eぶらあぼ 2023.2月号
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 欧州の音楽業界で今実感するのは、録音媒体としてのフィジカル(デジタル[=ストリーミング&ダウンロード]の対語で、主にCDのことを指す)の終わりは近い、ということである。もちろん同じことは10年前から言われており、「それでもしぶとく生き残っているではないか!」という反論も存在する。しかし過去3年ほどで、業界の状況はかなり変わった。例えば米国では、フィジカルで売れているのはLP(!)が主流で、音楽は大抵、ストリーミングで聴かれている。その傾向は言うまでもなく、ポップスだけでなくクラシックにも波及しつつある。 こうした話を日本の業界関係者にすると、多くの場合「私はフィジカルが好きなので…」と煙たがられる。モノとしての録音を集め、所有するのが好きなため、ストリーミングでサブスクするのは味気ないというのだ。その気持ちは、クラシックのCDコレクターに共通するものだろう。ゴマンと存在する録音のなかから、好きなアーティスト、作品、楽器、レーベルのCDをコレクションするのは、事実とても楽しい。クラシックは、レパートリーが膨大でジャンルも多彩なので、集め甲斐があるし奥も深いのだ。 もちろん筆者自身も、多くのCDを集めてきた。とりわけオペラの全曲盤(ケースが立派でブックレットも分厚く、豪華)は、学生時代に高価で買えなかったこともあり、所有欲を満たしてくれた。ドイツ歌曲のCDも集中的に集めたが、手に入りにくいものが見つかった時には達成感も得られた。 しかし配信サービスを使うようになってから、その利便性も実感するようになった。クラシック用には検索機能が不十分で、理想的とは言えないが、大抵の録音が月額10ユーロで聴けるし、演奏の比較もしやすい。CDの出し入れも不要で、自分でプレイリストも作れる。ハイレゾ(=CD以上の音質)にも対応し始めた。「なかなか使えるじゃない!」と思うだけに、CDの終焉も近いと感じるようになったのである。 ではそうなった時に、今持っている数千枚のCDはどうするのか。「終わったメディア」ならば、買い取ってくれる人はいなくなる。いや、それ以上の問題があるだろう。配信ですべて聴けるということは、集める必要がなくなるということだからだ。つまり我々は、CD収集という趣味そのものを失うことになる。 その状況で、録音というメディアは、性格を変えることになるだろう。モノ集めは、趣味の重要なジャンルだが、我々は収集と無関係になった録音に、こだわりを持ち続けることができるのだろうか。一方で「ポストCD時代」には、周辺の文化も変化を強いられる。例えばレコード雑誌は、収集家のニーズを満たしているが、そうした雑誌作りも不要になる。それらは、むしろプレイリストのキュレーターとしての役割を演じることになるだろう。 いずれにしてもCD愛好家は、かなり大きな変化の前に立たされている。今心配しても仕方のないこととはいえ、少々不穏な気持ちにならざるを得ない。Profile城所孝吉(きどころ たかよし)1970年生まれ。早稲田大学第一文学部独文専修卒。90年代よりドイツ・ベルリンを拠点に音楽評論家として活躍し、『音楽の友』『レコード芸術』等の雑誌・新聞で執筆する。10年間ベルリン・フィルのメディア部門に在籍した後、現在はレコード会社に勤務。121 No.79連載城所孝吉「ポストCD時代」には何が起こるのか?

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