eぶらあぼ 2022.12月号
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 アルゼンチン出身で、1986年フランツ・リスト国際コンクール(ブエノスアイレス)と1990年ジュネーヴ国際コンクールにおいて優勝に輝いたネルソン・ゲルナーが、浜離宮朝日ホール開館30周年の記念にリサイタルを開催。久しぶりにその真価を披露することになった。ゲルナーはこれまでNHK交響楽団との共演や「ラ・フォル・ジュルネ」「アルゲリッチ音楽祭」などで来日しているが、本格的なピアノ・リサイタルは初めてとなる。 「このリサイタルは私にとって大切な意味合いをもっています。私は日本が大好きで、浜離宮朝日ホールの音響のよさは音楽仲間から聞いていますので、プログラムはじっくり練りました。そこでいまもっとも弾きたい作品、心に近い作品を選び、ショパンとリストに決めました」 ショパンはバラード全4曲、リストはピアノ・ソナタ ロ短調が選ばれている。 「バラード第1番は美しい詩のようで、劇的で抒情性に富む。夢見るような面と壮大さも含まれ、完成度が高いですね。第2番は情熱と柔軟性に満ち、異なる要素が対照的に描かれ、それらがコーダで集約します。第3番は愛にあふれ、若いころに心が痛んだような恋心を感じさせる。弾いていてうっとりしてしまいます。第4番はバラードのなかでもっとも難しく、ショパンの全作品のなかでも技術、表現が難しいですね。私はバラードは18歳のころに第4番から始めましたが、精神性が高く、宇宙を感じました。変奏の妙を深く学ばないとならず、いまでも学んでいますよ」 一方、リストはゲルナーの得意な作曲家であり、ロ短調ソナタは録音も行っている。 「もう15年も前の録音です。その後しばらく曲から離れていたのですが、いまは新しい解釈が耳に聴こえてきたのです。演奏家にはそういう時期があり、頭のなかに何か新たな発想が浮かんでくる。私はいまこのソナタにまったく新たな気持ちで対峙し、すべてを見直しているのです。以前より、もうひとつ上の段階に到達した、そう考えています」 リストのソナタ ロ短調との出会いは、ウラディーミル・ホロヴィッツの録音だった。 「ホロヴィッツが1930年代に録音した演奏を聴き、ものすごく感動して、自分でも弾きたいと思ったのです。ウラディーミル・ソフロニツキーの録音にも心惹かれました。このソナタは交響曲のような壮大さがあり、イメージがどんどん湧いてきます」 しかし、ゲルナーがもっとも印象に残っているのは、ラドゥ・ルプーのレッスンだった。 「ルプーはすばらしい解釈の持ち主で、このソナタの感情的な世界をいかにひとつにまとめるかを伝授してくれました。そのレッスンは私にとってかけがえのないもので、いまでも魂の一部となっているかのような思いと、永遠性を感じさせてくれます。ルプーから受け取ったリストの真実を、今度は私が自分の手から聴衆に伝える。その幸せを感じています」 ゲルナーは現在ジュネーヴ高等音楽院の教授であり、ショパン・インスティテュートのアーティスティック・アドバイザリー委員も務める。 「私はいろんな生徒と一緒に学んだり、さまざまな土地で演奏したりするなかで、常に新たな作品と向き合うようにしています。でも、最近は以前弾いた作品をより深く探求することにも興味を抱くようになりました。いまはシューマンを多く取り上げています。『謝肉祭』や『ダヴィッド同盟舞曲集』は、来年に向けて練り直しているところです。もちろんこうした作品は10代のころから弾いていますが、いまは演奏が成熟し、自分が理想とする演奏に近づいてきたと感じています。これまで多くの偉大なピアニストに教えを受けましたが、みなさん“真の音楽家”でした。音楽に命を捧げた人ばかり。私もそうありたい」 素顔はシャイで、けっして大きなことは言わず率直な語り口が特徴のゲルナー。演奏も作曲家に寄り添い、聴き手の心の内奥に語りかける。その真摯なピアニズムに酔いたい。Profile1969年、アルゼンチンのサンペドロ生まれ。5歳でホルヘ・ガルッバに師事し、その後ブエノスアイレス高等音楽院でフアン=カルロス・アラビアン、カルメン・スカルチオーネの薫陶を受けた。1986年にブエノスアイレスで開かれたフランツ・リスト国際コンクールで第1位を受賞。ゲルナーの才能を認めたアルゲリッチから奨学金を授けられ、ジュネーヴ音楽院のマリア・ティーポのもとで研鑽を積んだ。1990年にはジュネーヴ国際コンクールで第1位に輝く。現在、妻と息子たちとともにスイスで暮らし、ジュネーヴ高等音楽院の教授として後進の指導に励む傍ら、ショパン・インスティテュートのアーティスティック・アドバイザリー委員も務めている。31取材・文:伊熊よし子深化を続けるヴィルトゥオーゾ、待望の来日リサイタル

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