eぶらあぼ 2023.2月号
48/153

 初実は名古屋行きを断念し、やりきれない悲しみに沈んだ。 次々と陽性者が増えていく中、同部のOBでもある顧問の奥山昇先生は、「こうなってしまったのは私の責任ではないか」と強く自分を責めた。 先生の吹奏楽人生でもっともつらい1週間だった。出場辞退も頭をよぎったが、欠場が決まった部員からの「何としても残った人たちで全国大会のステージに上がってほしい」というメッセージを受け、出場を決意して秋田を発った。 最終的にコロナで18人の欠場が決まった。全国大会は55人まで出場できるが、その3割以上を失ったのだ。残る37人にサポートメンバー1人を加えて秋田南は全国大会に出場。課題曲の前川保作曲《憂いの記憶 – 吹奏楽のための》と自由曲の三善晃作曲・天野正道編曲《管弦楽のための協奏曲》を演奏した。 繭子と同じ副指揮者の3年生、ユーフォニアム担当の児玉紗野は幸運にも感染せず、演奏に参加した。紗野にとっては初めての全国大会で嬉しいはずだったが、多くの仲間がいないステージに心が痛んだ。演奏が始まると、「本当なら聞こえるはずの音がない。なんて寂しいんだろう」と思った。 指揮をする奥山先生が「壮絶」と感じた12分間の演奏。それは、音と思いをどうにか繋ぎ、ぎりぎりでつくり上げた音楽だった。 審査結果は、下位3分の1に与えられる銅賞。しかし、もはや結果にこだわる者はいなかった。 本当ならば、その時点で秋田南の3年生は引退するはずだった。しかし、同じ全国大会で金賞を受賞した愛知工業大学名電高等学校吹奏楽部からジョイントコンサートの申し出が舞い込んだ。なんと会場はあのセンチュリーホール。悲運に見舞われた秋田南に名電が手を差し伸べたのだ。 日程は12月17日。受験も近づく時期だが、秋田南は思い切って参加を決めた。 今度はみんなであの舞台に立とう! 全国大会から約2ヵ月後、奥山先生と部員たちは名古屋へやってきた。季節は秋から冬に移り変わっていたけれど、心はどこまでも熱かった。 ジョイントコンサートは秋田南と名電の単独ステージがそれぞれあり、最後に合同演奏というプログラムだった。 秋田南は単独ステージで福島弘和作曲《百年祭》など2曲を演奏した後、全国大会と同じ課題曲・自由曲を続けて披露した。今度はフルメンバーでの演奏だ。魂が音となってホールいっぱいに広がっていった。この2ヵ月間の思い――いや、この1年間、繭子や初実たち3年生にとっては3年間の思いが「吹奏楽の聖地」を駆け抜けた。 演奏が終わると、鳴り止まない拍手の中で部員たちの目から涙がとめどなく溢れた。 指揮台を降りた奥山先生はこう思った。「苦しく、つらい年だった。でも、まさかこの舞台でもう一度演奏できるなんて……。吹奏楽はこんな奇跡を起こしてくれるのか!」 先生の心は吹奏楽の素晴らしさに震えた。合同ステージでは演奏を通じて名電と友情を深めた。 人の思いが音楽によって繋がり合い、実現したステージ。それはまさに「奇跡」だった。45♪♪♪♪♪♪拡大版はぶらあぼONLINEで!→左より:児玉紗野さん、清水繭子さん夢の舞台 センチュリーホールでのリハーサルの様子

元のページ  ../index.html#48

このブックを見る