eぶらあぼ 2023.1月号
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123 翻訳は難しい。しかし、それについての考え方は様々である。知り合いのオペラ研究家は、リブレットは一字一句訳して、原文の構造がわかるようにするべきだ、と言っていた。「声楽を勉強する人がイタリア語をきちんと学べるように」というのがその意。筆者は少し違うスタンスで、読んだ人が原文の「意図」を把握できるように訳すべきだと考えている。読者全員が外国語を学んでいるわけではないし、そもそも逐語訳しても大抵意味は伝わらない。 よって意訳するわけだが、状況はここから複雑になってくる。なぜなら意訳とは、まぎれもなく訳者の「解釈」だからである。どこまで踏み込んで訳すか、という点では、当然意見が分かれる。しかし原文が極端に難しい場合、「解釈・解説」を盛り込むことは、ひとつの手段だと思う。 例えばゲーテの『ファウスト』。マーラーの交響曲第8番では、最終場が付曲されているが、これは訳すのが実に難しい。主人公が天に迎えられるシーンで、天使たちは彼の浄化を次のように歌う。(直訳):大地の残りを運ぶことは/我々には辛い/たとえ、石綿でできていようとも/それは清浄なものではない/強い精神力が/元素をわが身に引き寄せ集めれば/しっかりと結びついたふたつは/どんな天使にも/分かつことはできない/ただ永遠の愛だけが/それを引き放すことができる。 以上を理解できる人は、ほとんどいないだろう。天使たちはここで、「人間が昇天するためには、精神が肉体から切り離されなければならない」ということを言っている。しかし一般的な日本人は、「キリスト教では、精神と肉体は対立するものである」という発想自体を知らない。さらにゲーテ本人が、「精神と肉体」という言葉を、「コンテクストで理解しろ!」とばかりに使っていない。つまり原文自体が、一般的な教養や理解力の範疇を超えているのである。 そのため筆者は、次のように訳してみた。(意訳):我々には、地上のもの(=肉体を持ったもの)はすべて/汚らわしい/それが、石灰のように純白でも/我々にとっては清浄ではない/人間の精神と肉体を結びつけたのは神なので/天使の力では/その強く結びついたふたつを/分かつことができない/唯一、神の永遠の愛だけが/精神を肉体から解き放つことができる。 これならば、「精神を肉体と結びつけたのは神の愛であり、精神を再び天国に迎え入れるために肉体から切り離すのも神の愛である」という文意が理解できる。しかしこれは、まさに筆者の解釈であり(かなり大胆な)解説である。それを介入・侵害だと感じる読者も、きっといるだろう。大前提は言うまでもなく、訳者が原文の意図を正確に汲み、理解していること。それが難しいのだが…。 翻訳は原理的に、100パーセント客観的ではあり得ない。原文が訳者の頭を通った段階で、主観になっているからである。しかしそう見切って考えれば、思い切った意訳はひとつの可能性だと思う。Profile城所孝吉(きどころ たかよし)1970年生まれ。早稲田大学第一文学部独文専修卒。90年代よりドイツ・ベルリンを拠点に音楽評論家として活躍し、『音楽の友』『レコード芸術』等の雑誌・新聞で執筆する。10年間ベルリン・フィルのメディア部門に在籍した後、現在はレコード会社に勤務。 No.78連載城所孝吉翻訳者はどこまで意訳していいのか?

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