの。「マスメディアと絡めたソフトな新作」は、普段オペラに行かない人々を取り込むための戦略としては、確かに面白い。果たしてこの方法は、「オペラの未来」のひとつの可能性となり得るだろうか。 対して欧州では、そうした試みさえ行われていない気がする。もちろん、新作オペラ自体は数多く存在する。しかしそれは、METの場合と違い、バリバリの現代音楽。お客を呼び込む意図はなく、現代オペラを取り上げる芸術的意義が上演の理由である。つまり、全然入らなくてもいいのだが、《アイーダ》や《ボエーム》でさえ切符が売れない状況で、浮世離れした感は否めない。マスの趣味に迎合しなくてもいいが、何かテコ入れが必要なのではないだろうか。少なくとも言えるのは、放っておいてもお客さんは帰ってこない、ということである。Profile城所孝吉(きどころ たかよし)1970年生まれ。早稲田大学第一文学部独文専修卒。90年代よりドイツ・ベルリンを拠点に音楽評論家として活躍し、『音楽の友』『レコード芸術』等の雑誌・新聞で執筆する。10年間ベルリン・フィルのメディア部門に在籍した後、現在はレコード会社に勤務。 No.81連載城所孝吉お客が戻らないドイツのオペラハウス、打開策は?

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